第2話:ルカ 第1章①

 ピンと張り詰めた空気が、謁見の間に満ちている。

 しつらえられた調度品は、照明から絨毯に到るまで、すべてが豪華絢爛。中でも、一段高い場所に据えられた玉座は、黄金と色とりどりの宝玉で飾り立てられており、まるで召し出された人間に、国家の威容をまざまざと見せ付けるかのようだ。

「――黄金のベリンダよ」

 威圧的とも取れる重々しい声音が、目前で平伏するローブ姿の魔導士に語りかける。名を呼ばれたベリンダは、はい、と小さく答えて美しい顔を上げた。豪奢ごうしゃな玉座に劣らぬ凄味と美貌を兼ね備えた絶対君主――国王アデルバート2世は、底の知れない笑みを浮かべている。

「そなたの存在は、我が国の誉れだ。我はそなたを信頼しておる」

 称賛に、ベリンダはわずかに瞳を伏せることで応じた。招聘しょうへいの理由が賛美を受けるためでないことは、よく理解しているつもりだ。そうでなければ、触れれば弾け飛びそうなこの場の空気と、控えた家臣達の緊張感の説明がつかない。

 果たして、若き国王の不遜な声は、「なればこそよ」と調子を変えた。

「なればこそ、此度こたびのそなたの振る舞いが解せぬのだ――何ゆえ、討伐軍への加勢を拒む? 『予言の子供』は、無事手元に戻ったのであろう?」

「…………」

 やはり、とベリンダは、心中密かに嘆息を漏らした。糾弾の理由は、「魔王をたおす」との予言を得て生まれるはずだった孫を、異世界から転生させることに成功したにも関わらず、国家事業である魔王討伐隊への合流を拒んでいることに他ならない。

 覚悟はしていたのだ。有能の誉れ高いが、独断専行のきらいもあるアデルバートは、魔王軍の再侵攻よりも前、魔王復活の報と同時に、討伐隊の正式な結成を決めた。ここへ『予言の子供』の帰還が加わるのだから、百万の味方を得たつもりでいてもおかしくはない。民衆の期待も、おおむね同じようなものだろう――自らの身の安全と引き換えに、我が孫の命を危険にさらせと言うのだ。

 玉座に片肘をついた王は、ベリンダのわだかまりにまったく気付いた様子もなく、小さく首を横に降った。

「そなたも『あの者』には、相応の恨みもあろうに……」

 芝居かがった仕草に、背に流した輝くような黄金の長髪がサラリと揺れる。「魔王」などと口にするのも汚らわしい、という君主の考えは容易に見て取れた。幼い頃から否応なく成長を見守ってきたのだ。アレにひとかたならぬ恨みがあるのは、ベリンダもアデルバートも同じである。

 しかし、そもそもベリンダには、大事な孫を魔王退治の最前線に立たせるつもりは、一切なかった。それでなくとも、不確かな予言如きもののために、生まれる前に失った存在だ。長い年月をかけ、ようやくこの手に取り戻せたものを、みすみす危険な目に遇わせる道理はない。

 その上「討伐隊」などと銘打ち、大規模な軍を編成しては、いたずらに魔王を刺激しかねないではないか――

 意を決し、ベリンダは昂然こうぜんと顔を上げた。今日ここへ召し出されたのは、業を煮やした君主の舌鋒ぜっぽうに耐えるためではない。

「――恐れながら、陛下にご奏上そうじょう申し上げます」

「――!」

 かねてよりの計画を口にしたベリンダに、アデルバート2世の紅玉こうぎょくの瞳がキラリと光った。


                  ●


 風光明媚な景観と肥沃ひよくな土壌に恵まれ、観光事業と花卉かき栽培で潤う地方都市、ハーフェル。

 春の花祭りに代表される諸催事で、例年多くの人出を集めるが、中でもこの町をひときわ有名足らしめているのは、大魔法使い『黄金のベリンダ』の住まうところであるという触れ込みだろう。彼女は町を見下ろす小高い丘の上に居を構え、魔術の研鑽けんさんと後進の育成、種々の人助けを生業としながら、慎ましやかに暮らしているという。

 ――さて、その大魔法使い所有の、可愛らしい一軒家にて。

 一階部分のほとんどを占める広いリビングで、1人の少年がせっせと石臼いしうすを挽いていた。草花の刺繍の施されたクッションに身を埋めることなく、床に直に両膝を着いた体勢で磨り潰しているのは、薬草だろうか。臼自体が軽量化されたものであるとはいえ、それなりに力の必要な作業だ。額にうっすらと汗を浮かべた姿はとても愛らしく、華奢な身体で一生懸命器械きかいを操る様子には、誰もが庇護欲を駆り立てられる何かがあった。

 少年の名は、ルカ・フェアリーベル。この家の持ち主である、大魔法使い『黄金のベリンダ』こと、ベリンダ・ミドルトンの直系の孫に当たる。

 現在ベリンダは王宮へ呼び出されて不在、彼女の弟子で、同居人つルカの幼馴染みでもあるユージーンは、与えられた課題を消化するため、2階の祖母の執務室に籠りきりだ。その間、ルカはこうして、祖母の精製するポーションの材料をこしらえているところ――なのだが。

