つかずはなれず

西野ゆう

第1話 カイのいいわけ

「え? お化け屋敷?」

「おう、北インターの近くに廃校になった分校があるだろ? あそこをお化け屋敷にしてるんだってさ」

「いや、そうじゃなくてさ。なんでせっかくの休みに、カイとお化け屋敷に行かなきゃいけないんだよって話ね」

 昼休憩に入るや否や、俺はデスクの引き出しからチケットを二枚出して、杏奈の目の前にちらつかせた。チケットには血まみれの顔で恨めしそうに睨む、いかにも日本のお化けです、といった感じのイラストが描かれている。それを見た瞬間、杏奈の顔が引きつる。

「ああ、怖いのか。そうなんだ。杏奈は幽霊が怖い、と」

 こういう風に言えば、杏奈は反発してくるはず。そう思ったが、甘かったようだ。

「べ、別に怖くなんかないんだからね! とでも言うと思ったの? さっきも言ったでしょ。なんで貴重な休みを、カイとお化け屋敷なんかに行って消費しないといけないの?」

「分かったよ。誰か他の子誘うから」

 何だろうな。そんなに拒絶するか?

 杏奈からは、それなりに好意を持たれているだろうと思っていた分、少しショックを受けた。仕方なく午後の業務に向けての準備を始めることにする。

「とは言ってもなぁ。取引先からもらったチケットだから、感想は伝えないといけないんだよな。他に行きたい子もいないし、彼氏持ちの子誘うわけにもいかないし。誰かに譲るか」

 最後に思いついた言い訳だ。取引先からもらったのは本当だが、必要なのはチケットのデザインの評価だけで、イベントの中身は関係ない。

 それでも、その言い訳に賭けて、杏奈に聞こえるかどうかのボリュームで呟く。

 反応を待つように頭の後ろで手を組んで、椅子の背もたれに体重を預け、デスクの上に置かれた二枚のチケットを眺めている。すると、そのチケットの上に重なるように、別のチケットが横から飛んできた。

「これに付き合ってくれるなら、行ってやってもいい」

 何だよ、と声をかける前に、杏奈は手洗いの方へ消えていった。

「何だよこれ」

 チケットを手に取って思わず椅子から転げ落ちそうになった。

「って、マジかよアイツ」

 それは、宇宙が怖いと言っていた杏奈が誘ってくるとは思えない、プラネタリウムでのイベントチケットだった。


 期間限定でお化け屋敷がオープンしている郊外の廃校と、市街地ど真ん中にあるプラネタリウムとでは、車で一時間ほども離れている。

 夏休み最後の日曜日ということもあってか、道路は普段の日曜日よりも若干交通量が多いようだ。

 それを見越して、俺が朝の九時に杏奈を迎えに行くという、夜型の二人にとってはやや早めの時間を設定した。

「マンション、着いたよ」

 杏奈が住むマンションの前に車を寄せて杏奈の携帯に電話をかけると、「すぐ降りる」と、まだややかすれた声で返事があった。ほどなくパンツスタイルの杏奈が朝日を恨めしそうに一瞥してマンションから出て来た。

「もう、夜窓開けっぱなしで寝たら寒くて喉イガイガなのに、なにこれ? 九時だよね? まだ九時だよね? 日差しジリジリ!」

 俺の方を見ることもなく助手席に潜り込み、口数多くまくしたてる様に、明らかな照れ隠しの陰が見えて思わず笑った。

 こういう所が可愛くて仕方がない。

「何笑ってんの?」

「何でもねえよ」

「気持ち悪いヤツ……」

 車が高速に上がると、その流れは思ったよりもスムーズだった。

「高速は意外と少ないね」

「最後の日曜だからな。遠出するには向かないんだろ」

「子供たちは宿題の追い込みかぁ。とはいえ、良いな夏休み。子供の頃はさ、大人になって夏休み無くなっちゃったら、どうやって生きていっていいか分かんない、なんて真剣に考えてたけど」

