小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵

第1話:おわりとはじまり 第1章

 柔らかい陽射しの降り注ぐ石畳の道を、小柄な少年がひょこひょこと歩いていく。

 足元が覚束ないのは、両手いっぱいに抱えた色とりどりの花束のためであるらしい。艶やかな切り花の間から覗く、明るい茶色の髪と愛らしい容貌は、まるで宗教画から飛び出してきた天使のようだ。その一生懸命な様子に庇護欲をくすぐられるのか、通りのあちこちから親しげな声が掛けられる。

「おばあちゃんのお手伝い? 偉いわね」

「転ばないように気を付けるんだぞ」

「バザー楽しみにしてるよ」

 その一つ一つににこやかに応じながら、少年は家路を急ぐ。

 小さな田舎町は今、春の訪れを祝う花祭りに向けて、にわかに活気付いていた。

「――ルカ」

 目抜き通りの端まで来たところで、少年――ルカは、深みのある声に呼び止められた。花の中から首を巡らすと、立派な体格の青年が、こちらへ近付いてくるところだ。見慣れた精悍な顔立ちに、ルカは表情を輝かせる。

「ジェイク! 久し振りだね!」

 ああ、と低く答えて、ジェイクは口元をわずかに緩めた。たくさんの花に囲まれたルカの様子が可愛らしかったためだが、幼馴染みとの再会を純粋に喜ぶ当人は気付いていない。ジェイクの家はルカの自宅から花屋を挟んだ更に先にある為、会えないものと思っていた。小分けにされた紙袋や、大小様々な液体瓶の入った大きなケースを軽々と抱えているからには、彼も家業の手伝い――おそらくは配達中なのだろうが、その途中でルカを見付けて、わざわざ声を掛けてくれたというところだろう。

「頼まれてた追加分の蜜蝋みつろうなんだが、明日の昼には入荷するはずだ」

 「ベリンダさんに伝えておいてくれ」と、果たしてジェイクは、さほど重要そうでもない言伝ことづてを頼んできた。彼の両親が営む薬剤店は、祖母のベリンダとは長年懇意の間柄であり、信頼関係は盤石だ。大至急の依頼ではなし、三日後と聞いていた入荷予定が遅れるというならいざ知らず、早まることを伝えに来るのは純粋に顧客へのサービスであり、伝言相手のルカのことを気に掛けてくれているからでもある。

 どちらかと言えば寡黙な幼馴染みの、武骨な優しさが嬉しくて、ルカは誤魔化すようにエヘヘと声を出して笑った。

「わかった。おばあちゃんに伝えとくよ」

 頷くと、凛々しい眼差しが穏やかに細められる。惚れ惚れするような男振りに、年頃の少年としての羨望を覚え、見上げた姿勢のまま固まってしまったのは、それでもわずかな時間だっただろう。

「――気を付けてな」

 ジェイクは、ルカの栗色の髪をふわりと撫でてから、巨躯に似合わぬ軽やかな所作で踵を返した。抱え直されたケースの中で、薬瓶が擦れ合う音がカチャリと小さく響く。

 ――僕なんか、子供みたいなものなんだろうなぁ。

 4つ年上の幼馴染みからの扱いに、少々複雑な気持ちになりながら、ルカもまた自宅へ向けて歩き出した。太陽の位置はまだ高いが、のだ。

 石畳はやがて未舗装の土に変わり、踏み固められた道の周辺は、気持ちの良い森林へと移り変わっていく。

 ルカの暮らす家は、町を見下ろす小高い丘の上にあった。おとぎ話に出て来るような家――というには少々豪華な、2階建ての可愛らしいログハウスが、満開の赤い花を咲かせたポールベリーの大樹と寄り添うようにして建っている。樹齢500年はくだらないという立派な木の幹には奇妙に湾曲している部分があり、見た目より腕白なルカは、小さな頃からここに登って町を見下ろすのが好きだった。

 赤い花の甘い香りを胸いっぱいに吸い込みながら、小走りに玄関へ近付く。塞がった両手を案ずるよりも先に、ポールベリーのリースの飾られた扉は、待ちかねたように大きく開かれた。

「お帰りなさい、ルカ!」

 ただいま、と応えるルカを花束ごと抱き留めたのは、美しく年齢を重ねた上品な老婦人――祖母のベリンダだ。とはいえ、16歳のルカの祖母であるため、年齢は60を少し越えた辺り、白髪混じりの明るい髪の毛はふんわりと豊かで、午後の陽射しにキラキラと輝いている。蒼いローブを纏った姿は、背こそ少し曲がり始めているもののどこまでも凛としいて、年齢というものをあまり感じさせない。