「………………」

 適度にすりおろした薬草をガーゼに取り、瓶に小分けに搾り分けていきながら、ルカは短く溜め息をついた。自分はいったい、何をしているのだろう、と。

 みんなそれぞれ仕事や勉強をしているのに、ルカには何もない。祖母の作業の下準備といえば聞こえは良いが、要はただの単純作業だ。

 ――という事実が、ルカを不安にさせている。

 つい2週間ほど前まで、ルカは別な世界の、普通の高校生だった。

 美しい自然と不可思議の力に満ちた、一見のどかなこの世界を何と呼ぶのかについては、よくわからない。森羅万象を知り尽くしたとうたわれる祖母のベリンダにも説明は出来ないと言うが、それはそうだとルカも思う。人は皆1つの世界に帰属して生きており、そこより別の次元が存在することなど、考えもしない。世界そのものを表す呼び名など、端から必要ではないのだ。

 だからルカも、自分の生きていたあの世界を「現実世界」と認識し、今居るこちらの世界を「夢の世界」と捉えていた。実際には、どちらも現実に存在し、基本的には交わることはないと考えれば、それで良いのだろう。

 ルカは本来、こちらの世界に生まれるべき存在だった。母のお腹にいる時、『魔王を打ち倒す能力を持つ子供である』との予言を受け、これを恐れた魔王の襲撃により、両親をうしなったのが17年前のこと。その際、祖母である黄金のベリンダの咄嗟の機転により、魔王の手の及ばぬ場所へと転移させられたのが、あちらの世界だった。祖母の尽力によって発見されて以来、事実を知らされぬまま、眠りに落ちて見る「夢」を媒介に、二つの世界を行き来しながら成長していたのだが――あちらの世界の毒気のようなものにてられており、16年に満たない寿命を終えるとともに、祖母の魔法によってこちらの世界に転生を果たしたばかりなのである。

 適量に分けた小瓶を保存容器にしまい、次の作業に移る前に、ルカはふと手を止めた。窓の外、生命力旺盛な木々の間からわずかに見える麓の町並みは、あちらの漫画やアニメ、歴史ドラマ等で再現された、中世ヨーロッパの風景によく似ている。

 空を渡る鳥の姿を見るともなく目で追いながら、ルカは改めて、自らの住む「国」についての知識を掘り起こしてみた。


 ラインベルク王国――広大な国土と、変化に富んだ地形の恩恵で、いわゆる第一次から第三次までの、すべての産業を国内で賄える、世界でも屈指の強大な国家。封建的身分制度はあるものの、基本的に国民の生活は豊かで、他国からの移住希望者や労働者も多い。しかし、北方の荒れ地に陣を構えた「魔王」と呼ばれる者への対策に、例年国庫の幾許いくばくかを削られている。王都はリートブロン州のヴェスティア。国教はエドゥアルト教。通貨単位は世界共通のリル、これはルカの推測する限り、現代日本の円と同等の価値だと思われる。現君主は、第38代アデルバート・クラウス=マクシミリアン・ラインベルク2世。32歳、独身。

 加えて言うなら、ルカの暮らすハーフェルの町は、国土の北西に位置するグリテンバルド州の南部にあって、領主の住む州都ベントハイムからは、馬で約6時間の距離(王都ヴェスティアからは1日程度)。州内には良質の土の採れる地層があり、陶磁器産業が盛んである――


「………………………………」

 あまりの知識の薄さに、ルカは思わず机に突っ伏した。幼い頃からの伝聞や、こちらで暮らすにあたって、祖母や友人達から教わったことも含めれば、もう少し詳細に語ることは出来る。しかしそれも、簡単な社会構造や歴史、神話といった程度だ。これでは10歳かそこらの子供と大差はない。こんなに無知で未熟なままで、この世界で生きていくことが出来るのだろうか。

 そう、目下のところ、ルカの悩みの種は、今後の身の振り方についてだった。いじけたように頬を膨らませる姿はあどけなく、見る者があれば、大人達はこぞって「まだそんなことは考えなくていい」と頬を緩ませただろう。けれど、ルカにとっては切実な問題だ。いつまでも祖母の庇護の元に居られる訳ではない。

 ――あっちに居る間に、もっと真剣に将来のこととか考えてればよかった。

 悩んでも時間は取り戻せない。まさか、こういった形でも「悔い」が残るとは思っていなかった。口を付くのは溜め息ばかりだ。

 鈴宮すずみや瑠佳るかとして生きていた間は、(ちょっと女の子よりも可愛いと言われている以外は)普通の男子高校生だったから、本格的な進路は大学在学中くらいまでに決めればいいと思っていた。だがこの世界では、18歳で成人という規定はあるものの、庶民にまで学校制度は定着しておらず、幼い時から家業を手伝ったり、才能のある子供は特定の師の元で学び、技術を身に着けていくのが一般的らしい。ルカのこちらでの家族は大魔法使いである祖母だけ、しかしルカには魔法の才能は皆無だった。

 成人するまであと2年弱、何か見付けなくてはいけないのに、自分の適性がわからない。何か特技がある訳でもない。運動も成績もそこそこ、たまにスカウトの人から声を掛けられることもないではなかったが、歌も踊りも平均レベルでは、才能があることが大前提のこちらの世界で、芸能関係の仕事になど就けるはずもなかった――まあ、就きたい訳でもないのだけれど。

 ――勇者になる予言を受けていたはずなんだけどなぁ。

 このままでは、「職業:遊び人」街道まっしぐらだ。それはさすがに、現実問題としては、ちょっとイタ過ぎる。

 それほど詳しい訳ではないファンタジー系RPGの知識を引っ張り出して、ルカは頭を抱えた。

 そもそもこの世界、この国にどんな職業があるのかさえも、よくわかっていないのだ。本来生まれるはずだった世界にかえってきたはずなのに、ルカには家族と友人以外の何もない。こんな中途半端で宙ぶらりんなままでは、ルカの存在に期待してくれている人々にも、申し訳ない気がする……。

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