後日譚 とある令嬢追放の後

笑えない「聖女」

 代々の聖女が生涯神への祈りを捧げる大神殿の最深部。


 聖女と呼ばれる比類なき尊い者の部屋とは思えない、飾り気のない簡素な部屋に、唯一置かれた豪奢な寝台。そこに、この神殿で最上位の存在が昏々と醒めない眠りに就いて半年が経とうとしている。


 漆喰で塗り固められた壁に、あちこちに大きな破損の跡が見られるのは、聖女自らが自棄になって室内中を荒らしたからだ。


 家具という家具は倒され、放り投げられ、壁に当たって砕け、壊れた。寝台だけは大きすぎて投げることが叶わなかったようだが、その寝台だけが、今や彼女をこの部屋で唯一受け止めるに相応しい家具となっているのはなんとも皮肉な話だ。


 壁の所々には、細く鋭利なぎこちない筆致で幾つもの傷が刻まれている。


 よく見ればそれはただの傷ではなく、文字を象っていることが分かる。



『 ウソつき ウソつき ウソつき

  わたしはナニも 悪いことしてない

  ピルギスさま タスケテ だいすき

  タスケテ ここから 出して

  だいすき アイシテル ウソつき 』



 所々赤黒い染みがこびり付くその文字は、物言えぬ聖女の怨嗟の声を、代わりに伝えようとしているのか、どれだけ塗り潰しても時間がたてばまた刻まれたばかりの様に浮かび上がってしまう。


 神官たちは最初、聖女自身が床から起き上がり、文字を刻んでいるのだと思っていた。


 けれど、彼女はあの夜会から三月の後に倒れて以降、その瞳を開くことなく、静かにその寝台に横たわったままだ。死んではいないが生きてもいない。


 彼女の無事を確かめ、刑に処そうと目論んでいた騎士たちがひと月の間この室内で監視し続けもしたが、それは彼女の無事を確認することにはならず、逆に怪異を証明することになってしまった。




 愛する王子との逢瀬に目を輝かせていた聖女は、幸せの絶頂にあったのも僅か。


 令嬢追放後、王国で1、2を誇る尊き身分を笠にきて、物言いの出来ない神官たちの対応をいいことに、障害はなくなったとばかりに愛し合う者で城下へお忍びで出掛けていた。若者の集うカフェに、観劇に――けれど巷でとある演劇が頻繁に上演されるようになってから、聖女はいつしか外へ出ることを恐れるようになった。時を同じくして王子らも彼女を避けてか、神殿へ姿を見せることはパタリと無くなった。


 最初、怒りに包まれていた聖女は、次いで悲しみに囚われ、最後には自身の境遇を儚んで生きる気力を無くして行った。だがどれだけ地上を去ろうとしても、神が裏切った聖女の帰還を拒んでいるのか、失ったはずの聖女の力は彼女自身には有効で、どんな致命傷でもたちどころに癒されてしまう。


 そうして彼女は生きながら精神を亡くしてしまったのだった。





 ※ ※ ※





聴取担当官吏 ペルセンドア・ネメルフィシス 記す




 本調書は、覆ることなき王国法に基づき処断執行が成された事件について、王国の太陽の御慈悲により王国の影に堕ちた真実を白日の元に晒し、王国を正しき姿へ導く尊き信念により成された記録である。


 過日、国外追放処分を執行された元コーンヴェルト公爵が第一子クリスティアナ令嬢について、前述の命に基づき、再調査の手を入れることとす。



各関係者供述記録


・聖女カオリ

昏睡状態のため聴取不能。


・クリスティアナ

行く方知れずのため聴取不能。処断済。


・ピルギス

クリスティアナへの度重なる暴言、聖女を職務不履行に陥れた失態、一部官吏からの執務抛擲ほうてきの訴えに関する事実確認を行う。全てに於いて、立証される根拠なし。心神耗弱のため聴取はこれにて終了とす。

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