第1話:おわりとはじまり 第6章

 程なく、黄金のベリンダは人生最大の術を行使し、最愛の孫の魂を転生させることに成功した。

 この功績は国内外に広く知れ渡り、人々は「予言の子供」の帰還に歓喜する。

 それは同時に、その子にとってのに満ちた旅の始まりでもあったのだが――それはのちに置いておくとして。



「…………」

 早朝、味わったことのない爽快感と共に、ルカは

 自室内に、人の気配はない。しかし、意識が戻る瞬間まで、祖母の保護魔法が自分を守ってくれていた様子は感じ取れる。おそらくそれは、彼女の配慮なのだろう。あちらの世界に遺してきた家族のこと、衰弱の進む自分の枕元で嘆き悲しむ人々の姿を思い出し、じわりと視界が滲む。

 この先もう二度と、何度眠りに落ちても、家族に会えることはない。みんなには病床から出来るだけ感謝を伝えるようにしていたけれど、到底足りはしなかった。

 覚悟を決めたつもりでも、やはりいざその時を迎えてみると、どうしようもない孤独感に苛まれる。

「……っ……」

 涙がどんどん溢れて来て、ルカはシーツを頭から被った。泣き声を漏らさないようにするつもりだったのだが、ふと違和感を覚えて、もう一度勢いよくシーツを跳ね除ける。

「――! お前……ッ」

 サイドボードに鎮座していたのは、見覚えのあるぬいぐるみだった。つぶらな瞳に、てのひらに収まるちょこんとした丸いフォルム。幼い頃に姉が作ってくれたオスライオン――レフだ。

 恐る恐る手を伸ばして、頭を撫でてみる。柔らかいたてがみの触り心地まで、まったく同じだった。

 これはいったいどんな魔法なのだろう。或いは、ルカを想う家族の気持ちが起こした、奇跡なのだろうか。

「……ぅ」

 ルカはレフを抱き締めた。そのままシーツに潜り込み、声を殺して泣きじゃくる。

 姉がレフを作ってくれたのは、女の子みたいに可愛い弟が、同級生に苛められたりしないように、逞しくなるようにと願ってのことだった。きっとこちらの世界でも、心の拠り所として、自分を守ってくれるに違いない。

 ――だから、今だけ。

 朝になったら、いつもと同じように笑って見せる。絶対前向きに生きていくから、と決意して、ルカは静かに涙を零し続けた。


                  ●


「……おはよう」

 朝になり、泣き腫らした目を何とかすることを諦めたルカは、おずおずと階下へ顔を出した。

 1階部分の大半を占める広いリビングには、なぜか見慣れた顔が勢揃いしており、皆一様にハッとした様子で席を立つ。

「おはよう、ルカ。何かおかしなことはない? 大丈夫?」

 真っ先に階段の下まで駆け寄り、ルカを抱き締めたのはベリンダだ。もはや「祖母」と呼ぶには気が引けるほどの若く健康的な美貌には、歓喜と心配の混ざった複雑そうな表情が浮かんでいる。

 つい先程まで子供のように泣いていたことへの気恥ずかしさと、それがあからさまであるにも関わらず、まったく触れて来ない皆の優しさが嬉しくて、ルカはそっとはにかんだ。「大丈夫だよ、ありがとう」と答えてから、祖母の背後に控えた面々に向き直る。どうやら全員、黄金のベリンダが転生の術を施す日時を知らされたか調べるかして、矢も楯もたまらず早朝から駆け付けてきたらしい。

「――あの、改めて、みんなよろしくね」

 照れながらも、ルカはペコリと頭を下げた。これまでは数週間、数か月おきの滞在だったが、これからはこの世界、この町でずっと暮らしていくことになる。友人達との関係も、また新しいものに変わるのかもしれない。親しき仲にも礼儀あり、ここで一度、ちゃんと区切りを付けておくのも悪くないだろうと考えてのことだ。

 ――その律儀な様子に、一同は騒然となった。

「――ああ、うちの孫は何て可愛いのかしら!」

 まずはベリンダが頬に手を当て、陶然とうぜんとした眼差しを虚空こくうに向けた。お婆さん姿の時よりも、若干テンションが高めに感じられるのは気のせいだろうか。外見が若いと、内面もそれにつられるのかもしれない。

