李勣考

司弐紘

第1話 老いては駄馬に劣るものなのか?

 ここは文化センター「やすらぎ」の三階にある図書館。その一角に設けられた談話スペースだ。高さも低く背もたれの無いソファとも呼べないような椅子だけが寄り集まっている。

 すぐ近くに児童に向けた絵本スペースがあるので、一緒に来た親に向けてサービスの一環としてこういったスペースを用意したのであろう。

 もちろん目的としてはそれだけに限定されるはずも無く、今この場にいる二人は文化センターの近くにある越谷高校の男子生徒だった。

「そもそも『老人』というカテゴリに自動的に嵌めてしまうのが良くないですね。例えばある程度の年齢――二十歳以上となれば『いい大人なんだから』という注意がある程度の説得力を持つことになりますよね?」

 何かしらのハードカバーの書籍を膝の上に置いて、熱弁を振るっているのは越谷高校の二年生、青田である。

 やたらに姿勢が良く、髪は七三分け。最近はまず見かけないような風貌の持ち主だ。平凡であることを心がけているようだが、爛々と光る両目があまりに異質。

 それもそのはずで、この男「軍師志望者」と自らを位置づけていた。だからこそ、とい言うべきか、考え方が常人とは違う。

「それはまぁ、そうかも知れないな。高校生でも『いい年をして』ぐらいは言われるし」

 相手をしているのは同校三年の志藤だ。文芸部の元・部長である。風采は言葉を選ばなければ、あまりパッとはしない。背も低く、姿勢も悪い。

 しかしながら青田のような男に慕われているのは、やはり日頃の言動で人望を集めているからなのだろう。

「そうです。では、どのタイミングから『お年寄りだから仕方がない』と言われる年齢になるのでしょう?」

 青田にそう言われて志藤は首を捻った。

 見た目が老人なら、という辺りが一番近いのかも知れないが、年齢が容貌に反映するかどうかは個人差が大きすぎる。その曖昧な基準で「老人」という、特権階級に押し込んでしまうのは、個人であっても社会全体から見ても不利益が大きいように志藤は俯瞰してしまったからだ。

 安易に「社会的通念」という言葉を用いない辺りが、志藤の人望の高さを裏付けているわけだが、これでは話が前に進まない。

「実はこういった『老人だから仕方がない』という考え方、歴史を考える上で害悪になっている可能性があると俺は考えています」

 志藤が迷っていると、青田が勝手に話を先に進めてしまった。

「その点、塚本靑史氏の……何でしたか。そうそう確か『仲達』という小説は見事でしたね」

「仲達ってのは、三国志に出てくる魏の軍師か」

 そういえば、元はそういった話をしていたのだ。図書館であるので、ある意味書評のような話から「老人」についての話になったわけで……志藤は何故そうなったのか? と首を捻りながら青田に付き合ってみる。

 この後輩の話すことは、概ねにおいてそれほど外れてはいないからだ。

 ――最終的には、という注釈をつければ、だが。

「そうです。あざなまで含めて司馬懿仲達。事実上『晋王朝』の創始者ですね。ただ、俺がこの本で感心したのは呉の君主、孫権と、諸葛孔明の描き方です」

 司馬懿にしても諸葛亮孔明にしても、大軍師として日本では名を知られた人物だ。だからこそ青田がこの二人にこだわっているかというと、それは違う。

 青田はこの二人を軍師としてはさほど評価していないことを、志藤は知っており、さらに気になるのは孫権の名が出てきたこと。

 まだまだ話は回り道をするようだ。

 それでも切り口としては孔明から切り込むことが良いように志藤は俯瞰し、まずは孔明についてから説明を求めることにする。

「……確かに諸葛孔明から説明した方が手早いですね。彼が南方経営に乗り出したのはご存じですか?」

「ああ、その辺りは漫画で……あれって経営なのか?」

「征伐では無いでしょうね。実は何故南方経営に乗り出したのか? という部分が肝でして」

 よほど面白かったのだろう。青田が身を乗り出してきた。

「南方を手中に収めんとしたのは、南方で採取できるある種の植物を手に入れるため、と設定されておりまして」

「植物?」

「言ってしまえば麻薬ですね」

 志藤は呆気にとられて黙り込んでしまった。だがもちろん、青田の説明は止まらない。

「南方は当時は『交趾郡』と呼ばれていて……この辺りはご存じですか。現在の北ベトナムを指していますね。これに現在のラオスが含まれていると考えることは、それほど無茶な想像では無い」

 志藤の持っている怪しい地理感覚でも、それはそうだろうと納得出来る説明だ。

「そしてラオスには芥子栽培で有名な黄金の三角地帯がある。三国時代にその萌芽があったと考えるのは実に面白い発想だ」

「まぁ、発想だけならな」

「そして、そうやって獲得した麻薬を諸葛孔明は裏から孫権に提供するわけです。狙いは呉を手に入れるためと言うよりは魏と呉を戦わせる意図があったのでしょう」

 いきなり飛躍した説明に志藤は目を白黒させた。だが確かに孫権が絡んできている。

「荒唐無稽な話に見えるわけですが、孫権が老境に至るに従って、君主としての才覚に陰りが見えてくる。それどころか暴君と呼んでも良い。これは史書から見ても確実なこと。では何故そのように変化したのか? 一般的には『老人であるから仕方がない』と、一種思考放棄とも思われる解釈が為されておりますが――」

「なるほど。そこで麻薬中毒という発想が出てくるわけか。確かに、それは面白いな」

 ついに繋がった青田の話。それで満足しようとした志藤だったが、青田の話はまだ続くようだ。

「実はこういった『老人だから仕方がない』という考え方を元にして、貶められている人物がいると俺は考えてるんですよ」

「それは歴史上の?」

「はい。最終的には李勣りせきと呼ばれる人物です」

 それを聞いた志藤は肩をすくめた。それを聞いただけで、どれだけややこしい人物かは窺えるからだ。

 何しろ「最終的に」なんて注釈が必要になるのだから。

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