銀河鉄道の立ち食い蕎麦:第三三九セントラルステーション店
和泉茉樹
銀河鉄道の立ち食い蕎麦:第三三九セントラルステーション店
◆
この度は銀河鉄道ネイバー線をご利用いただき、誠にありがとうございます。
次の停車は第三三九セントラルステーションになります。パールラグーン線、ホエイル線、レインレイン線はすぐのお乗り換えとなります。ホームに各列車へのガイドが表示されますので、ご利用ください。
第三三九セントラルステーションでの停車時間は三十六時間になります。ただいま、当列車へ連絡する予定の列車に遅れが生じておりますので、発車時刻は予定より遅れる見込みです。発車時間に関しましては決まり次第、アナウンス致します。
次の停車は第三三九セントラルステーション、第三三九セントラルステーションになります。
◆
冷凍睡眠から目が醒める時、不快感を感じるようになった。
悲観的に見ると棺桶のようにも見える装置から起き上がり、用意されているローブを羽織って、これも用意されている胃腸の状態を整える液薬を飲む。喉が拒絶するような動きをして、飲み込むことさえも難儀するようになっている。
飲みくだしてから、息苦しさを感じて、よろよろと椅子に腰を下ろす。
意味もなく自分の手を見るが、冷凍睡眠は体の老化をほぼ停止させているので、そこにあるのはややくたびれた普通の手だ。特別に節くれ立っているのでもなく、特別に皺が刻まれているわけでもなく、シミが浮いているようでもない。
壁に埋め込まれている時計を見る。地球時間の時計で、そこには宇宙歴さえも表示されていた。
その数字を見れば、自分の生存年齢が一〇〇を超えていることがわかるが、実感はなかった。
六十歳を超えたところで、仕事を辞め、旅に出た。はっきり言って、自分勝手なわがままだった。しかし自分の中にある好奇心、生きがいのようなものを、宇宙に見出した以上、それを無視することはできなかった。
銀河鉄道に乗り込み、二十年の冷凍睡眠で、まったく見知らぬ場所で目を覚ました時、そこには今まで見たことのない世界が広がっていた、なんてことはなかった。
期待はあっさりと打ち砕かれた。
宇宙の果てのはずなのに、人間の文明がそこにあるだけのことだった。
まったく新しい文化や風習なんて、そう生まれるわけがない。人間の生活圏は、隅から隅まで拡散された現代文明と現代文化の複製に過ぎないのだと、やっと悟った。
もちろん、些細な違いはある。でもそんなものは、宇宙などというスケールではなくとも、どこにでもある。惑星一つでも、その球体の全部が同一の文化に染まっているわけではない。
私は数年、その宇宙の果てで、ひっそりと生活した。言葉が伝わらないわけではないのが、私を日々、疲弊させた。宇宙共通語に乱れ、訛りはあっても、ここでも宇宙共有語が使われているのは、つまり二十年の年を経て辿り着いた宇宙の果てまで来ても、今までに生きてきた世界から抜け出せてはいない、ということだった。
ショックだった。
夢見ていた世界は、どこにもないと、六十を越えて理解した自分にも悲観的になった。
私は再び銀河鉄道へ乗り、故郷への帰路に着いた。
二十年の冷凍睡眠。そして今、すぐそばまで戻ってきた。
冷凍睡眠の後遺症の息苦しさが和らいできた時、部屋のインターフォンが鳴った。これも冷凍睡眠の影響か、両足、腰が軋むような気がしたが、無視して立ち上がる。一〇〇歳だとしても、体は六十代のはずだ。
壁に埋め込まれている端末の前に立つと、画面にコンシェルジュの女性が映った。
手紙が届いている、という内容だった。
誰からかを聞こうと思ったが、言葉が喉にひっかかった。
直感が答えを導き出していたこともある。
間違いない、胸の内に沸いたのは確信だった。
部屋に届けて欲しいと頼むと、ポストへ投函いたします、と丁寧な言葉の後、通信は切れた。
