文学帝王の遺産
飯田太朗
第1話 文学帝王が死んだ
一、魔法を保存し任意のタイミングで発動させる。
二、魔法の源たる魔力を蓄え動力源となる。
世に言う「魔蓄」とはこの二通りの使い道があるものを指す。そしてそう、この魔蓄の発明は画期的だった。それまで一部の才能のある人間にしか使えなかった魔法が、魔術が、ブリキでできた機械で再現できる。金属の塊に蓄えておける。それは素晴らしいことだった。ある種の革命とも言えた。技術が独占から解かれ、自由になった。人々はその自由の恩恵を享受した。
社会への普及は本当に一瞬だった。商品としての魔蓄が開発、販売された年の聖夜――聖夜と言えば家族からのプレゼントがつきものだけど――私は父のアントニィから自動筆記魔法の蓄えられた魔蓄ペンを贈ってもらった。通常の自動筆記魔法ペンは使用者に魔力がなければならず、また使用者の思考が、書き写される内容に影響が出る――早い話、晩御飯のことを考えながら授業のメモを取るといつの間にか目の前でシチューのレシピが完成している――のだが、魔蓄ペンはシンプルに使用者が意識を向けているもの、あるいは頭の中にあるものについてペンが情報をまとめていき、綴ってくれる。しかも邪念に惑わされない機能までついていて、しかも速記ができ、魔法筆記ペンと違って呪文なしで――もちろん任意のタイミングで――使用することができる。明らかに高性能だ。私の勉強の助けにもなるし、何より私はアルドリッジで――私の通う全寮制の学校のことよ――新聞クラブに所属していた。国内外の新聞を集めて情報を収集し、世界情勢について分かった気になったり……あるいは自分たちで新聞を作って校内に張り出したり、新聞記者ごっこよろしく校内のいろんな人に取材をして回ったりしているクラブだった。
兄のトバイアスは駒が魔蓄細工で動くボードゲームの一式をもらっていた。それが私生活において何の役に立つのかはさっぱりだったが、父も兄も目を輝かせていた。まったく、男ってやつは。
さぁ、そういうわけで魔蓄が私たち子供の社会にまで浸透してきた時期になって、その事件は起きた。それは訃報だった。読書好きな私にとってそれは大きな意味を持つニュースだったし、多分読書を趣味としない人にとっても、つまりはセントクルス連合王国の世の中的にもそうだっただろう。何せ出版業界の経済動向は、そして文芸界隈の文化的進展は全て、この件で話題になった彼が握っていると言っても過言ではなかったからだ。
そしてそんな彼を囲んでいた出版業界各方面は、まるで上司に親の死を報告しに行くように神妙な雰囲気でこう告知した。
「こんなことがあったんで、僕の起こす不始末には目を瞑ってください」とでも言わんばかり、文章も散らかって構成もめちゃくちゃだったが、日刊グリテン新聞はまずこう見出しを飾った。
〈文学帝王、フィルベルト・フォン・ラインホルト・ローゼ、死す〉
まぁ、品位よりも民衆心理を掻き立てることに意義を見出してるこの新聞社らしい。ぶっきらぼうな文章というか、なんというか。
一方、父が愛読している連合王国経済新聞にはこうあった。
〈『文学帝王』と称された稀代の大文豪、フィルベルト・フォン・ラインホルト・ローゼ氏、昨日未明、入院先の病院にて死去〉
書いている内容も字面的にもほぼ変わらないが連経新聞――連合王国経済新聞のことね――の方が上品な気がする。まぁ、気がするだけかもしれないけど。
さぁ、そういうわけで。
文学帝王が、死んだ。
私と親友のシャロンに新しい友達ができたのは、その訃報があったあとすぐ始まった、新学期でのことである。
*
「お母さん、容態は?」
私が話しかけると、シャロンはぼんやりと床を眺めた。抱き寄せられた教科書やノートが、小さく悲鳴をあげた気がした。
その沈黙が重くて、私はそれ以上何も訊かないことにした。学校にいる時に遠く離れた病院のことを考えても苦しいだけだ。今の私にできることは……シャロンの気を紛らわせて、苦しみを半分にすること。
「シャロン」
私は彼女を元気づけるべく、ある悪戯を提案した。悪戯、と言っても可愛いものだが。
「寮長室は知ってる?」
「ノウスレディの?」
私たちの通うアルドリッジ総合学校は、先ほども話したように全寮制で、校内には四つの寮があった。ノウスレディはリーダーシップがあり、イーストガールは腕白お転婆、サウスマンは本の虫、ウェストボーイはのんびりさん――本当にこんなことが校歌の歌詞に書かれてるのよ――。
私とシャロンはノウスレディに所属していた。校歌にはリーダーシップとあるけれど……リーダーシップ、ねぇ。
「ううん。ノウスレディのだけじゃないわ」
私は続けた。
「全寮長室。ノウスレディはもちろん、サウスマンもウェストボーイもイーストガールも、寮長なら誰でも使える秘密の部屋」
「知らない」
シャロンは首を横に振った。
「そんなのがあるの?」
「あるのよ、それが」
私はシャロンに階段横の小休憩ができそうなスペース――本当は荷物かなんかを一時的に置く場所だと思うけど――を示して腰をかけた。隣をポンポン、と示すと、シャロンが座った。
「ノウスレディ、サウスマン、イーストガール、ウェストボーイ、それぞれの寮長のみが入ることを許された部屋があるの。寮を超えた親睦を深めるための、言わば秘密クラブとして作られた部屋らしいんだけど、今は寮長の中でもその存在を知る人しか使ってない、そんな部屋があるの」
うんうん、とシャロンが頷く。そういうところ、可愛い。