「ありがとう、重くなかった?」

 ベリンダはそう言って、オレンジ色の瞳で孫の顔を覗き込んだ。

 まるでルカの帰宅を見計らったようなタイミングだが、ルカにそれを不思議がる様子はない。なぜならベリンダは、伝説級の大魔法使いであり、これまでに何度も、不思議な力で人々を助けてきた。大抵のことは、「おばあちゃんなら、そういうこともあるかも」で納得できてしまう。

「大丈夫だよ、このくらい」

「あらあら、頼もしいわね」

 孫の成長を心底から喜ぶらしい祖母に照れ笑いを返して、ルカはリビングのテーブルに、運んできた花束を並べ始めた。色とりどりの花達は、ベリンダが花祭りのバザーに出品する、ポプリやサシェの材料だ。安眠や鎮静等、彼女の魔法の込められた商品は、遠くの街からも買い求めにやってくる人がいるほど人気が高い。ちなみに、ジェイクの店に頼んだ蜜蝋は、想定よりも購入希望者の多かったアロマキャンドルの、追加制作分だ。

 作り掛けのポプリに魔法をかけるベリンダを、ルカは誇らしい気持ちで眺める。残念ながら、孫のルカにこの才は引き継がれていないらしい。とはいえ、それを深刻に思い悩むこともなく過ごせているのは、ルカが魔法の存在する「この世界」のことを、どこか遠い目で見ているお陰でもあったかもしれない。

 ルカの視線に気付いたベリンダは、「お茶にしましょうね」と柔らかく微笑んだ。『黄金のベリンダ』という二つ名を持つ偉大な魔術師も、ルカにとっては「優しいお婆ちゃん」だ。

 そこへ、絶妙なタイミングで清涼な香りが漂ってきた。

「――すまない、僕が行ければ良かったんだが」

 申し訳なさそうに秀麗な面を曇らせ、ティーセットを載せたトレイを運んできたのは、祖母の弟子のユージーンだ。ジェイクと共に、幼い頃から一緒に育ってきた幼馴染みでもある。

 知らない人が見たらどこの貴公子かと見紛うような優雅な所作で、手際よくテーブルを整えていくユージーンを手伝いながら、ルカは小さく肩を竦めてみせた。

「ダメだよ、ユージーンの修業の方が大事。手が空いてるのは僕だけだったんだから」

 気にしないでと安心させるように微笑むと、ユージーンはつられるように愁眉を解いた。

 住み込みでベリンダに師事しているユージーンの日常は、当然ながら修業が大半を占めている。今は師であるベリンダが花祭りの準備で忙しくしているため、午後からはその手伝いに充てているのだが、優秀な彼には珍しく、午前に出された課題がクリア出来なかったらしい。

「その、空間転移の応用? っていうのは、出来るようになったの?」

 首尾を尋ねたルカに、ユージーンは「ああ」と頷きながら口元を綻ばせた。並んでカップを並べていた顔がにわかに近付き、ルカは思わず小さく息を呑む。

「――ルカは優しいな」

「…………」

 輝くようなプラチナブロンド、切れ長の瞳は深い碧、通った鼻筋に、線を引いたような薄めの唇――どこを切り取っても「美形」としか表現しようのない同性の幼馴染みの視線に至近距離で射すくめられては、喘ぐように「ヘヘ」と愛想笑いを漏らすしかない。

 そのままルカは、這うようにしてソファによじ登った。ユージーンが残念そうな微苦笑を漏らしたことには気付けなかったが、不覚にも少しだけドキドキしてしまったのは、取り敢えず内緒だ。

 このところ、ユージーンのスキンシップが過剰な気がする。

 昔からずっと優しかったが、最近はさすがに、甘やかされ過ぎているように感じられて、妙に居心地が悪い。

 身体を反転させてソファに腰を落ち着けると、間をおかずにユージーンが隣へ座って来た。ゆったりとした3人掛けのスペースで、身体が触れ合うというほどではないけれど、それでもやっぱり近過ぎると感じてしまうのは、果たしてルカの考え過ぎなのだろうか? 思わず視線を彷徨わせた先で、相対したベリンダはというと、孫と弟子との近過ぎる距離を、事も無げに見守っている。

 やっぱり僕のおばあちゃん大物! と、明後日の方向へ思考を飛ばし掛けたルカだったが、「先生」と呼び掛けるユージーンの声で、に引き戻された。

「遅くなりましたが、これから僕も作業に入ります」

「ええ、よろしくね」

 ベリンダは、弟子の淹れたお茶を味わいながら、小さく頷いた。課題に手間取り、午後からの花祭りの準備作業に出遅れたことを詫びるユージーンの気遣いが、好ましく感じられたのだろう。

