きっかけ
(……朝か)
マルガ共和国の前線、よりかは後ろに存在するギリア基地の内部。恐らく二十歳と少しの割に老けて見えるジャック中尉が、黒い瞳で天井を見上げると、これまた黒い髪を掻きながらベッドから起床する。恐らくというのは、ジャックを含めて誰も彼の生年月日を知らないからだ。
それにしても殺風景な部屋だ。実はとてつもなく風紀が乱れているマルガ共和国軍の中で、個室を与えられている者が私物の一つも置くことなく、机には情報端末しか存在しないのは異常とも言える。人によっては誰も住んでいないのではと錯覚するほど生活感がなかった。
「エイプリー。ドラゴン予報は?」
『おはようお兄ちゃん! 今日のドラゴン予報も変わりはないよ! 前線の間を群れがうろちょろしてるから、軍事行動は当分無理だね!』
ジャックが腕に巻いている情報端末に話しかけると、妙に甘ったるい少女の声が無味乾燥な部屋に響いた。
ドラゴン予報とは天気予報と同じだ。かつての人類なら馬鹿げた単語だと笑うだろうが、惑星シラマースでは全長五メートルの超小型のものから、百メートルを超えるドラゴンとしか言いようがない空飛ぶトカゲが生息していた。しかもこの生物、科学に真っ向から逆らう存在であり、人類の英知の結晶である空中戦艦の装甲をドロドロに溶かしてしまう火を口から噴いたり、挙句の果てに雷や絶対零度の冷気を放射する個体までいる始末だ。
「永遠に留まってくれねえかなあ」
『予報とか銘打ってるけど、ドラゴンの繁殖期って規則性がないからなんとも言えないね! それに軍はいつまでも自然休戦するつもりが全くないよ!』
「全知全能のAIとか謳われてるアポロンが演算して、繁殖期がいつ終わるのかわからんとはね」
『あははは! アポロンが軍のプロバガンダ通りのスペックなら戦争の決着はついてるし!』
「それもそうか」
ジャックが呟くと少女の愉快そうな声が返ってくる。
この生物と断言していいのか首をかしげる存在は、マルガ共和国が誇る超高性能AIでも理解不能な存在だ。そんなドラゴンが繁殖期となり、ジャックの所属するマルガ共和国と敵国であるラナリーザ連邦の間で活動を活発化しているため、両軍は一時的に自然休戦状態となっていた。
『とにかく今日は間違いなくすることないね! カジノでも行く?』
実はこのギリア基地、地下にマルガ共和国軍において完全規則違反のカジノが存在しており、際どい服を着た女性達が軍人を持て成していた。
そんなことが許されるのは、ギリア基地だけではなく似たようなことをどこもやっているからだ。三十年にも渡るマルガ共和国とラナリーザ連邦の戦争は人々からまともな思考を失わせた上に、優秀な軍人たちが戦死してしまった。いや、それどころか残った者はピンハネで蓄えた資金を使って、派閥闘争という戦争とは全く関係ない戦いを勝ち抜いた者だらけにした。
故に自浄作用が働くこともなく悪貨は良貨を駆逐してしまい、腐敗しきった軍は規律も緩み切っている状況だ。
「カードゲームをしたことないどころか、触ったこともない俺がルールを分かるわけないだろ。それに趣味じゃない」
『スロットマシーンなら簡単だよ!』
「俺が行ったら初日に出禁だ」
『確かに! いける機械とダメそうな機械がなんとなく分かるもんね!』
そしてジャックと少女の会話で見過ごせないのは、彼がカードゲームをしたこともないどころの話ではなく、カードを触った経験すらないことだろう。
この男もまた腐敗した国家と軍の象徴であり被害者なのだ。
幼児であった頃のジャックは戦乱で両親を失ったが、彼だけは奇跡的に生き残って軍の保護施設に預けられた。しかし、名も生年月日もわからない幼児だったため、施設の職員が適当にジャックと名付けて、以降彼はずっと姓もないただのジャックという名の男だった。
こうなると当然、まともな子供時代は送れなかった。
職業選択の自由という名のもとに、将来は軍人としての職が決定している保護施設で育てられたため、ジャックは世間一般の娯楽からは完全に隔離されて成長したのだ。それは今も尾を引いてしまい、彼がトランプのカードすら触ったことがない原因になっていた。
「朝飯を食べたらジョーカーの調子でも見てくるか」
