第27話 論点抽出ダイジェスト 1

 ここは実況中継ではなく、ダイジェスト記事となります。


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 さて、このところ進行協議を続けて参りまして、いろいろと論点が出ておりますところ、これまで皆さんにお読みいただいたものに加え、さらに出て参りました。


1ないし5 前話のとおり


6 昭和期の養護施設内は、社会性を伸ばせる場所たりえたか? 

 こちらの論点に関しては、以下の通り。

 森川氏 昭和戦後の社会状況に鑑みれば、出来る余地はあったと思われる。

 米河氏 いわゆる体育会系出身者の弁に似た詭弁、くだらぬ処世術レベル。

 これは、明治生まれの老紳士と、昭和戦後生まれの両親から生まれた青年の生きた時代性が十分反映された構造になっております。


7 養護施設における食育について。

 森川氏 実際に力を入れてきた。その時代故の制約は仕方ない側面もあり、現在ではもちろんそぐわない話もあるが、あの時代性を考えれば、少なくともよつ葉園はかなりよくやれたと思っている。恩着せがましい能書きというが、すさんでいた時代の中、食への感謝の念を醸成するという一定の役割は果たしたのではないか。

 米河氏 この点については、当時のよつ葉園には大いに感謝している。一般家庭から見ても、かなり良い食卓であったとさえ思われる。これがなし得た理由をきちんと検証すべきであるが、一番の要因は、スケールメリットであったのではないか。もっとも、むやみに集団での食事というのは、個人的にはいただけない。


8 養護施設における行事について。

 森川氏 多くの子どもたちが同じ場所にいる状況をうまくまとめ、親睦を図り、さらには職員・児童を問わず他者の意外な一面をお互いに知るうえで、各種行事は有効に機能したと思われる。子どもらにとっても、それは生涯にわたるほのぼのとした思い出として残ってくれていれば、その行事は成功と言えやしないか。

 米河氏 すべてがダメとは言わないが、よいとも言わない。時代性も考慮すべき。確かに、元児童にとって生涯にわたる思い出となっていれば効果があったと言えようが、むやみやたらに群れさせてじゃれ合わせてそれを社会性を涵養するなどというのは、自画自賛が過ぎる。特に中高生にとっては、なおのことである。


9 よつ葉園の「全面移転」(1981年)について

 森川氏 自身の死後持上った議題であり、それを論評できる立場にはないが、第三者としてみる限り、長い目で見て成功ではなかったか。津島町時代の縁が切れたことについては、残念ではあるがやむを得ない。丘の上という立地については、一定の効果があると私は考える。ただ、社会性の涵養における米河氏の指摘には、一定の理解はできるが、全面的に賛意は表せない。

 自然に囲まれて云々という点については、むしろ良いのではないか。

 米河氏 私もまた、こちらの地で生活をしたわけではなく、他の卒園生や職員各位からの情報だけであるから、同じく論評できる立場にはない。事業規模等を考えればそのような地への移転はやむを得なかったことは認めるが、社会性の涵養の見地からすれば、津島町のほうがよかったのではないか。何故、丘の上のような場所に逃げ込むかのような移転をする必要があったか。

 自然云々については、詭弁に過ぎない。くだらぬ情緒論でしかない。

 

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 このような感じです。

 ちょくちょく、やり取りがあるということで、御理解を。

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