「でね、その部屋、大浴場があるんだけど」
「すっごい大きなお風呂?」
「そう。何十人と入れるそうよ」
「それ、すごいね」
「特に女子風呂は男子風呂より大きいらしいの」
「へぇ!」
「入りたくない?」
へ、とシャロンが固まった。私はそれがおかしくて続けた。
「入っちゃお! 寮長室のお風呂!」
*
寮長室は中央棟の四階にあった。四という数字はアルドリッジにとって特別で、学校の創始者が四人の賢魔女だったことに由来する。それぞれの賢さの象徴が菱に例えられ、四つの菱が集まった四つ菱が校章にあしらわれている。
アルドリッジは東西南北中央、それぞれ五棟の四階が「特別なフロア」とされている。明文化されていないが、一年生は入ってはならない。
さて、そんな「特別なフロア」で寮長室を探すのは苦労しなかった。これでも一応新聞クラブ。噂には聞いていたのだ。
寮長室には、長い文章を一気に綴ることで入れる。フロア中央に聳える慈愛の女神像。その足元をくすぐるように綴る。
その文言は、手元の狂いなしに書くにはそれなりの勉強が必要で、文言を知ってるからといって誰でも入れるわけではない、のだが……。
「文言は知ってるの?」
シャロンの問いに私は答える。
「もちろん。新聞クラブ伝手でね!」
「さすが校内のゴシップ通」
「えへん」
「でもそれ、綴れるの?」
「任せて」
と、私は自動筆記魔蓄ペンを取り出す。
「それでは」
と、ペンのクリップをパチリと鳴らした。
途端に綴られる、私の知識。
頭の中には例の文言。魔蓄ペンが一気に綴ってくれる。
「すごい……」
ポカンとするシャロンに私は笑う。
「魔蓄の発展で、アルドリッジもセキュリティを見直さないとね」
さて、そんなわけで。
寮長室は、文言を綴った人間の性別に合わせて男子部屋女子部屋が自動で別れる。私たちはもちろん、女子部屋。
そうして辿り着いた寮長室。立派な暖炉に、雑誌の並んだ棚、それから素敵なランプにシャンデリア。部屋の奥の真ん中に、大きな大きな鏡がひとつ。
「この鏡の奥らしいわ」
「鏡の奥?」
「そう。鏡に息を吹きかけて、入りたい部屋を書くのよ。トイレなら『トイレ』。寮長室に限らず、寮長に関係するところならどこでも行けるらしいわ」
ほうっと、鏡に息を吐いてから、曇った鏡面に指で綴る。「お風呂」。
鏡が、透き通る。その奥に続く、階段。下に向かっている。
「鏡は通り抜けられるらしいわ」
と、手を伸ばしてみる。
鏡面が水面になったように、すっと、私の手が入る。これなら全身入れそうだ。
「行こう」
シャロンと一緒に、鏡をくぐる。
「ひ、人前で裸っ?」
階段の下、大きな棚が珊瑚礁みたいに並んだ脱衣所で、私がそそくさと制服を脱いでいると、シャロンが甲高い声を上げた。私は平然と応えた。
「何よ。女同士じゃない」
「み、水着とかは? 置いてないの?」
周囲を見渡すシャロン。まぁ、その反応も無理はない。東クランフの一部を除き、王国では人前で肌を晒すのは破廉恥だと思われている。ましてや女性が胴の部分を晒すなんて論外という風潮……でもシャロンのお父さん、確か東クランフの出身よね?
「東洋じゃみんな裸で大きなお風呂に入るそうよ」
私は本で読んだ知識を披露する。それに私は、連合王国北のグリテン地方の出身だけど、同性同士なら肌を見せることに抵抗はない。
「え、ええ……」
さっさと裸になった私を、シャロンは恥ずかしそうに、見つめた。頬が……いや、耳まで真っ赤!
「何であなたが恥ずかしがってるのよ」
「い、いや、その……」
「ほら、脱いだ脱いだ!」
「ええ……」
と、抵抗するんだかしないんだか、シャロンはくるくると剥かれた。そして見えた……彼女の白い肌! もう、羨ましい。
「はい、入ります」
「うん……」
腕でしっかり前を隠すシャロンの手を引き大浴場へ。ゆっくり、扉を開けると……!
二人して言葉を失った。すごい。図書館――アルドリッジは学校図書室が大きすぎて図書館と呼ばれている――にも負けないくらい、広い!
入ってすぐ、正面には泉を模したような、徐々に深くなっていく大風呂がひとつ、あった。傍に目をやると、滝のようにお湯が流れる湯浴び場。足元に石鹸が一式置かれているからあそこで体を洗うのかしらね。それから、パチパチと音を立てて輝いている、かまくらみたいな部屋。あれは火風呂――グリテン地方の更に北、フィムラド半島の名物。いわゆる蒸し風呂だけど、とにかくあっつい! 目玉からも汗をかくわ――。それから、小川のような流れるお風呂。火風呂の傍にあるからか、どこか涼しげ。
「あはは!」
思わず声が出る。
「すごいお風呂! 入ったら気持ちいいよ!」
「す、すごいね……」
いつの間にかシャロンも腕のガードを解いて、ありのままでいる。いいね、気分転換になりそう!
「飛び込んじゃお!」
私は大風呂を示す。
「ダメだよ。まず体洗わないと……」
と、二人でごちゃごちゃしていた時だった。
湯煙の向こう、大風呂の奥から、女の子の――女風呂だから当たり前だけど――声がした。
「誰? 誰かいるの?」
それはか細くて、か弱い、そして妖精の囁きのような、綺麗な声だった。
思えばこれが私とシャロンとクリスティーナの、運命的な出会いだった。
文字通り包み隠さず邂逅した私たちは、警戒色たっぷりにお互いを認知した。
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