半身社長

そうざ

Half of the President

 人は生死の境を彷徨い、九死に一生を得ると、人生観が変わる事がある。突然の大病から半年、数回に亘る手術と懸命なリハビリとを経て早くも職場復帰した社長は、開口一番、こう宣言した。

「今日から私は半身で生きて行く事にする」

 社員達の頭上に、きょとん、という擬音と共に色取り取りのハテナマークが浮かび上がるのを見るや、社長は説明を付け加えた。

「これまでのような仕事一辺倒の毎日ではなく、もっと自由気侭に人生を謳歌したいという事だ。多様性ってこういう事だろ?」

 裸一貫で会社の礎を築き、昼夜を問わず休日返上で働き、事業を拡大し続けて来た人である。そろそろ後進に道を譲るのも賢明な判断であろう。半身とは誠に粋な表現だなと誰もが感服を受けた。

 が、社長の日常に変化は見られない。現場主義を旨に分刻みのスケジュールで東奔西走、そのアグレッシブでフレキシブルな働き振りに、ベテラン社員も若手社員もシャッポを脱いで舌を巻くしかなかった。


「社長、先日の半身宣言は……」

 流石に気になった専務が皆の疑問符を掻き集めて訊いた。

「実行しとるよ。私の座右の銘が有言実行なのは、君も知ってるだろう」

「はぁ」

「今日、もう半身の私は海釣りに行っとるよ」

 既存の疑問符がっくり返り、聞き耳を立てていた社員連中が新たな疑問符を増産し始めている。

「君も鈍いねぇ。半身は仕事! 半身はそれ以外! そういう事だよ」

 そう言って社長が豪放磊落に笑ったので、専務は苦笑い、社員は引き攣り笑いを浮かべた。そして、生死の境を彷徨ったり、九死に一生を得たりするもんじゃないね、そもそも社長の手術は本当に成功したのかな、もっとリハビリが必要だろう、などと陰口を叩くようになった。

 同時に、復帰この方、社長の姿がうっすら透けているように見えるのと何か関係があるのかも知れないと納得し合った。


「それにしても薄過ぎやしないかね、最近の社長は」

 陽射しを浴びると輪郭が消えてしまい、背後の景色が透けて見える程になっている。

 何でも、やりたい事柄がどんどん増えてしまい、その度に半身が半身になり、その半身がまた半身に、を繰り返しているという。

 因みに、正確には、半身の半身は半々身、半々身の半身は半々々身、半々々身の半身は半々々々身という具合になるが、とてもややこしいし、そもそも正確に言う必要性がないので全て纏めて半身という事にしている。

 会議には必ず顔を出す社長だが、以前とは打って変わって口数が少なくなった。偶に口を挟んでも以前のような舌鋒の鋭さはなく、陽炎のようにその場に揺らめくばかりである。


 その朝、社長は社員を集め、自ら自分の訃報を口にした。

「昨日、私の半身の一人が事故で亡くなった」

 唖然とする社員一同、と同時に、実感の湧かない社員一同。

 何でも、その半身は海外でロッククライミング中に滑落し、三十メートル下の岩場にを強く打ち付けて即死したという。皆、死亡の事実よりも、年寄りの冷や水、下手の横好き、桂馬の高上がり等の諺を連想するのに忙しかった。

「半身が亡くなって、社長のお身体に影響はないんですか?」

「さぁ、私も初めての事だからよく分からんが、半身の一人くらい居なくなってもどうって事はないだろう」

 相変わらず見えるか見えないかの薄さで社長は首を傾げた。この一件から、『半身』は『分身』とは違うらしい事が人口に膾炙した。


 社長の半身達は正に思い思いの人生を謳歌しているらしい。

 紛争地域で決死の取材を試みる者、片田舎で食パン専門店を営む者、暗黒街の麻薬王と兄弟の契りを結ぶ者、若手落語家に弟子入りする者、何度も性転換をする者、ガード下で寝起きする者――全て社長が密かに思い描いていた生き方なのだと思うと、意外な気もしたし、もありなんという気もした。

 一度、国際刑事警察機構インターポールの人達が訪ねて来て、貴方の半身が国際指名手配されている、居所に心当たりはないか、と詰問されたが、社長は、自分を売るような真似は出来ない、と突っ撥ね、引き取って貰った。


 会社の業績は、多少の浮き沈みはありつつも安定している。これも社長が地道に築いた社風の賜物で、今では全社員が半身就業を実施しており、フレキシブルな働き方が当たり前になった。

 そんな或る日、再び社長が倒れた。脳梗塞だった。

「これがほんとの……半身不随っ」

 幸いにしてまた一命を取り留めた社長の一言である。

 直ぐに世界各地に散らばっている半身の中から後任が選ばれ、元社長は静養に入った。

 社長の存在感は極限まで削ぎに削がれ、居るのか居ないのかがよく判らない夫が毎日家に居る、と老妻は言った。

 そんな水入らずの日々は長く続かなかった。心不全だった。

 少し前から認知症の傾向が見られ、事ある毎に、自分が自分じゃない気がする、と口走っていたという。

 オリジナルの社長が居なくなると、流石に世界各地の半身も姿が見えなくなった。尤も、行方知れずの半身に関してはよく判らない。

 周囲の人間は皆一様に現実をすんなりと受け入れていた。こうやって緩やかに存在を消せたら、残った者を殊更に悲嘆させずに逝く事が出来るのだと感心するばかりだった。

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