 ルカもまた、リラックス効果のあるというお茶を一口味わってから、ほぅ、と小さく息を吐いた。

「――いいなぁ。僕も花祭り見たいのに……」

「「!」」

 その一言に、魔術師師弟がそれぞれ小さく目を見張る。ルカは気付かず、背もたれに身体を預けて室内を見回した。目を覚ましてから花屋にお使いに向かうまで、ベリンダと一緒に作っていたポプリが、リビングの一角に並べられている。

 魔法も使えないルカに出来ることと言えば、花弁の加工や、ちょっと布を縫い合わせたりする程度のことだが、お手伝いは楽しい。でも。

「僕もお祭りに参加したい」

 準備だけでなく、祭り当日の、華やかで混沌とした喧騒も味わいたい。ルカがここに来るようになってから、既に10年以上が経過している。それなのに、実際に花祭りに参加できたのは、たったの3回だ。

「ルカ……!」

 ベリンダが、年齢の割に皺の少ない美しい顔を蒼褪めさせ、何かを言い掛けた。

 しかし次の瞬間、場にそぐわない機械音が辺りに鳴り響き、3人は一様に息を呑む。

 諦めたように溜め息を落としたのはルカだ。

 ――が近付いている。

「近いうちに、また会えるといいな」

 気を取り直すように、ルカは別れの挨拶を口にした。こんな言い方はもどかしいが、実際次にまたいつこの場所へ来られるのか、ルカ自身にもわからないのだ、花祭りの日に限った話ではなく。

 豊かな自然と魔法の力に満ち溢れた世界に、相応しくない音が響き続ける。

 元気で、と呟く祖母は、今日もひどく悲しげだ。

 不意に右手に温もりを感じ、それがユージーンに手を握られたからだと悟ったところで、ルカの意識は途絶えた。


                  ●


 鳴り続けるアラームに鼓膜を揺さぶられて、瑠佳るかは目を覚ました。

 一瞬自分がわからず、瞬きを繰り返す。

 パジャマも、ベッドも、机もテレビもパソコンもゲーム機器も、すべてが眠りに落ちた時のままだ。

 淡い緑色のカーテン越しに差し込む朝の光を目にして、ようやく瑠佳は小さく息をついた。

 ――現実世界の、自分の部屋だ。

 条件反射のように、ヘッドボードのスマートフォンに手を伸ばす。アラームを解除するのと、ドアの向こうから「瑠佳うるさいよー」と声が掛かるのは、ほぼ同時だった。2つ年上の姉・瑠衣るいは、瑠佳よりも少し遠方の高校に通っている。必然的に瑠佳よりも起床時間は早くなるため、朝食を済ませて自室に戻ってきたところなのだろう。

「ごめん、今起きたー」

 寝起きの声を張り上げ、瑠佳はひとまず身を起こした。寝て起きたはずなのに、倦怠感があるのはなぜだろうか。夢を見るのは疲れるという人もあるそうだが、疲れるような夢を見ていた訳ではない。

 指先に、まだユージーンのてのひらの暖かさが残っているような気がする。

 ――あの『夢の世界』は、幼い頃からずっと、瑠佳と共にあった。

 祖母のベリンダ、その弟子で幼馴染みのユージーン、薬屋の跡取り息子ジェイク、親しい友人達や町の人々。現実世界で生活するのと同じように、瑠佳にはあちらの世界での生活がある。『夢』の世界に、瑠佳はルカとして存在し、こちらと同じように、人間関係を築いているのだ。

「――」

 倦怠感を振り切るように大きく伸びをして、瑠佳はベッドから這い出した。カーテンを開け、サイドボードに置かれた、(年頃の少年の部屋に飾られるには少々可愛すぎる)小さなライオンのぬいぐるみの頭をポンと一撫でしてから、部屋を出る。

 何度も同じ夢、それも繰り返しではなく、1つの世界で進行していく夢を見ている――これが特殊なことだと気付いたのは、姉にあちらの世界の話を聞かせた時のことだ。瑠衣から報告を受け、子供の作り話とは思えないほどの詳細な舞台設定に驚いた両親は、専門家の意見を仰いだ。その答えは、「幼年期には稀にあることで、成長すればそんな話はしなくなるだろう」といった、夢見がちな子供の妄想と決め付けるかのようなものだった。家族は瑠佳のために憤慨したが、子供心にこの状況が特殊であることを察した瑠佳は、以来夢の世界の話を誰かに聞かせたことはない。

「おはよー」

 顔を洗ってからキッチンに入る。出勤前の父と、最後に起きて来る瑠佳の朝食をタイミングよく拵えた母から、それぞれに挨拶が返された。今朝は瑠佳の好きなスクランブルエッグらしい、やった。

