生活

 「あー、聞こえてますか。どうもー新人VTuber。狼で魔法使いのリビアでーす」

 あー、どうも二八歳喪女の谷伊織です。

 ネットでたまたま見つけたVTuberというお仕事。OLの私も初めて見ることにした。

 他の活動者さんはみんな絵が動いていてすごくかわいい声でお話していらっしゃるけど、声も低く、パソコンにあまり詳しくない私は画面上で動きもしない。配信活動を始めてみたのはいいものの同時接続者数は日によっては0だし多くて3。そんな日々が続いている。

 私は自分でこのリビアの体を錬成した。小中は美術部、そして高校で文芸部に入った私は青春を絵画に捧げてきた、だからこそ今のこんな自分がいるんだけど。大学では美術系の部活のレベルが高く、絵を書くことに情熱をあまり注げなかった私は美術系の部活、サークルには入れずひたすらシフトを入れていた。

 外に出ることもなく色白で髪も責めず暗髪だった私はバイト先では貞子と呼ばれていた。私は面と向かって人に貞子と呼ばれたことはなかった。が、私が休憩に入る時にイケイケの一つ年下の男の子が私をそういう風に影で呼んでいるのが聞こえてしまったことがある。別にその男の子とバイト先以外で遊びに行ったりすることもなかったし、シフトもあまりよく被っていたわけじゃないしどうでもいいんだけどね。

 私が配信するときは有名な人とは違ってずっとコメント欄が流れているわけじゃないから話が続くわけでもない。一度勉強のために他の配信者さんのところにお邪魔したことがあるんだけど、その人はコメントがずっと流れているわけでもないのにずっと話していた。そんなに話せるだなんてすごいなと思っていた。

 私は人とあんまり話してこなかったからこそ、楽しく雑談する方法とか人と仲良く関わる方法なんて全然わからなかったし、よくよく考えてみれば人とも話せない私が画面越しの誰かと話すなんてことできなかったんだろうな。

 雑談ができないのならゲームとか恋愛相談所とかすればいいのかもしれないけどゲームなんてマリオもまともにやったことがないのに現代ゲームなんてできるわけがない。それに相談事を持ってこられたって、まともな恋愛なんて経験が無い私には解決策なんて打ち出せるわけもない。気まずくなるだけだからそんなことはしない。する勇気さえ出ない。

 画面の中とは違う長い黒髪。黒縁が太い眼鏡。大きくはない胸。リビアとは全く違う。こんな私を、谷伊織をみても誰もリビアと同一人物だと結びつけることなんてできないだろう。

  一週間に一回の一時間雑談を終えて晩御飯を買いに行く。私はいつか幸せになれるのだろうか。わからない。そう考えながらラーメンサラダを手に取った。


 ラーメンをすすりながらテレビのリモコンを取る。テレビの中の食事はとても美味しそうだ。私の手元にあるこれと何ら違わないもののはずなのにあの女優さんはとても美味しそうに食べる。

 「私達ってなんでこうも違うんだろ」

 烏龍茶を飲み込み一息つく。喉に絡まる胡麻ダレが流れていく。きゅうりの切れ端を口に入れラーメンを掻き込む。そしてまたラーメンをすする。

 あ、シャツの予備まだあったかな……

 そうだ

 「いただきます」

 忘れてた。ラーメンサラダは炭水化物も野菜も取れてお財布に優しい食事。それに脂っこすぎることもなくきっと体にも優しい。そうに違いない。

 どうでもいいこだわりだがラーメンに乗っている卵は最後に食べる。これは誰がなんと言おうと決まっている。憲法にもそう書いてある。

 今日はあんまり汗もかいてないしお風呂も入らなくて。お金もあんまりないし。体は疲れているけどまあいいか。どうせ明日も大切な彼氏と会うわけじゃない。最悪な環境の職場に行くだけだ。あそこに行くのに色目を使うだけ無駄。

 歯磨きしてから布団を敷いた。せめて服は着替えようと思い黒いオーバーサイズの服を着るて床につく。

 「おやすみなさい」


 ジリリリリリリ。

 うるさい。一人暮らしを始めるときに母からもらった十年ものの時計。未だに時間が狂うことなく動き続けてくれる一品だ。だけどこの子のことが私は嫌い。私の夢を壊してくれるから。

 お腹をかきながら、のそのそと起き上がりコンロにガスを通す。あたたまるまでの間、食パンにジャムを塗ってトースターに入れる。フライパンに油を引き卵を落とす。私の好物の卵焼きを作るのだ。昨日は配信を頑張った。だから今日はご褒美として卵焼きを作る。

 自炊は稀にする。そのおかげで作れるものはカップラーメンと卵焼き、それと春雨スープの三種類もある。

 お水をティーポッドに入れお湯になるまで待っている。その間に卵焼きを巻いている。今お昼ごはん用に作っているのは卵焼きだけ。それだけをタッパーに入れて会社に向かい、途中にあるコンビニで野菜を買い、会社の電子レンジでパックご飯を温める。そんな食生活である。

 髪を縛る。

 朝ごはん用の食パンをトースターから取り出し口で加えて作業を続ける。ジャムが蕩けてTシャツに落ちてしまわないように上手くバランスをとってジャムが落ちないようにするのにはコツがいるのです。

