scene 6 証明
翌日。カトラは朝の作業が終わった頃に下りてきて、開口一番にこう言った。
「ねぇ、バツェレトの住所の表記について教えてもらえないかしら」
「はい?」
何を急に言い出すんだ、とカミーユは眉をしかめた。掃除の途中だというのに。箒を握る手に力がこもる。
カトラはこちらの様子などお構いなしに話を続けた。手には例のメモを持っている。
「1-dz-ztがバツェレトの言葉だとしたら、こっちの言葉に直すとどうなるの?」
「ええと……ノーセ、二十、十三ですけど……」
「ああ、やっぱり。それならたぶん住所だわ。北部地区二十ブロックの十三番ってことね」
「どうして分かったんですか」
「この書き方はこの辺り、ロセッオではよくある飾り方よ。慣れていればすぐに読めるわ。でも、盗人言葉っていうのかしら、暗号のような書き方をしていたの。だからベル――軍警さんには分からなかったんだわ。あの言葉の使い方はごく一部の人間しか知らないから」
「なんでそんなもののことを知ってるんです?」
「あたしが知ってたんじゃないわ。ここによく来るおじい様の奥様が、今は腰を痛めちゃってあんまり動けないんだけれど、すっごい昔にね、詐欺師をやってらしたの。その方にお願いして、無理を言って読んでもらったのよ」
なるほど、そのための無駄話か。だとしたらなんて使いどころの限られた、とカミーユはあきれ気味に膝を打った。
カトラがうーんとうなりながらうつむきがちになった。なんだか妙に深刻そうな顔つきをしている。
「これはベル――軍警さんに言わなきゃいけないわ。できるだけ早く伝えたいけれど……今日あたり来るって話だったわよね。あたしのほうから行ってすれ違っちゃったら困るから……どうしようかしら」
「え、そんな大事じゃないでしょう。どうせ今までにスってきたものを溜め込んでるとか、そんなところですよ」
「……あたしはそうは思わないわ」
思いのほかはっきりと言い切られて、カミーユはちょっと鼻白んだ。
「バツェレトの言葉を確実に読んでほしかったのよ。だから、バツェレトの名前を持ってるヴィルヌーヴへ、って頼んだんだわ。あなたに会っていたのも理由の一つだったと思う。少しでも話したなら、あなたがバツェレトの人だって伝わったと思うから」
そういえば、彼はわざわざバツェレト式の言葉で道を教えてくれたな、とぼんやり思い返す。しゃくに障るから言うつもりにはなれなかったが。
「それに、この住所。北部地区の二十ブロックって、かつて鉱業の中心地になってた辺りよ。今はすっかり廃れちゃって、地元の人間だってそうそう近寄る場所じゃないわ。鉱山までの地下通路も全部塞がれて、水路に転用されちゃってるから、今更――」
そこで妙な言葉の区切り方をして、それからカトラは仕切り直した。
「少なくとも、彼が殺されたことと関与している可能性は高いと思うわ。そうだとしたら、一般人が迂闊に首を突っ込むのは危険よ」
「……そうですか。まぁ、お任せしますよ。お好きになさってください」
と、表面上は大人しく頷いておきながら、カミーユはこっそり決めていた。
(カトラさんは考えすぎだ。そんな事件、そうそう起きるもんじゃないだろう。憲兵隊――軍警か。軍警を動かすだけ動かしておいて、無駄足に終わったらどう言い訳するつもりなのかな)
だから、僕が住所の場所に行ってみよう。そうしたら胸を張って「あなたが間違っていましたよ。恥をかかずに済んでよかったですね」と言える。
カミーユは掃除の仕上げを手早く済ませて、箒を片付けた。
「軍警でしたっけ。その人が来るのを待つなら、店番をお願いできますか」
「ええ、もちろん。どこ行くの?」
「ただの散歩です。早くこの辺りに慣れたいので」
そう、と頷いたカトラが、じっとこちらを見ているような気がした。けれどカミーユはその視線を無視して、さっさと店を後にした。
(北部地区二十ブロックの十三番、って言ってたな。二十ブロックってことは、かなり端のほうだよな)
さすがに大体の地理感覚はつかんだ。いまだに細かなところは苦手だけれど、どの方向に向かえば北部地区に入れるか、ということくらいは分かる。あとは人に聞けばそれで済むだろう。
爽やかな朝の空気の中を北に向かって歩いていく。気温も湿度も高いこの辺りでは、山からの風が救いの手だ。朝のうちは肌寒いと感じるほどの涼風が吹き抜けていく。
ある程度近づいたところで、適当な人を捕まえて住所の位置を尋ねた。人の良さそうなおじさんは不審げに首をひねった。
「そんなところに何の用があるって? ただの物置だぜ」
「どんな場所か見に行くだけです。特に用はありません」
「ふぅん?」
気のない相づちを打ってから、おじさんは道を教えてくれた。礼を言って別れる。
言われた通りの道を進んでいくと、人の気配がどんどんなくなっていった。完全に裏通りに入り込んだらしく、誰ともすれ違わないし、話し声や足音も聞こえない。雰囲気につられて、なんとなく息を殺してしまう。
住宅街ではなかった。カトラの話していた通り、採掘のサポートをするための工業地帯に近い場所なのだろう。まるで死んだようにひっそりと静まり返っている。
目的の場所は、周囲を背の低い石壁で囲まれていた。中には小さな四角い箱形の建物がぽつんと建っている。カミーユは“物置“という呼称に深く納得した。扉しかない石造りの小屋は、物を保管する以外に使えそうもなく見えたからだ。
しばらく塀の外から様子をうかがって、何もないことを見ると、カミーユはそっと敷地内に踏み込んだ。
(明らかに使われてなさそうだし、やっぱり無駄足だったみたいだな。盗品をこっそり溜めてました、とかならあり得るだろうけどね)
扉に手をかける。すると、木製の扉はあっさり開いて、内側から光が漏れ出てきた。
誰かが使っているのだと理解するより早く、カミーユは小屋の中に押し込まれていた。
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