ギムレットより、ポートワインを。

真坂 ゆうき 

last and first day

 私は酒場の外に出ると、【OPEN】と書かれた札をひっくり返した。


 元居た世界から、訳も分からず引き摺り込まれて、右往左往しながらも作り上げた私の場所。血と暴力と狂気に支配された、黒くて深い闇の世界を思えば、狭く騒がしいながらも温かさにあふれたこの場所は、何より私の宝物だった。


 この世界でこうやって小さな酒場を開いてからは、本当に時間が過ぎるのがあっという間だった。おそらく体感では一年も経っていないと思うのだが、その何倍もの時間を過ごしたような気がする。


 何やら胸にこみあげるものを感じた私は、零れ落ちそうになってくる涙を万が一にも誰かに見られないようにサッと扉を押し開いて、中に入る。そして、改めて最後の営業を終えた店内を見遣った。綺麗に磨かれて並べられたグラス類も、野郎共が馬鹿騒ぎした時に投げ飛ばされて若干へこんだテーブルも、宴の後の酒気が漂うこの店の空気も、何もかもが愛おしい。


(今から、私は死ぬ)


 厳密には死ぬわけでは無い。この世界にヴィオレッタは変わらず、明日も存在する。だがヴィオレッタと言う人間の記憶を持った私は死に、この世界に残されるのはヴィオレッタと言うを持った、言わば空っぽの私だけ。


 これがどうやら、この世界での寿命に関するルールらしかった。


 最も、私にとっては現世のように焼かれて灰になってしまおうが、身体が残ってしまおうが大して差はなかった。何なら焼いてくれたほうが、後腐れも無くて良かっただろうに。ちょくちょく酒場に来る年下の親友にこの話をしたら、『それはNPCになるということなんでしょうか』と謎の言葉を発していた。何でもそれは、ただ決まった範囲を動きながら、問いかけられたら決まった言葉で反応するものらしいけれども、それはもう私であって私ではない。


 だからこそ、私はこの世界での死についてはどう思う所も無かった。この世界でこういう生き方が出来て、私は間違いなく満ち足りていたからだ。

 ただ、一つほんの少しだけ心残りがあるとすれば、ともう同じ時間を共有できないことだろうか。そう思った私の心の弱さが、昨日も同じ席に着いていた彼の前にギムレットを置かせたのかも知れなかった。


 ―—理想郷ユートピアを求めよ。この地に辿り付いた者だけが、望みを叶える事が出来る―—


 この世界で初めて耳にした言葉を思い出し、私は天を仰いで心の中で祈る。

 どうかこの世界を生き延びて、彼の望みを叶えて欲しい、と。


 その時、表で扉がノックされた音が響いた。


 さっき間違いなく【CLOSED】にしたはずの扉を、それでもしつこく叩き続けるのは誰か。訝しみながらも扉を開けると、そこには今一番人間の姿が映っていた。


「よう、今日も相変わらずアメシストのように美しいね。ちょいと一杯ひっかけたいんだが、良いか?」


「あら、相変わらず口の良く回る人だこと。表の文字が見えなかったのかしら?」


「おお。ほれ、【OPEN】って書いてあるのは見えたが」


「本当、都合のいいヒトね」


 木札をひっくり返したことを悪びれもせず、そのままスルリと店内に入ってくる巨漢に対して苦笑いしながらも、私は追い返すことはしなかった。おそらくほんの少しの時間だけなら、私が私でなくなる時には間に合うだろう。そう都合よく解釈して、彼をいつもの席に案内しようとした。


「お前、自分の寿命が『見えた』んだな」


 突然そう言われ、一瞬呆然とした私にいつも通りを装う余裕は無かった。


「……なんで、そう思ったの」


「そりゃあんな酒を出されて、意味に気づかねえ俺じゃねえぞ。見くびるなよ」


 もう私は否定も肯定も出来ず、彼の逞しく日に焼けた身体に寄り掛かることしかできなかった。


「お前らしいと言えばお前らしいが。あくまでいつも通りに振る舞っておいて、気づいた時にはハイさよなら、ってか。お前にとっては良いのかも知れんが、俺達にとっちゃ良い訳ねえだろうが」


「でも、もう……私の寿命は」


「そんなん知ったこっちゃねえぜ。だいいち、アカリも言っていたが、完全に消えちまう訳じゃねえ。だったら元に戻すこともできるはずだ。理想郷ユートピアに辿り着けばな」


「え……そ、それって」


「と、言うことでお代わりを所望するぜ。そうだな、本当だったらきっつい一杯が良いんだがよ。今日と言う日にちなんで二人で飲むんなら、……ポートワインだな」


「……ふふ……そのものは無いかも知れないけど。待ってて、今用意するわ」


 なんて人。よりにもよって、最後の日にこのお酒を選ぶなんて。だけれども、これからの私、いえ私達にとっては、何よりのお酒かも知れない。


 ……だって、そうでしょう? 例え私が私でなくなってしまっても、愛してくれるという人が此処に居るのだから。


「それじゃ、俺達二人の未来に」

「『乾杯』」


 だけど私は、どうしようもなく我儘だから。最後にもう一つだけお願いするの。


 ―—願わくば、次に目覚めた時も、愛しい貴方の腕の中でありますように。

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ギムレットより、ポートワインを。 真坂 ゆうき  @yki_lily

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