 祖母の見慣れぬ反応に、思わずびくりと上下させたルカの肩を正面から抱き留め、顔を覗き込んできたのは、ネイトだ。

「これからは毎日、君の愛らしい笑顔を見ることが出来るんだね」

 早朝からきっちりとキャソックを着込み、金色の髪も綺麗にくしけずった神父に隙はなく、がっちりとルカをホールドする腕には、ベリンダ以外の余人よじんを寄せ付けまいとする信念が感じられる。それでいてルカに見せる笑顔は聖人然としているのだから、タチが悪い。

 フィンレーが横から呆れたような溜め息を落とした。

「さすがに『毎日』はおかしいだろ。仕事する気あるのか」

 こちらの貴公子はというと、幾分かラフな格好だ。困ったものだと言わんばかりに、ルカに纏わりつくネイトを引き剥がしにかかる。当然ネイトは、「は?」と態度を豹変させた。

「ルカが戻ると聞いて、わざわざ州都から駆け付けた貴方に言われたくはないですね公子様?」

「なっ、お、俺とルカは親友なんだから、何もおかしくはないだろ!」

 冷ややかな視線と共に浴びせられた毒に、フィンレーがサッと頬を赤らめる。領主館りょうしゅやかたではおそらくベリンダの事情をすべて把握しており、そのためフィンレーにも、今回の大掛かりな術式の施行についての詳細が伝わったのに違いない。

 彼の軽装の理由が、自分のために夜通し馬を駆る目的にあったと知って、ルカは感動した。もっとも、青年の細かな心の機微きびにまでは思い至らず、何もそんなにどもらなくても、と心の中で密かにツッコむ。

「――うるさい。それでなくてもルカは身体が弱いんだ、これ以上騒ぐなら二人とも放り出すぞ」

 低い声で威嚇するように唸ったのはジェイクだった。体格の良さと腕力を遺憾なく発揮し、フィンレーの前に立ち塞がりつつ、ネイトの腕を力任せに振り解く。それでいてルカには一切の苦痛を与えない辺りは、さすがとしか言い様がない。ちなみにルカは身体が弱いのではなく華奢なだけなのだが、ジェイクにとっては似たようなものなのだろう。

 我が孫のちょうを巡って睨み合う3人の男達を興味深げに眺めてから、ベリンダは(ジェイクの背中に庇われる形になった)ルカに微笑んだ。

「取り敢えず、朝ご飯にしましょうね」

「……………………………………うん」

 この状況で食事の話の出来る祖母の大物ぶりを改めて思い知ったような気がして、ルカはこくりと頷いた。幸せそうにキッチンへ向かう彼女には、事態の収拾は期待できそうにない。

 どうしようどうしよう何なんだこの猛獣ショーは、とアワアワするばかりのルカの上着の裾を、ふとユージーンが引いた。そういえば、珍しく彼だけが、この地獄の舌戦ぜっせんに参加していなかった。不思議に思って見上げると、エメラルドの瞳が優しく微笑んでいる。

「――お帰り」

 ルカは束の間、幼馴染みの秀麗な顔立ちをポカンと眺めた。妙にくすぐったいような気持ちが湧き起り、誤魔化すように小さく肩を竦める。

「うん……ただいま」

 応えて、ルカは全開の笑顔をユージーンに向けた。ありきたりだが、何だかとても嬉しい言葉を掛けて貰ったような気がしたからだ。

 これから先も、色んなことが起こる。それはきっと、楽しいばかりではないのだろう、それでも。

 ――今日からここが、僕の帰る場所。帰属する世界だ。

 噛み締めるように頷いてから、ルカはユージーンの手を取った。驚いたように瞬く瞳に、「シー」と唇の前に指を立てるジェスチャーを返す。

 3人は飽きもせずに言い争いを続けている。みんな朝も明けきらぬ前から自分のために集まってくれていたようだし、我に返ったらすごくお腹が空いているはずだ。

「――行こう」

 ユージーンの手を引いて、ルカはキッチンへ向かって静かに駆け出した。意図を察したユージーンも、悪戯っぽい笑みを浮かべて、おとなしく従ってくれる。



 大魔法使いである祖母の力によって、転生を果たしたルカ。

差し当たってやるべきことは、ひとまず、朝食の準備に向かった祖母のお手伝いをすることだった。



第1話 END

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