ジャックが愛機の様子を確認するため寝間着から軍の制服に着替える。しかしトランプのカードを触ったことがない彼の愛機が、ジョーカーの名を関しているのはなにかの皮肉だろうか。
『ねえジャック。戦場。コックピット。基地。そこだけが貴方の人生じゃないのよ?』
「急に真面目になるなエイプリー」
『あはは!』
唐突にジャックからエイプリーと呼ばれた存在の声が、明るいものからしっとりとした女性らしいものに変わる。しかし、ジャックが面倒くさそうにすると、すぐさま元気のいいものに戻った。
「さて……」
ジャックはマルガ共和国軍で共通している黒い軍服を身に纏うと、肩をぐるりと回しながら部屋の外に足を踏み出す。その肩で輝く赤い二本の線は軍において中尉を示すものだ。
(いっつも思うが軍服を改造してるやつ多すぎだろ。いや、水着を着てないだけマシか)
きちんと服を着ているジャックは、基地内ですれ違う兵士たちの軍服を見て顔を顰める。なにせミニスカ、ノースリーブ、色違い、やたらとスタイルが浮き出るものなどなど。子供の頃から正規の兵士よりも軍人としての教育……というよりそれしか受けていないジャックからすれば、目を疑ってしまうような兵士ばかりだ。
これには一応の理由がある。元々マルガ共和国は植民船団の一部が国家をなしたため、最初期の共和国軍は警備部門が発展した自警団に近く色々と緩いのが伝統だった。
さらにそこから戦争が勃発したことから無計画に軍を拡張してしまい、新兵の教育も行き届かなかった。そのため平然と軍服を改造する者が後を絶たず、いつしか服装は黙認されることになったのだ。
(ふむ。今日も同じメニューか)
基地の食堂に足を踏み入れたジャックは、漂う匂いから朝食のメニューが三日連続で同じものだと判断した。
しかし、ジャックが感じるのはそれだけだ。劣悪な軍の保護施設で生活していたため食事のメニューが同じなど日常茶飯事であり、時には食事に関する訓練でもなんでもないのに、一か月レーションだけを与えられたこともある。そのため彼の感性はかなりおかしくなっていた。
余談だが、もちろんかつて存在した保護施設の食事費は浮かされており、施設長のポケットに消え去っていた。
(となると昼と夜も合成肉か)
一人黙々と食事をするジャックに誰も声をかけない。
現場にいる兵士たちの常識とジャックの常識にかなり差があるのは割と有名な話だ。そしてジャックの言動から窺える戦闘機械として育てられた無機質さが、彼をとてつもなく不気味な存在に仕立て上げているため、その活躍に反して驚くほど人付き合いがなかった。
尤も、実はこれ結構な勘違いで、ジャックは少々歪められた常識を持っているが、育った環境を思えば信じられないほど感性は俗といえるので、人付き合いは普通にできるはずだった。
しかしジャックは自分から他人に接触しないため、それを知る者は殆どいない、もしくは戦死していた。
(あの合成肉美味いんだよな)
これまた余談だが、味覚音痴ではなくちゃんとしたものを食べたことがないジャックが美味いと思っている合成肉はかなりグレードが低いものであり、現場の兵士からの評価は散々なものだ。しかしそれが改められることはない。補給に関することは軍のかなり上の部分で決定され、予算を浮かして一部の高級将校のポケットに消え去っていた。
『お兄ちゃん! ガルシア基地司令から連絡だよ!』
(デブ少将がなんの用だよ……)
腕に巻いた小型端末から呼びかけられたジャックは、基地の司令官の姿を思い浮かべて心の中で嘆息しながら、食堂を後にする。
この辺りでジャックの人間味が分かる。彼は階級というものに絶対服従を叩き込まれて、上官は神のように敬えと幼年期から教えられているはずなのに、あろうことか少将の立場にいる者にデブ少将とあだ名をつけていた。
しかし、これはジャックの口が悪いからではない。事実として基地司令は不摂生が原因の肥満なのだ。
「ガルシア基地司令閣下。ジャック中尉であります」
「うむ。入室を許可する」
「はっ。失礼いたします」
ジャックは常日頃から、自分を呼ぶときはどんな時であろうと、必ず名前に基地司令閣下を付けろと口酸っぱく言っているガルシア基地司令閣下の部屋に入室する。
(マジで痩せてくれ。お前本当に軍人か?)