椅子に戻って座ろうとしたが、ぎこちなくとしか体が動かない。なんとか椅子に座って待っていると、部屋に備え付けのポストに手紙が投函され、それを伝えるランプが明滅し始める。
しばらくそれを見ているうちに、体の感覚が戻ってきた。
呼吸を整え、ぐっと力を込めて椅子から立ち上がり、ポストから手紙を取り出した。立って読む体力がないと思えたので、ソファへ移動した。柔らかいクッションに包まれるようになり、楽な姿勢をとる。
手紙の差し出し人は、やはり想像した相手だった。
私には妻がいる。娘も、孫もいる。
銀河鉄道の旅に出るとき、妻に同行して欲しいと私は頼んだ。
しかし妻の返答は、娘も、孫もいるのに、冷凍睡眠で旅に出ることは考えられない、というものだった。
妻は私の希望を否定はしなかった。突き放すわけではなく、むしろ、自分の方が申し訳ないと、自責の念を持っているようですらあった。
あなたと一緒に行けないのを寂しく思うけれど、子どもたちと同じ時間を過ごしたい。
妻の言葉に私は迷った。一度、旅に出てしまえば、戻ってくる時には四十年以上が過ぎている。普通に考えれば私と同年代の妻が生きているはずがない。
そして、銀河鉄道に乗る以上、容易に連絡も取れなくなる。
離婚しようとはどちらも言い出さなかった。
しかし、また会えるとも思っていなかった。少なくとも私は。
私は手の中にある妻の手紙を開封するべきか、悩み、結局、開封しなかった。
また壁の端末が着信音を発したからだ。もう体は普通に動くようになっていた。端末で通話を受けると、コンシェルジュで、来客があると伝えられた。
聞いた名前は、よく知っている名前だった。
娘なのだ。忘れている方がおかしい。
カフェテリアでお待ちですが、お会いしますかとコンシェルジュは確認してきた。
私はそれを承諾し、身支度に取り掛かった。しかしそれもすぐに済んで、私は頭の中で思考をめまぐるしく回転させ、しかしどこにも辿り着かないまま、部屋を出て、通路を進んた。
カフェテリアにはそれほど人はいなかったが、娘の顔はすぐにわかった。
年を取っている、と思ったが、当たり前だ、彼女と私の肉体年齢には四十年のズレが生じているのだ。もう私より娘の方が年を取っているのだった。
彼女がこちらを見て、しかしそこにあるのは感情のない表情だった。
「お久しぶりです」
娘は淡々と言った。私は彼女の向かいの席に座り、近づいてきた給仕にミルクティーを頼んだ。娘の前にはすでにコーヒーカップがある。
「久しぶりだね」
「お母さんは亡くなりました」
単刀直入な言葉に、うん、と自然と頷けたのは何故だろう。
覚悟していたかもしれない。誰でも予想できることだったから。
ただ、本来なら、もっと感情が強く押し寄せてくるような気もした。そして私はパートナーを放り出したのだから、目の前にいる娘からもっと責められてもいいはずだった。
涙の一つでもこぼし、嗚咽の一つでも漏らすべきだった。
許しを請うべきだった。
それなのに、ゆったりとした椅子に腰掛け、目の前に座る初老の女性を、ただ見ている自分がいる。
余裕たっぷりに。
「何かいうことはないの?」
不意に娘の表情に感情が走り、眼光に鋭いものが宿った。
それでいい、と思った。
私を責め、詰ってくれ。
少しでも悲しみを思い出させるために。
「すまないことをしたと思う」
そう答える私に、娘の目がつり上がった。
「すまないことをした? そんな言葉で済ませられると思う?」
言葉が出ない。
何を言っても、言い訳にしかならないだろう。
全ては最初から決まっていた。冷凍睡眠装置に横たわった時、銀河鉄道に乗り込んだ時、いや、銀河鉄道のチケットを買った時から、こうなることは決まっていた。
私は家族を捨てたのだ。妻も、娘も、孫も、捨てた。
それもただ捨てたわけではない。
時間の彼方へ放り出したのだ。
二度と同じ世界に生きられないように。