 フライパンを洗い台所を後に、といっても二メートルもないが、洗面所へ向かう。前髪をヘアバンドを使って上げた状態で顔を洗う。そして化粧をしていく。男性には、特にうちの上司にはわからないかもしれないが女子は大変なんだよ。その苦労も知らないで砂漠を頭に抱えていらっしゃるあのハゲはすべての女性から蔑まれるといい。主に娘から。

 化粧を終わらせスーツを着た。昨日胡麻ダレをこぼしてしまったがシャツの予備はあった。しかし明後日くらいにはまたアイロンがけしないといけないのか……憂鬱だな。

 憂鬱であれど会社へは向かわなければならない。私一人いなかったとしてもどうせ社会は回る。会社は回るし営業部は回る。だけど今日は行かないといけない。お金がほしいから。やりがいとかそういうんじゃない。ただ生きていくために必要とされていないことを淡々とこなしていくしかない、それが労働なんですね。

 会社につき社員証を忘れていることに気づく。会社のゲートの横にある窓口をノックして警備員さんに話しかける。まさか朝からあんな老害に怒られるとは思わなかった。体からは加齢臭がするし鼻毛は出てるし。何ならいつから口を洗ってないんだと言わんばかりのリップノイズ。この人に配信業は無りだな。まあそんな仕事も知らないだろうが。

 営業部に入り自分の席へと向かう。いつもなら始業の二十分前には入ってその日の予定をある程度確認し他の企業からの連絡を確認したりし、終わり次第コーヒーを一杯キメる。それが最高のルーティンだったのに。あのジジイ。許せない。

 私の仕事の班には約一年仕事をしてきて少しずつ教育する必要のなくなってきた新人の増瀬君。三年年上の未婚の奥田先輩。そして娘に邪険に扱われ、その鬱憤を私で晴らしている橋本課長。そして私。この班は私にとっていいことなんてない。

 今年度の四月なんて本当に地獄だった。私の仕事もある上に橋本課長から地元が一緒だというだけで「仲良くしろ」と教育係を任命された。つまり給料が上がらないのに仕事量だけが増えていく。この生活を約一年もしてきた。残業代こそ若干もらえたが心の対価にしてはあまりにも安すぎる金額だった。そのせいで最近は抜け毛もひどくなってきた。

 そういう職場であれば疲れも溜まりミスも増える。もちろんのこと橋本課長が私に対するケアをすることはなく、私に対して増瀬くんには「こうはなるなよ」と逆に遠回しの皮肉を言ってくる。それに対して増瀬くんも否定できるはずもなく賛同する。お局の奥田先輩も私を助けてくれるわけもなく逆に心を追い詰めてくる。私じゃなければもう辞めてるだろう。

 心が少しだけ強い私も、もう今すぐにでも辞めてしまおうかと思っているのだけれど。

 糞が。

 学校でのいじめみたいなものもないのでお昼ごはんは一人で便所でなくとも食べることができる。別にお弁当箱がゴミ箱に捨てられていたりとかはない。だから安心してお弁当を貪ることができる。

 うちの会社は給湯室にレンジがあるのでパックご飯を温める。待っている間はSNSでエゴサーチをしている。今日もリビアに関するツイートはない。まあそりゃそうか底辺VTuberに対して感想も何もないか。そしてこれは個人的自慢なのだが、私のガワはそれなりにクオ高だからFAも描きづらいのかもしれない。

 ご飯が温まりました。

 熱々のご飯とお弁当を持って会社近くの公園へと向かう。大きな木があり緑あふれる公園。椅子が多くて助かる。流石に平日ということもあって子供は少ないしお爺さん達は昼食を摂るためゲートボールを放棄している。よってこの公園にはほとんど人がいない。ここは誰にも邪魔されない私だけの聖域なのだ。

 パックをペリペリ開けタッパの蓋を開け橋を割り

 いただきます。

 うん、いつもと変わらずもちもちのご飯。そしてさすが私の卵焼き。味がしっかり出ている。口に入れた瞬間トロトロになって崩れるということは、できたてでない限り無いのだけど。

 季節も相まって風が冷たい。いくら少しずつ暖かくなってきたからと言ってスーツにコートにカイロじゃまだ寒い。

 だけど食堂や自分のデスクなんかじゃ奥田先輩が嫌味を言ってくるしな……そんなんだから結婚できないのがわからないのだろうか。私が言えたことじゃないが。

 さあ嫌味だらけの職場に戻りますか。少し体を伸ばしてあくびをする。


 私の仕事は営業といえど電話を掛け商品を売るタイプのものである。だから外回りがあるわけでもないのであの陰鬱な部署に閉じこもらなければならない。

 実際に外回りをしたことがないから実情は知らないが、外回りだったらどれだけ良かっただろうか。あの空間にいなくていいのであればどんな仕事でもいい、今はそう思っている。

 今日の業務を終え家に帰る。

 働いて家に帰り寝てまた日が昇れば働く日々。そんな人生に意味なんてあるのだろうか。

 こんなにも憂鬱な日はリビアになってもいいのかもしれない。

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