心の中で悪態を吐くジャックを出迎えたのは、特注の大きな黒い軍服をなんとか着込み、これまた特注の椅子に座っている中年の男だ。権威をアピールするために特注なのではない。そうしなければ着れる服と座れる椅子もないほど肥満の男であり、しかも暴飲暴食が原因のため、ジャックははっきり軍人失格だと思っていた。
実際、私腹を肥やすことと派閥に献上する金で生き残っているガルシア基地司令閣下は軍人としての才覚はなく、その点では軍人失格と言ってよかった。
しかしそれはどこも同じようなのもだ。マルガ共和国の政治家で必要なのは政治家としての力量ではなく、派閥争いを泳ぎ切り金を貯える力であり、病院で必要とされるのは医療の腕ではなく、学閥争いを勝ち抜き金を集める才能であり、警察で必要とされるのは警官としての能力ではなく、派閥争いを生き残り政敵の裏金を見つける才能なのだ。
勿論マルガ共和国の敵国であるラナリーザ連邦も変わらない。彼らがだらだらと三十年近く戦っているのは、議会と軍で専門家ではなく、“人間社会と組織”の専門家が頑張っていることも一因だろう。
「早速だが本題に入る。中央司令部から君宛に命令が届いている」
(薄気味悪い機械め。なぜまだ生きてるんだ)
ガルシアはガルシアで、ジャックを薄気味悪い機械と呼んでおり、自分の玉座の間から早く追い払いたかった。
ジャックのプロフィールを詳しく閲覧できる立場のガルシアは、死んでいるはずの亡霊と話している気分になる。なにせジャックと同じ施設出身者は全部で二千名ほどいたが、彼以外の全員が戦死、もしくは不慮の事故で死亡していた。
(ガランドウ派閥のことを考えなければ、今すぐどこかへ飛ばしたいのに)
ガルシアはそんな気味の悪いジャックを自分の城から遠ざけたかったが、ジャックは機動兵器こそが戦争の主役であると主張する派閥からとてつもなく熱い視線を送られており、扱いは慎重になる必要があった。
「命令の内容だが、綺羅星で構成された部隊の指揮官を任せるとのことだ。資料は最高機密故にない。詳しい日時は追って伝えるそうだ。以上」
「はっ。ガルシア基地司令閣下、質問をよろしいでしょうか」
「うむ」
ガルシアはできるだけ早くジャックを追い出すため淡々と用件だけを伝えるが、質問があると言われたら答えないわけにもいかず、内心嫌々だがでっぷりとした顎で頷く。
「ありがとうございます。綺羅星とは噂されていた、神器を扱える決戦存在のことでしょうか? 都市伝説のようなものと思っていましたが、実在していたのですか?」
「うむ、どうやらそのようだ。先に言っておくが、私もそれ以上の知識はない」
(まあ訳が分からんのは理解できるが……しかし、綺羅星が私の基地にだと? どんな化け物が来るというんだ)
ジャックに答えるガルシアだが、彼もまた困惑と同時に……うすら寒さを感じていた。
ガルシアのもとには所属する補給部門の派閥から極稀に裏の情報が伝わってくるが、それが正しければ綺羅星と呼ばれる存在は夥しい人造生命を作り出した果てに生み出されていた。しかもそのせいで大々的な公表はまだ控えられており、ガルシアは正体不明の怪物のような印象を受けた。
「では退出してよろしい」
「はっ」
(もう少し詳しいことを聞いとけよ!)
話は終わりだとガルシアに退出させられたジャックは、悪い意味での上意下達しかできない基地司令を心の中で罵倒しながら部屋を後にした。
◆
「エイプリー。念のためお前にも確認しとくけど、綺羅星って言ったらガランドウに装着した神器を扱える連中のことだよな?」
『そうそう』
自室に戻ったジャックが困惑気に腕の小型端末に話しかける。
『確か、お兄ちゃんが綺羅に触ってもうんともすんとも言わなかったんだよね!』
「秘められた力があると思ったんだけどなあ……」
『あはは!』
かつてを思い出してジャックがほろ苦い顔になる。
もう何十年も前からマルガ共和国のみならず惑星シラマース全域である噂があった。
人類の宇宙開拓船団がこの星にやってくるよりはるか以前。ここはかつて巨人たちが栄華を極めていたことが人類の調査で判明したが、同時に神としか言いようがない存在が残した神器と呼ばれる類の遺物も発見された。
神器を起動できる者はとてつもなく高い適性が必要とされていたが、起動できたとしても巨人用のサイズのものを扱うことができないのは目に見えていた。そこで神器を人型機動兵器であるガランドウに装着して、それを扱える専用のパイロットを生み出す計画が各国にあると噂されていた。
そして神器を美しい衣服である綺羅に例え、綺羅を纏う者は綺羅星であるという定義が先走っていたが、噂は噂であり都市伝説は都市伝説のはずだった。
「それを俺が率いるだって? なんでやねん」
『それがきっと軍部とか管理AIが最適解だと判断した結論なんだよ!』
ジャックはそんな者達をなんで自分が率いることになったんだと顔を顰めるものの……必然と言えた。
が。
数日後。
「拘束服が必要な存在を基地に入れることはできません」
ジャックは腕と足こそ固定されていないが、拘束服を着せられている六人の絶世の美女と、彼女たちの付属品である研究員者たちをド正論で追い返そうとした。
◆
『特別保護施設の出身者が二千人死んだからなんだというのだ。ジャックを見出したんだぞ。石ころの二千のほかに玉が一つ入っていたのだから、むしろおつりが出る幸運としか言いようがない。そして我々の正しさをジャックは証明し続けている』
“特別保護施設職員”
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