「勝手な人。なんで戻ってきたの? どういう気持ちで戻ってくることができたの?」
墓前に、と言おうとした。
そこへ給仕がミルクティーの入ったカップを持ってやってきたので、会話は中断した。
娘は給仕が離れて行ってから、コーヒーを飲み干すと、すっくと立ち上がった。違う、少しだけ動作がぎこちない。娘ももう、二十代の若者ではないのだ。
四十年というのは、長い時間なのだと、現実的に理解できた。
まっすぐに立って私を見下ろした娘が、嫌悪感の滲む声を向けてくる。
「もうあなたが戻ってくるところはない。どこへでも好きなところへ行けばいい。宇宙の果てでも、どこへでも」
娘の目元が潤んでいるように見えたのは気のせいか。
身を翻して、そのまま娘はカフェテリアを出て行った。
ひとりきりになり、ゆっくりとミルクティーを飲みながら、私はしばらくその席にいた。
どれだけ言葉を尽くしたところで、自己弁護に過ぎないし、やはり言い訳だ。それでも、墓前に花を手向けることくらいは、許されるだろう。
いや、許してほしい。
どこの墓地に葬られているか、娘から聞くことは難しいだろう。どこへ問い合わせればいいのか。
それに、自分のこれからの身の振り方を考えないといけない。
銀河鉄道に全てを託し、そして全てを失った人間に、どんな居場所が残されているだろう。
ミルクティーを飲み終わってから、ホームに降りてみる気になった。体がどんな具合か不安だったが、もう関節や筋肉の感触は滑らかになったし、ミルクティーを飲んだせいだろう、空腹感があった。
ホームには幾人もの人が行き来している。
そのホームに面した店舗の一つに、立ち食い蕎麦屋があった。そういえば、二十年の彼方にあるステーションでも蕎麦屋はあった。それさえも私の失望の一因ではあったけど、今は不快感はない。
何気なく入ってみると、何故か男性ばかりの客が、ずらりと並んでいた。
「いらっしゃいませ、食券をお買い求めください」
忙しそうにしている店員が声をかけてくる。券売機で、私はかけそばを注文した。下手な注文をすると、奇想天外な料理が出てくる、という都市伝説もあるが、単純に胃腸を気にしたからだった。いきなり重たいものを入れる気にはなれない。
食券を差し出すと、しばらくして蕎麦が用意された。透き通っているような汁に、灰色の麺。いたって普通の蕎麦だ。
箸で手繰ると、何か懐かしい気がした。そう、まだ地上で生活している時、家族で蕎麦を食べに行った気がする。冷凍睡眠で記憶がやられたわけではないだろうが、判然としないが、娘はまだ幼かった頃ではないか。
蕎麦はあっという間に食べ終わった。
ごちそうさま、と丼を返すと「ありがとうございました」と店員が溌剌とした声で答えた。
自分が変に年寄りのような気がした。実際、一〇〇年も前に生まれているのだ。三分の一以上を冷凍されていたとはいえ。
表へ出て、眠っていたここ二十年の間に何があったか、調べようかと思ったけれど、まずは列車の自分の部屋へ戻ることにした。
妻が残した手紙が、まだ開封されずにそこにある。
何が書かれているかは、想像がつかない。
どういう内容にせよ、読まなくてはいけない。
私が妻に対してできることは、今はそれしか残されていなかった。
自分が生きる世界とそこに住む人々を捨てた私に今、唯一残されている使命だった。
私という人間が、絶望するにせよ、救済されるにせよ。
(了)
銀河鉄道の立ち食い蕎麦:第三三九セントラルステーション店 和泉茉樹 @idumimaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
相撲談義/和泉茉樹
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 27話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます