第35話:疲労回復
メタ・アースからログアウトし、転移室へと戻る。
装置から体を起こすとリビングへと入っていく。
「兄さん……」
部屋に入ると、奥のソファーで椿が寛いでいる。枕を両手で抱え、呆けた表情でこちらを覗く。母や父はまだ帰っていないみたいだ。
「ただいま」
椿のところまで行くとテレビの音声が耳に入ってくる。画面を見るとメタ・アースでの大量虐殺のニュースが流れていた。総勢1000人を超えるほどの犠牲者が出ているとのことだ。
番組では首謀者の目的についての議論がされている。メタ・アースで殺害を犯したとしても実際に死ぬわけではなく、罪に問われるだけなのにどうしてこんなことをするのか。一週間前の俺と同じような考えだ。
メディアに取り上げられ、自分の存在を目立たせるため。たとえ死なないとしても、痛みは伴うので、それによりメタ・アースへのログインを躊躇わせるため。色々な意見が飛び交う。終いにはマッドサイエンティストによるメタ・アースでの死の体験が及ぼす効果の実験と言う推測すらも出てきた。
今ここで議論しなくとも、明日には答えがわかるだろう。霊気という未知の存在についてメディアに大きく取り上げられるはずだ。最も『霊気』という言葉は使われないだろうが。
「兄さん……大丈夫だった?」
テレビを見ていると椿に声をかけられる。彼女を見ると心配そうな表情を浮かべている。オレンジ色の瞳が綺麗に輝いている。もしかして、こんな時間に帰ってきたから俺も事件に巻き込まれたと思っているのだろうか。
「ああ、この件に関して被害には遭ってないよ」
「そっか。良かった」
「んーー、何ですか、椿さん? 兄さんのこと心配してくれたのか?」
「なっ! 別にそういうわけじゃないから」
「またまたーー、照れなくていいって」
「別に照れてないから。あんまりからかうと怒るよ」
ムスッとした表情でこちらを覗く。どんな表情をしても椿は愛らしいと感じた。
「椿も大丈夫だったか?」
「え……う、うん。大丈夫」
椿は顔を背けながら肯定を見せる。少し様子がおかしいな。
訝しげに椿の様子を見ると彼女は俺へと顔を背けていく。かなり怪しいな。
椿に問いかけようとすると、不意にスマホの通知がなる。ポケットに手を入れ確認すると柊さんからのメッセージだった。
『今、通話いいかしら?』
何か用だろうか。流石にここで連絡するわけにもいかないので、俺は自分の部屋に行くこととした。
「椿っ!」
「何?」
「何かあれば言ってくれよ。兄さんにできることがあれば何でも手伝うからさ」
出る間際、椿に向けて一方的に言葉をかけた。椿は「ありがとう」とだけ告げるとそれ以外は何も言わなかった。俺は微笑ましく彼女の様子を見た後、リビングを後にして自室へと向かった。
『うん、大丈夫』
返事をするとすぐに柊さんから通話がかかってくる。応答し、スマホを耳に近づけた。
自室から窓を開け、ベランダへと足を運ぶ。外の風はゆったりと吹き、心地の良いものだった。
「もしもし、結城くん?」
メタ・アースで最後に話した時と同じトーンで彼女は俺に問いかける。落ち着いた彼女の声に俺は安堵した。
「もしもし、柊さん。どうしたの?」
「その……特に用はないのだけれど……ちょっと声を聴きたくて」
まさか柊さんの口からそんなセリフが飛んでくるとは思いもしなかった。もしかして俺って結構好感を持たれている。
「そっか。えーっと、体調はどう?」
「ログアウト当初は少し衰弱していたけれど、今は問題ないわ」
「良かった」
「結城くんの方こそ、その……大丈夫かしら?」
「うん、何とかね。ごめんね、柊さん。君を守ってあげられなくて」
「いいえ。こちらこそ、ごめんなさい。あなたをひどいことに巻き込んで悲しませてしまった」
「そんなことはないよ。ひどいことをさせたのは俺だよ。せっかくの力をうまく活用できず、君を傷つけてしまった。だからさ、今度はうまく守れるようにする」
「結城くん……ありがとう。でも、君だけが強くなるなんてことはさせないわ。私も強くなる。彼らの目論見は絶対に阻止する」
「うん。きっとこれからメタ・アースは大きく変わる。平穏な世界は終わり、しばらくは混沌と化すと思う」
「ええ。私がきっかけで起こってしまった惨事。だからこそ、私の手で止めてみせる」
「柊さんだけのせいではないよ。俺たちは共犯。だから、俺も思う存分手を貸すよ」
「……ありがとう。少しの間だけれど、あなたの声が聞こえて良かったわ。頼りにしているわ、結城くん」
「ああ、その期待に答えられるよう頑張るよ」
「では、また明日学校で」
そう言って、柊さんは通話を切った。俺は最後に言葉を述べようとしたが、言うタイミングを逃してしまったらしい。
明日からしばらくの間は学校をお休みする予定なのだ。
奴らの目論見を阻止するために俺ができる最大限の努力をするために。
そうと決まれば、今日はゆっくりと体を休めることにしよう。外の景色を眺め、心地の良い風を十分に堪能したところで俺はベランダを去り、再びリビングに向かった。
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