 少女に戻ったその横顔を盗み見て俺がまた笑っていると、当たり前のようにあのセリフが飛んできた。

「ニヤニヤして、ほんっと気持ち悪いヤツ……」

 そう言いながらも軽い表情の杏奈に、エンジンも軽やかに回転している。

「さ、もう着くぜ。この分じゃお化け屋敷も少なそうだ」

 営業開始の十時から十五分過ぎて到着したが、どうやら俺たちがこの日最初の客のようだ。

「一番だ……」

 そう呟く杏奈の表情は、やけににこやかだった。

「そんなに一番ってのが嬉しいのか?」

 俺にはそれが少し意外だった。

「当たり前だって。先行者が居たら悲鳴とか声で先に何かあるって構えちゃうじゃん? それじゃ面白くないよ」

 なんということだろうか。本当にお化け屋敷など怖くないらしい。普段とは違って、怖がる杏奈を見てみたかったのに。

 俺は若干気落ちしながらも、わざとボロボロに破かれた暖簾を潜り、お化け屋敷の中へと入っていった。

 常設ではないと言っても、そこそこの集客実績のある企業の手が入っているらしく、下品に驚かせるだけではない、じわじわと鳥肌が立つような演出がなされていた。

「人形だから……、に、人形なんだから……」

 気が付くと並んで歩いていた杏奈が一歩下がり、例によって俺の袖口をつまんでいる。どうやら怖くないわけではないらしい。怖いのを楽しめる性格のようだ。

 不思議なもので、近くに怖がる人間がいると、一方の者は冷静になるものだ。

 俺は怖がり始めた杏奈にまた笑ったが、杏奈には「気持ち悪いヤツ」などという余裕もなさそうだった。

 そろそろ終盤に差し掛かってきただろうか。光が差す方へと直角に通路を曲がると、正面に裏側から照明が当てられた襖があった。それはカタカタと音を立てて揺れており、間違いなく近づいた時に開くであろうと簡単に予想できた。

「あそこ、やっぱ開くんだろうな」

「そりゃ、開くにき、決まってるじゃん」

 どうやら杏奈は完全に思惑に嵌っているようで、見えない部分を勝手に想像し、恐怖を募らせ、目が離せなくなってしまっていた。

 しかし、その襖は近づいても開くことはなかった。

 そして、その角を曲がると、出口の明かりが見えた。

「あれ? なんだ、もう。最後に拍子抜けしちゃったね」

「そういう割に、結構楽しんでたみたいだけど?」

 そう言って杏奈の顔を覗き見て笑って見せると、やはり思った通りの反応が返ってきた。

「な、なによ! 気持ちわるっ」

 そこまで杏奈が口にした時、背後から突然激しく襖が開く音がしたかと思うと、大勢の人間、もしくは化け物達が一斉に走り出す足音が聞こえて来た。

「いやあ!」

「うわああああ!」

 実際には何も出てきてはいなかったものの、その無数の足音に振り向きもせず二人とも出口を駆け抜けた。

 その直前、鴨居の部分がまぶしく光ったのを確認して、俺は「しまった」と思ったが、杏奈はその部分が光ったことさえも気付かなかったようだ。

 スタッフに見せられたモニターに映る写真には、無様に髪を振り乱して叫び声を上げている俺たちの姿が写っていた。

 正直杏奈がその写真を買うとは思わなかったので、俺は若干驚いた。

「それにしてもひでぇ顔してるな、二人とも」

「二人とも? 私は綺麗に撮れてるじゃない。ほら、前見に行った映画のワンシーンみたい」

 前観に行った映画のワンシーンと言われても、ピンとくるものはなかったが、まあ見ようによっては、であった。

「だからって買う程のもんか? こういう所の写真って異常に高いし」

「何事も記念よ、記念! ああ、喉乾いた。おい、ビビりのカイ! ジュース買って来い!」

「はあ? どっちがビビりだか。まあいけどさ」

 今日はいつもの生意気も、少しは許してやろうという気分だった。

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