第6話 Hの話-3-1

 素直になると決めてから三ヶ月ほど、私は準備を進めていた。


 万一の場合に備えて、予め兄さんの逃げ道を奪っておくために。

 そんな必要はないのだと思いながらも、やるのであればあらゆる可能性は排除したかったから。


 一番大事なものを手に入るのに多少の時間はかかったが、それでもすんなりと手に入れることが出来た。


 不眠に悩んでいるとメンタルクリニックを訪ね、二週間おきに通院をしてその度に薬が効かないと訴える。両親が突然死んだことを主軸に添えれば、理由付けは十分だった。


 私の必死の訴えと、然程頓着のない医師だったのだろう、私のような年齢には通常処方されることの少ない、強い効果を持った薬が処方された。

 私が狙っていたものだ。


 一つ想定外だったのは、薬が着色されていて料理に混ぜるのが困難だったこと。

 どうやら、海外でこの薬を使った悪事が横行したかららしい。

 青は食欲を減退させる色で、その色味は確実な違和感を与える。

 その下劣な犯罪者共が憎かった。


 しかし、マローブルーという紅茶の存在を知ったことでその悩みも直ぐに解決された。


 錠剤をクッキングシートで包み、麺棒で細かくなるまで砕き、最後は財布の中の適当なポイントカードを包丁のように使って更に細かくしていく。

 そして、完全に粉状になったらカップに注いだマローブルーに溶かす。

 ほんの少し色が濃くなった程度で、もし兄さんがマローブルーを知っていたとしても、違和感を抱く可能性は限りなく低い。


 そもそも、私がこんなことをするとは微塵も思っていないだろうけれども。


 たちまち上機嫌になった私は、暗所撮影に強いビデオカメラと、あまりスペックの高くない安価なPC、そして外付けのハードディスクを購入した。


 これで、準備は万端だ。


 相変わらず、兄は疲れた表情をしている。

 私は努めて明るく振る舞い、兄の好きなハンバーグを作って、食後にリラックス効果があるという名目で薬入りのマローブルーを出した。


 耐性が全くないからだろう。

 食事を終えて直ぐ、兄さんは眠気が酷いと言って部屋に戻っていった。


 恐らく、直ぐに深い眠りに就くはずだ。


 自分自身で実験してみたが、普段はアラームよりも先に自然と起きる私が、兄さんに起こされるまで寝坊してしまい、危うく初めて学校を遅刻するところだった。

 その日は一日中、眠気を引きずったままで、耐えきれずに授業中に寝てしまい、周囲に体調不良を疑われて保健室に連れて行かれそうになったほどだ。


 ……兄さんに起こされるのも、とても幸せな経験だったけれど。



 兄さんが部屋に戻ってから三十分。私は部屋の前に行き、そっとドアに耳を当てる。

 室内からは何の物音もしない。


「くふふっ……」


 思わず、はしたない笑い声を漏らしてしまった。

 なんとなく恥ずかしさを覚えて、小さな咳払いと共に居住まいを正す。


 音を立てないよう、流石にドアを開いて、逸る気持ちを抑えて摺り足でベッドへと向かう。


 兄さんは、布団もかけずに仰向けに横たわり、静かに寝息を立てていた。

 恐らく、横になった瞬間に眠りに落ちてしまったのだろう。


「兄さん……?」


 小声で名前を呼び、片手で軽く肩を揺さぶる。

 全く起きる様子はなく素直に揺さぶられる体。

 中途半端に閉めていたのか、パジャマの前がはだけて色白の胸元が見えており、それがどうしようもなく私の鼓動を跳ねさせた。


 ベッドの脇に膝を立てて顔を覗き込む。

 中性的な顔立ちに長い睫毛、さらさらな黒髪はまるで少女のようだった。


 可憐な少女のような兄さんが、私の前に無防備に寝そべっている。


「くふふふふっ……」


 ──今度は、恥ずかしさなど微塵も感じなかった。

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