最終章 ラッキーターン【KAC20237】

いとうみこと

最終話

「かおりん先輩、俺の話聞いてもらえますか?」


 かおりが頷くと桃野は正座し直した。


「俺がこっちに来た時、プロジェクトはかなり遅れてて、原因は明らかに部長でした。実務はイマイチのくせに知ったかぶりして口出しするからこっちの作業が何度も中断されました。創業家出身なんですね、あの人。使えないから流されたって後で本社の人に聞きました」


「俺はいずれ本社に戻る身だっていっつも言ってたなあ」


「今でも言ってますよ。とにかく部内はてんやわんやでした。部長のことはさておき、引き継ぎもなしに辞める前任者も無責任な奴だと俺は思ってました、仕様書に先輩の名前を見つけるまでは」


「え? どういう意味」


「大学時代の先輩はめちゃくちゃかっこよくて、設計図は完璧だし、準備は怠りないし、たとえ相手が目上だろうが間違ってると思うことはきちんと伝えるし、それでいて無邪気で屈託なくてよく笑って可愛くて……いや、それはともかく、その先輩が仕事を途中で放り出すはずがないって思ったから河野さんに問いただしたんです。最初は言葉を濁してたんですけど、俺のしつこさに負けて、かおりん先輩は部長のパワハラのせいで退職したって教えてくれました」


「私が部長に食ってかかることで却ってみんなに迷惑をかけてたからね。でも、私がいなくなっても状況は変わらなかったんだ」


「むしろ悪くなったって河野さん言ってました。部長に物申す人がいなくなってやりたい放題だったって。納期も遅れて本社から色々言われたのを部長が全部リーダーの河野さんに責任押し付けて知らん顔してたっていうのは経理の石井さんに聞きました。先輩と同期なんですね」


泰葉やすはね、小学校からの同期だよ」


「あのふたりいつの間にか付き合ってたんすね。今日のプロポーズには度肝抜かれましたよ。俺よく河野さんにメシ誘われて、ひとり暮らしの俺を気遣ってくれてるんだろうなあって思ってたんですけど、行きつけの店にはかなりの確率で石井さんがいて、俺多分ダシに使われてたんでしょうね」


 そう言うと桃野は口を尖らせた。その顔はとても幼くて、香はまだあどけなさが残っていた大学時代の桃野の顔を鮮明に思い出した。当時から熱く語るタイプの青年だったことも。


「あ、そうだ」


 桃野は唯一濡れずに済んだ黒のリュックから本屋で取り合いになった例の『花と蜜』を取り出した。


「これどうぞ」


「え? これお見舞いに持っていったんじゃ? それにどうして私がこの本欲しがってるって……まさか、あの時私とわかってて喧嘩売ったの?」


「あの時はほんとすみませんでした!」


 桃野は座卓に両手をついて深く頭を下げた。


「姪が入院したって聞いて、あ、姉がこっちに嫁いでるんですけど、見舞いに本が欲しいってリクエストされて、本屋に行こうとしたら部長が絡んできて、何か腹が立って思ってること全部ぶちまけたんですよ。で、その興奮のまま本屋行って、その時は綺麗なかっこしてたから先輩だとは全然気づかなくて。だとしても、大人としてあの態度は良くなかったと反省してます。今更言ってもいいわけにしかなりませんけど、すみませんでした」


 桃野はもう一度深く頭を下げた。


「何か微妙にディスられてる気がするけど、じゃあ、いつ私だってわかったの?」


「ここで先輩の声を聞いた時に、何か最近どっかで会ったかなって思って、帰りに本屋の前を通った時に、あれって昨日の人じゃなかったのかって閃いたんですよ。そしたら自転車の鍵を返す時に石井さんに『桃野君のヒロインはどうだった?』って言われて『フラワーショップ伊達』って店名思い出して、うわ〜ってなりました」


 頭を掻きむしる桃野を見て香は笑わずにはいられなかった。


「そうなんだね。私の方こそ大声出してごめんなさい。それに私の代わりに色々と大変な思いさせちゃったみたいでそれもごめんなさい」


 そう言うと今度は香が座卓に手をついて頭を下げた。


「やめてください! 先輩の後釜なら本望です!」


「ありがと。でも、本は何で?」


「ああ、それ間違ってたんです。姪っ子が欲しかったのは同じタイトルのBL本でした。まさか小学生がBL本って思わないですよね……」


 桃野は呆れたように両手を広げて頭を振った。それを見た香が声を立てて笑い、桃野も笑った。ひとしきり笑うと、桃野は急に居住まいを正して言った。


「俺、河野さんについてくことに決めました。つきましては、先輩も一緒に働きませんか?」


「え?」


 突然の申し出に香はフリーズした。


「河野さん言ってました。『伊達は仕事が嫌いで辞めたわけじゃない。この仕事はあいつに向いてると思うし、できれば一緒にやりたい』って。だから俺、必ず口説き落としてきますって啖呵切ってきたんです。お願いします、一緒に働いてください!」


 そう言うと桃野は告白番組のように右手をぐいっと差し出した。


「そんなこと急に言われても……」


「先輩のアレンジメントは凄く素敵でした。でも、仕様書の方が百倍素敵でした。俺はまた一緒に仕事したいです、あの大学の時みたいに」


 香はすぐには返事ができなかった。確かに、好きで就いた仕事だし叶えたい夢があったのも事実だ。でも今更……家族はなんと言うだろう……と香が悩んでいる間も桃野は手を突き出したままだった。その真剣な姿に香は精一杯応えた。


「ちょっと考えさせて欲しい」


 桃野はぱっと顔を上げた。


「ってことはノーじゃないんですね? やった! まずは第一歩!」


 香は勝ち誇った様子の桃野を見て慌てた。


「ちょっと待ってよ! あくまでも考えるってだけで……」


「いやいや、先輩、いいわけは聞きませんよ。昔からノーははっきりしてたじゃないですか。ノーと言わない先輩はほぼイエスです」


「何それ、おかしいでしょ」


「いやいや、これが俺のラッキーターンの一つ目ですよ」


「え? 何それ?」


「さっき言ったじゃないですか、俺の『七転び八起き』」


「それが?」


「昨日の部長との喧嘩が六つ目、そしてさっきの噴水シャワーがアンラッキーの七つ目でした」


「ってことは」


「そう、これからはラッキーなことが続きますよ。そしてその一つ目が、こうしてまた先輩のそばにいられるようになったことです」



         完



 最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m

 いつかまたこのふたりに会える日が来たら、その節はよろしくお願い致します。

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