第7話:メタ・アースでの異常

 翌日、朝の準備を終え、カプセルの中へと入っていた。相変わらず、メタ・アースの世界に行くのは俺が一番最後だ。

 鼻から大きく息を吸い、口から吐く。昨日あんなことが起こったのだ。多少なりともメタ・アースの世界に抵抗感を覚えてしまっていた。


 とはいえ、ずっとこのままだと学校に遅刻してしまう。現在時刻は八時二十分。昨夜の時点で自分がメタ・アースにログインするのを躊躇う事は分かっていた。

 恐怖心は人一倍強い。好きな人に告白するのにも一苦労するほどに。


「よしっ!」


 聞く人間が誰もいないことを良いことに自分に喝を入れるように声を漏らした。

 事前に準備はしてあり、あとはログインボタンを押すだけの状態だった。

 声で気合を入れ、その状態が冷めないうちに『ログイン』のボタンを押下した。


 もう戻る事はできない。椅子に背中を預け、目を閉じる。

 暗い視界。あるのは耳に流れるシステム音、肌に触れる機械の冷たい感覚。その内、針の鋭い痛みに襲われる。徐々に失われていく、視覚以外の五感。視覚は黒から白へと反転する。


 そして、『Login』という表示が俺の目の前に現れた。


 視界が一気に広がる。最初に映ったのは、誠の姿だった。誠はいつも通り、こちらに席を向かい合わせにしていた。いつもと違うのは、喉が渇いていたのかストローで飲み物を飲んでいたところだ。


 俺は誠の表情が見れた瞬間、安堵を覚えた。こういう時に必要なのはやっぱり友達だ。

 誠は不意に登場した俺に驚いたのか、目を大きく開けると口に含んでいた飲み物を俺に向かって吹いた。


「ごめん、柃! 急にログインしてくるとは思わなくて」

「いつもこんな感じだった気がするけど……」


 まさかログインして早々ハプニングに遭うとは思いもしなかった。

 液体で濡れた顔を服で拭き取る。制服に関しては、レイヤー操作一つで着替えることができる。顔の傷、髪の濡れと言った身体の損害は一度ログアウトしなければ治ることがないため自然乾燥に任せることにした。それにしても、暑い季節の冷飲料は心地いいな。


 服で拭い取った部分を見ると白色に滲んでいた。牛乳か何かか。

 俺はそこで変な違和感を覚えた。白く滲んでいるのは洋服だけでは無い。俺の手にも白色の滲みが発生していた。白色の滲みには所々、若緑色がうかがえる。


 不思議なのは手が滲んでいるはずなのに、冷たかったりベトベトした感覚が一切ないのだ。メタ・アースの不具合なんてかなり珍しいな。


「抹茶のフラペチーノでも飲んでいたのか」


 俺は自分の腕から誠の方へと目を向けた。その瞬間、俺は瞳を大きくした。予期せぬ事態に開いた口が塞がらなかった。


「残念、メロンのフラペチーノでした!」


 誠の言葉は他人の話のような形で耳に入ってくる。微かに内容が取れるが、それ以上に視覚の情報量が凄まじかった。


 誠を含め、全ての生徒の体が白色に滲んでいた。目を擦り、もう一度確認するが変わらない。自分の視界に何かが被さっているわけではないみたいだ。

 メタ・アースの異常か? それにしては、今いるメンバーは誰一人として気にした様子は見せていない。


「白と緑じゃなくて、白と橙だね。結構色違ってるけど、緑はどこから出てきたの?」

「いや、なんでもない」


 誠も気にする様子は見せないし、違和感のある視界になっているのは俺だけのようだった。もしかして、昨夜のことと何か関係があるのだろうか。


「おはよう、結城くん」


 隣からの声に、考える間もなく、反射的に横を向いた。好きな人の呼びかけは優先的に処理されてしまうみたいだ。

 知らないうちにログインしていた柊さんの方へと顔を向けた。彼女もまた、身体中が白色に包まれていた。


「結城くん、服や髪が白く濡れているけれど……新屋敷くんと何かあった?」

「えっ! いや、別に! な、誠?」

「えへへっ。間違ってかけちゃった」


 誠は微笑むだけで何もいう事はなかった。おい、変な言い回しをするのはやめてくれ。ただただ、メロンのフラペチーノをかけられただけだから。


「あなたたち、そういう関係だったのね?」


 柊さんは平然を装いつつも、下品なものを見る視線をこちらへと向けてきた。俺に変なレッテルをつけるのはやめてくれ。しかも、よりにもよって柊さんから。

 ここは一旦、話題を変えよう。


「それにしても、珍しいね、柊さんから声をかけてくれるなんて」

「いえ。昨夜、急にドタキャンしたものだから何かあったかと思って。私が遅れたのが原因だったりしたかしら?」

「いや、全くもってそんな事はないよ。ちょっと急用ができてね。俺から誘っておいた手前、ほんとごめん」


「別に。それよりも、元気そうで良かったわ。また今度の機会に行きましょ」

「う、うんっ!」


 まさか今度は柊さんから誘ってくれるとは。次こそは絶対に叶えてみせる。

 下降気味だった俺の気分は上昇傾向に映った。昨夜、あれだけ痛い思いをしたのだ。これくらいラッキーな展開が起こらないと割りに合わないよな。


「ええっー! 柃、ドタキャンしたの! この意気地なし!」

「うるさいな、やむを得ない理由があったんだよ!」

  

 流石に誠には、通り魔に殺されたなんて口にできない。下手に話して、気を遣わせたくはないのだ。それに俺が狙われたということは、誠だって狙われる可能性があるのかもしれない。毎日、通り魔の被害に遭うかもしれないという恐怖を抱いて生活してほしくない。


 仲良く談笑しているとやがてチャイムが鳴り、朝のホームルームが始まる。

 未だに消えることのない白色の濁り。まずはこれの正体を突き止めることから始めた方が良さそうだな。


 そして、着替えるタイミングを逃した俺は授業が終わるまでべっとりとした液体の感覚を味わいながら過ごすこととなった。

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