scene 8 勝敗は己の匙加減

 カミーユは反射的に飛び退こうとしてしりもちをつき、その場にうずくまった。銃声は地下水路の低い天井に跳ね返って普通よりも数倍大きく聞こえた。ただでさえ聞き慣れない音を大音量で聞かされて鼓膜が悲鳴を上げる。本物の悲鳴も上げていたかもしれないが、よく分からなかった。

 誰かが苦しげな声を上げている。チェルソだ。

 肩の辺りを押さえて丸まっている彼を、


「やっぱりな、そんなことだろうと思ったぜ。馬鹿が」


 ――暗闇の奥から現れた無精ひげの男が足で小突いた。その手に握られた銃からはまだ煙が上がっている。


「なんで……」


 思わず声が漏れ出た。さっき渡されたばかりの鈴が手の中で小さく鳴った。


「な、仲間じゃなかったんですか……!」

「仲間だぁ?」


 無精ひげは顔をゆがめ、鼻で笑った。


「こんな無駄なことしかしねぇ奴なんざ仲間でもなんでもねぇよ。それに、もう採掘はおおかた終わったからな。ちょうどいいぜ。頭数が減りゃ取り分が増える。無駄が省けて最高だ!」


 あっはっはっはっ、と豪快な高笑いがこだました。

 カミーユは腹の底が冷たい熱湯で満たされたような気分になった。自分を助けようとしたこの人の意思や命そのものを無駄だと切り捨てる傲慢さに吐き気がしたし、楽しげに笑う醜悪な顔に寒気がした。けれど、たった一つの拳銃があるせいで、いや、たとえそんなものがなくたって、貧弱な自分ではこの男に逆らえないのだ。手も足も出せず、ただ見ていることしかできないのだ。そのことがどうしようもなく腹立たしい。

 チェルソがゆっくりと頭を持ち上げて、カミーユのほうを向いた。ひどく掠れた声が聞こえる。


「ほら、今すぐ走れよ、坊主。逃げるんだよ」

「……どうして」

「言ったろ。美学だって」

「そんなもののために?」

「単純でいいだろ?」


 自嘲気味に笑ったチェルソの顔が、まったく似ていないはずなのに、なぜか祖父と重なって見えた。どん、と無愛想に突き飛ばされたように、心が揺れ動く。


「おーい、最期の無駄話は終わったかぁ?」

「はいはい、終わった終わった。ほらよっ」


 チェルソが急に腕を振って、何かを投げた。無精ひげのうめき声。暴発した銃弾が明後日の方向に飛んでいって、石壁を削って跳ね返る音がした。


「てめぇっ!」

「逃げろ!」


 いきり立った無精ひげが銃口をチェルソに向ける。動けないカミーユの目の前で、引き金が引かれる。

 ――三度目の銃声。

 それは再び壁を削る甲高い音を立てた。重なるようにして鈍い殴打の音。うめき声と人の倒れる音が続けざまに上がる。がらんがらんがらん、と鳴ったのは、拳銃が通路に落ちた音だろう。

 そして、不意に来る静けさ。

 カミーユは閉じてしまっていた目を恐る恐る開けた。見覚えのある男が無精ひげを押さえ込んでいる。一度しか会ったことがないとはいえ、その一度が昨日のことだし、今は私服だったが、特定するには厳めしい顔だけで充分だった。


「大丈夫か?」


 軍警の男だ。

 彼はさっきまでカミーユを縛っていた縄を拾った。のびている無精ひげを拘束し、チェルソに駆け寄る。慣れた様子で少々手荒な応急処置をしていく。


「魔物避け、持っているか?」

「そっちの坊主がね。あんたは?」

「軍警だ」

「ああ……そりゃあちょうどいい」


 チェルソは諦めたような、ほっとしたような声でそう言った。


「鈴があるならこれはもういいな」


 と、軍警は片手に下げていた何かを通路に置いた。小さな魔物の死体だった。魔物の死体は、その血が乾くまでは簡易的な魔物避けになる。どうやらここまで来るのにそれを使ってきたらしい。それを見てチェルソが「同郷か」と呟いた。


「間に合ってよかった。行くぞ。立てるか」

「はい、平気です」


 本当のところをいうと、膝も手もひどく震えていて、腰にも力が入らなくて、立てるような状況ではなかった。けれどカミーユは壁伝いに無理矢理立ち上がった。怪我一つしていないくせに運ばれるわけにはいかない、と思ったのだ。

 軍警はチェルソに肩を貸し、もう一方の肩に無精ひげの男を担ぎ上げた。チェルソはともかく、無精ひげはそれなりに体格のいい大男だったのに、かなり余裕がありそうだ。


「さあ、戻るぞ」


 はい、と答えた自分の声が、異様に情けなく聞こえた。それで、カミーユは深くうつむいたまま彼の背中についていった。


「運がよかったな、坊主」


 視線を上げると、チェルソがわずかに首をめぐらせてこちらを見ていた。


「人生なんざ負けなきゃ勝ちよ。なぁ、軍警のあんちゃんだってそう思うだろ」


 軍警はわずかに肩を動かしたらしい。無精ひげの男のつま先がさっきまでと別の方向にふらりと揺れた。


「何をもって負けとするかによるんじゃないのか」

「そりゃあそうさ。俺が負けなきゃ俺の勝ちだ」

「逮捕されるのは負けじゃないのか」

「負けじゃないね。逮捕されるよりも、死ぬよりも、恐ろしいことがある限りは」


 軍警はもう一度肩を揺らして、「その“恐ろしいこと”の中に犯罪も入っていてくれたら助かったんだが」と小さく笑った。

 はしごを登っていくと、制服を着た軍警が二人、青い石のそばで話し込んでいた。小屋にいたはずの連中の姿はどこにもなかった。たぶん軍警に拘束されたのだろう。長髪を揺らしながら振り返った男が飄々とした態度で片手を上げた。


「よお、ベル。非番なのにご苦労様。惚れた弱みだな」

「うるさいぞ、ジッロ」


 ベル、と呼ばれた彼は、担いでいた無精ひげの男をぞんざいに床に落として、チェルソを一人に預けた。


「こっちは肩を撃たれて怪我している。応急処置はしたけど、早めに医者に診せてやってくれ」

「はいよ」

「あと、この地下、魔物の巣窟だ。この先に探してた抜け穴がありそうだぞ」

「マジか。それじゃあ、何人か連れてこねぇとだな」

「なぁリドル、非番返上して手伝ってくれよ」


 ひょいと首を突っ込んできた三人目の軍警を、長髪が軽く蹴った。


「バーカ、カトラちゃんが待ってんだから駄目に決まってんだろ」

「ちぇ、冗談だよ」

「冗談は通じる奴に言えって。ほら、ベル、こっちはどうとでもなるからお前は早く戻れ」

「いいのか?」

「被害者への事情聴取は任せたぜ」

「了解」


 ベルがこちらを向いて軽く頷いた。カミーユは彼らに――というよりはチェルソ一人に向けて――会釈をして、再びその大きな背中の後ろについて小屋を出た。


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