 父を送り出してから、朝食を口に運んでいると、思い出したように母が振り返る。

「そういえば、お隣のお姉さん、結婚するんですってよ」

「………………そうなんだ」

 返事が遅れたのは、軽くトラウマを刺激されたからだ。お隣のお姉さんは、近隣でも評判の美人であり、瑠佳達姉弟も、小さな頃から可愛がって貰った。そんな彼女が然るべき相手と結ばれる。おめでたい話だ――だが。

「残念ね、瑠佳の初恋の人なのに」

「……子供の頃の話じゃん」

 からかい混じりの母の呟きに、瑠佳は小さく反論した。しかし、声に覇気はない。

 それもそのはず、瑠佳は子供心に、結構本気でお姉さんに恋をしていた。優しくて、瑠佳好みのハッキリとした顔立ちの美女。大人になったら絶対に結婚するんだ、と。

 けれどその野望は、瑠佳が中学1年生の時、脆くも崩れ去った。お姉さんが彼氏を自宅に連れてきたのだ。玄関先での遣り取りに出くわした瑠佳は、相手の男を見るなり、衝撃で意識を失いそうになった――どこからどう見ても、お姉さんとお似合いの、非の打ちどころのない美青年――自分とはまったく正反対の男。

「瑠佳は一生可愛いままだから、どう足掻いたってお姉さんの彼氏には勝てないわよ」

 準備を終えたらしい瑠衣が、キッチンに顔を出した。随分楽しそうに弟の傷を抉るものだとは思うが、悪意はなさそうなので始末に負えない。瑠佳によく似た、本物の美少女であるだけに、より辛辣に映る。

「やめてよ……」

 力なく零した弟に小悪魔のように微笑んでから、瑠衣は慌てたようにセミロングの髪を翻して、バタバタと登校していった。

 整った顔に、均整の取れた男性らしい体格――自分が夢の世界でユージーンの完璧な美貌に気後れしてしまうのも、もしかしたらこのトラウマが原因なのかもしれない。

 複雑な気分のまま朝食を終え、歯磨きを済ませてから、瑠佳は部屋に戻った。制服に着替え、軽く身だしなみを整えてから、鞄を手に取る。

 視界に入ったライオンのぬいぐるみに反射的に手を伸ばして、瑠佳は小さく笑った。オスライオンの名前はレフ。小学校に入学したばかりの頃、小柄で女子よりも可愛い瑠佳が苛められたりしないよう、お守り代わりにと瑠衣が作ってくれたものだ。小さくぽってりとしたフォルムには愛嬌があって、つい触らずにはいられないくらい、たてがみの触り心地も抜群。この子のお陰という訳でもあるまいが、瑠佳は普通に友人にも恵まれ、それなりに楽しい学校生活を送っている。弟という立場上、いじられることも多いが、瑠衣の部屋には一緒に作った雌のロニが、今でも同じように鎮座していることを、瑠佳も知っているのだ。

 妙にくすぐったい気持ちを抑えて部屋を出る。階段を下りながら、そういえば、と瑠佳は考えた。

 あちらの世界のルカに両親は居ない。きょうだいもない。随分昔、ベリンダに尋ねたことはあったが、祖母の優しい顔が辛そうに歪められたのを見て、幼いながらも聞いてはいけないことなのだと理解した。

 夢はいつも断片的だが、時間軸が現実と大きくずれるようなことはない。夜に自室のベッドに入って、あちらの世界で数時間を過ごし、現実世界に朝が来れば目が覚めて終わる。その時、こちらは夜だがあちらは昼。子供の頃には、昼寝の間をあちらで半日以上過ごしたものの、目が覚めた時はほんの1時間程度しか過ぎていなかったということもあった。時間の流れがまったく同じとは言えないのかもしれないが、瑠佳としては「夢から現実に還って来ている」ような感覚だ。

 あちらの世界のルカも、瑠佳と同じように、今年で16歳になる。

 ――現実世界とはまったく違う家族構成で生きる、「夢の世界」での自分。

 今の家族や人生に不満がある訳ではないから、秘めた願望や妄想などといったこともないだろう。

「――行ってきます!」

 母親の軽やかな声を受けて、瑠佳は玄関を飛び出した。

 なぜこんな「夢」を見続けるのか。考えても、瑠佳の中に答えはない。思考はいつも堂々巡りだ。満足のいく回答が得られることは決してない。

 それでも、一つだけ確かなことがあった。

 瑠佳は二つの世界のどちらでも、同じように、周囲の人々に愛して貰っているのだということ。

 この自覚によって、瑠佳は不安定な現状に惑わされることなく、日々を送れているのかもしれなかった。

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