仏五郎の煩悩

愛新覚羅ゆうはん

第1話 有隣堂のご本尊

 我が名は仏五郎 (ブッコロー)。伊勢佐木山にある本読宗有隣堂のご本尊である。実は最近、恋をしている。ご本尊として崇められているくせに煩悩があるなんて情けないが、あの子が来るのをいつも楽しみにしている。最近はほぼ毎日、お堂まえの大きな楠にあの子はやってくる。黄色い翼にくちばし、瑠璃のように輝く青い胸毛に薄茶色の立派な冠のあの子は今日も気持ちよさそうにきれいな声でさえずる。今までいろんな鳥をみてきたが、こんなに美しい鳥との出会いは初めてだ。「あれは阿弥陀経に出てくる化鳥、共命(ぐみょう)の鳥かもしらんな」と住職も気に入り、あの子を見つけると餌をあげるようになった。食べ終わるといつもお堂の浜縁まできて満足そうに毛づくろいをするのだ。もっと私のそばにこないだろうかと念じるが、いまだ成就ならず。人間さまの願望はかなえられるのに私の願望はかなわない。仏としての修行が足りないのだろうか、あの楠が羨ましい。そんな私の気持ちをよそにあの子は飛び立っていった。


 縁日が開催された夏のある日、私がプリントされた夏限定の暑気祓い御守りや団扇、どら焼きがふるまわれた。なぜどら焼きに? と疑問に思ったが、住職たちの会話から最近はケーキやマカロンなどのお菓子に写真やイラストをプリントできるようになったとのこと。もちろん、それらは私の前で捧げられたものだから縁起ものとなる。それを嬉しそうに檀家さんや、近所に住む人間さまたちがありがたく買っていく。そして私の供物台にもどら焼きが置かれた。

 しばらくすると、いつものようにあの子が楠にやってきた。住職たちは忙しそうに縁日の対応をしているからか気づいていない。すると、私の前に置かれたどら焼きにあの子が近づいてきた。いつも浜縁までで切ない想いをしていたが、どら焼きのおかげで一気に距離が縮まる。「さあ、お食べ」と念じると、あの子は私の気持ちに応えるように食べはじめた。最初はどんなものかと端っこをついばんでいたが、美味しかったのか私がプリントされた真ん中のほうを突っつく。なんだか、私が食べられているようでこそばゆくなった。


 いつもより距離が縮まったことで興奮した私は「もっと私に近づいて」と強く念じると、感づいたのかどら焼きをついばむのを止めて、あの子は私をみた。黒曜石のような瞳のなかに座像する私が映っている。頭をかしげ、まばたきを何回かするとお堂の外に飛んでいってしまった。私は前よりもっと切ない気持ちになった。


 日も暮れる頃、住職が表情のさえない檀家さんをひとり連れてお堂に入ってきては説法をはじめた。どうやら遺産相続でもめているような話ぶりだったが、住職はこう言った。「お釈迦様の教えに「知足」という言葉があります。これは、足ることを知る、という意味です。わたしたち人間は貪欲ですが、多くを求め過ぎず、今ある現状に満足して感謝の気持ちを持つことが大事なのです」


 その教えは、もっとも私の魂に響いた。



つづく

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