不アン神社

佐倉有栖

不幸と幸福のバランス

 出ました一等三億円!

 大きく書かれた赤い文字が、風に揺れている。何本も立つ幟を見ながら、鬱々とした気持ちが広がっていく。

 また、誰かのもとに幸運が訪れた。それはすなわち、自分の運が誰かに奪われたことを意味していた。

 次の億万長者を目指して並ぶ人波を横目に、足早に通り過ぎる。このままこの場にいては、また誰かに運を奪われてしまう気がした。

 吹きすさぶ風に首を縮め、新年のセールからバレンタイン商戦へと切り替わりつつある街を歩く。通り過ぎる人々の顔はどこか幸せそうで、自分の運が吸い取られているのを感じる。


 早く何とかしないと、また不幸が訪れるかもしれない。ただでさえも上手くいっていない今が、もっと悲惨なものになるかもしれない。

 焦燥感に突き動かされるように小走りで自宅に帰りつくと、ダウンを床に投げパソコンの電源を入れた。起動する数秒すらもどかしく、スマホでSNSを開く。そこでは今日も、幸福を手にした人々が自慢を繰り広げていた。


「先ほどのイラストが一万いいね達成しました!」

「企業案件が決まりました!」

「この度お声がかかりまして、連載していた話が書籍化されることになりました!」

「先月のコンテストで素敵な賞をいただきました!」


 カっと、頭に血が上っていく。彼らが成功しているのは、自分から運を吸い取っているからなのに。

 続々と投げられる祝福の言葉に、吐き気がする。こいつらが祝うことによって、さらに自分の運が奪い取られている。これ以上運を吸い取られないために、防衛しなければいけない。


「あんなイラストでイイネもらって嬉しい? AIのほうが断然うまいが?」

「はいはい、脳内企業からの案件オメデトー」

「あの程度の話で声がかかるとか、その出版社見る目ないわ」

「相互多いと実力関係なく賞取れていいね」


 すぐに否定的なコメントがつくが、暇な奴らの相手をしている時間はない。いったんスマホを置き、インターネットを立ち上げるとニュースを見ていく。

 トップニュースは、今やっているスポーツの試合結果だった。かなり順調に勝ち星をあげたようで、喜びのコメントがずらりと並んでいる。誰もが勝利に熱狂し、選手への感謝の言葉で埋め尽くされていた。


「次は相手のほうが実力上だから、惨敗するだろうけどな」


 次の対戦相手誰だか分かってるのか? と言う返信があるが、もちろん知らないし、そもそも興味がない。

 その下のニュースは、アイドルと俳優の結婚の話題だった。清純派で売っていたアイドルと実力派の俳優はどちらも好感度が高く、長い交際期間を経ての発表に、温かな祝福の言葉が並んでいた。


「どうせ数年後に離婚するだろ。今から不倫で離婚って予言しとくわ」


 高校生が火事の現場から老人を助けたというニュースには、火の中に飛び込んだ高校生を馬鹿にし、芸能人が子ども食堂に寄付をしたとのニュースは、売名と切り捨てる。

 目につくニュースにあらかたコメント入れ終えた後で、再びSNSに戻る。




 世の中の運というものは、絶対数が決まっている。誰かが幸せになれば、同時に誰かが不幸になる。そうして世界のバランスは保たれているのだ。

 この仕組みを知らなかったばかりに、今まで散々運を奪い取られてきた。今だって、気を付けていないとどんどん吸い取られてしまう。取られた分は、奪い返さなくてはいけない。誰かを不幸にすることによって、防御と回収をしなくてはいけないのだ。


 人の運を奪い取る輩への攻撃を続けていると、知らないアカウントからDMが届いた。善人を装いたいお節介焼きから意味不明なDMを受け取ることが多いため、普段は開くことすらしないのだが、何故だかその時ばかりは開かなければいけない気がした。


「あなた、ずっと他人に喧嘩ばかり売ってるけど、どうしてなの?」


 目に飛び込んできた文面に、開いたことを後悔する。見るだけ時間の無駄だったと閉じようとするが、たまには善行をするのも悪くないと思いなおす。


「喧嘩を売ってるわけじゃない。奪われた運を取り戻すためにやってるだけ」

「運を奪われる? どういうことなの?」


 間髪入れずに返信があるが、どうやら相手はこの世の仕組みを理解していないらしい。仕方がないので、懇切丁寧に解説を入れてやった。


「なるほどね。なかなかに興味深い世の中の見かたね。あなたは、誰かが幸せになるとその分自分の幸せが減って、逆に不幸せになると思っているのね」


 そうだ。だから、奪われた運を取り戻し、押し付けられた不運を誰かに渡さなければいけないのだ。


「でも、凄いわ。それって裏を返せば、あなたが世の中の不幸を引き受けてくれれば、その分誰かが幸福になるってことよね」


 ヒンヤリとした空気が背中を撫でる。暖房をつけているはずなのに、急激に室温が下がっていくのがわかった。

 顔を上げればすでに室内は暗く、窓の外からは月あかりが細く入ってきていた。カーテンを閉め、電気をつける。白々とした光が狭い室内を照らし出し、玄関口に立つ背の高い男性の姿を浮かび上がらせた。

 喉の奥で悲鳴を上げる。鍵はしっかりとかけたはずなのに、いつの間に入ってきたのだろうか。混乱する頭が正常な思考を放棄し、男性の胸元で光るターコイズ色の石に目が釘付けになる。


「あなた、神様の素質があるわ」


 甘い低音に似合わないしっとりとした女性のような口調には、覚えがあった。先ほどまでDMでやり取りをしていた相手と、全く同じ話し方だった。


「あなたは、神様になるべきよ」


 男性の胸元で、ループタイが揺れる。

 右へ左へ、振り子のように揺れるそれを見ているうちに、意識が真っ黒に塗りつぶされていった。




 気づけば、真っ暗な場所にいた。自分の手すらも見えない暗闇の中で、四角く切り取られた光を見つけた。吸い寄せられるように近づけば、高校生くらいの女の子が立っていた。


「無事に第一希望の大学に合格できました。ありがとうございました」


 彼女がいなくなった後で、今度はパーカー姿の若い男性が現れた。


「スロットで大当たりが出ました。ありがとうございました」


 彼がいなくなった後にはスーツ姿の男性が、綺麗な身なりの中年の女性が、次から次へと現れては皆一様に自分の身に起きた幸福を報告していく。


「欲しかった限定物のバッグが手に入りました、ありがとうございました」

「父の病気が治りました、ありがとうございました」

「憧れだった新人賞をとることができました、ありがとうございました」


 耳を塞ごうにも、手がないので塞ぐことができない。不幸を押し付けようにも、口がないので言葉を発することができない。途切れずに訪れる人々の幸福を聞き続けるのは、拷問以外の何物でもなかった。

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