第18話 教養授業5限目。鈴音先生、直感力と論理力を語る。

散々遊び倒した夏休みはあっという間に終わり、

あっという間に9月になった。その最初の週の月曜日、

鈴音先生が教室に入って来た。4限目、今週の教養授業の始まりである。

起立!礼!。今日も鈴音先生の透き通った優しい声が響く。


「みなさんはまだ夏休み明けで、感覚が戻っていないかもしれませんね。

なので、今日は直感力と論理力について話してみたいと思います。

さて、では最初に簡単な問題を出します。

夏休み明けを頭をシャッキッとさせて、5秒以内に答えを出して下さい。


では問題です。

ここにバットとボールが1個づつあります。価格は合計で11,000円です。

尚、バットの価格はボールより10,000円高いです。

それでは、バットとボールの価格はそれぞれいくらでしょう?


「……………!」


「今、パッ考えて、ああバットは10,000円、ボールは1,000円と

思いませんでしたか?これが直感的な答えの出し方です。

問題ではバットはボールよりも10,000円高いと言ったのですから、

ボールの価格が1,000円だとすると、バットの価格は11,000円になり、

これだと合計価格が12,000円になって、理屈が合いません。

正解はバットが10,500円、ボールが500円ですね。


この様に人間の脳は、あらゆる事象に対して、直感が働いて

瞬間的に答えを出すという機能を持っています。

何故この様な機能があるかと言えば、

危機回避の為に必須の能力だからです。

数百万年前に現れた人類は、長い旧石器時代の間、

狩猟で生活を立てて来ました。狩猟に行って、

近くの茂みが急にガサガサしたら、

【危険だ!】と感じてまずは急いで距離を取る。

だって相手はウサギかもしれないし、虎の様な猛獣かもしれません。

いちいち確認していたら、それこそ命がいくらあっても足りませんよね。


この直感というのは、長い経験則をも反映させるという凄さも持っています。

将棋の羽生9段は著作の中で、

【私の経験では、将棋における直感は9割が正しい】と

述べています。パッと将棋の盤面を見て、

最初に見えた手が、一番の最善手である事が多いというわけです。

持ち時間で考えているのは、こうした直感で見えた手が、

論理的に正しいのか?検証に充てているのだそうです。

長い経験で培ってきた能力が、直感にも反映していると言う事ですね。

この様な経験は皆さんにもあるのではないでしょうか?

数学の問題を短時間で解くのにも、こうした直感は大事だったりします。


さて、この直感の対極にあるのが、論理的に考えるという思考です。

何でもかんでも直感的に正しいと思った内容で進めてしまうと、

時に大きなミスが起こります。

金融商品とか不動産とかの投資商売でだまされるケースは、

内容を詳しく理解もしないで、【なんとなく良さそうだ】とか、

【儲かっている人が一杯居そうだ】、

とか、直感で決めている場合がほとんどです。

大体、あの様な営業的パンフレットは、拡販用に作られていますから、

都合の悪い事はまず書かれていないし、

どうしても書かなくてはならない場合は、

眼につかない所に小さな文字でこっそり書いてあるのが普通です。


健康用のサプリメントなんかもそうですね。こういう商品の多くは

色々な有名人が登場して、【私はこれで健康になりました!】なんて

大きな声でPRしていますが、大抵隅の方に、

【個人の感想です。効果を保証するもではありません】と書かれているはずです。

医薬品として認められる為には、動物実験、人体を使ったかなりの数の

臨床試験を行い、その投与によって、

一定以上の割合で確実な改善効果が見られ、致命的な副作用が少なく、

またその効果が具現化する理由を、論理的に説明出来なくてはなりません。

あるサプリを飲んで、癌が直った人がいるかもしれない。

けれど10,000人が飲んでひとりとかふたりにしか効果がない物は、

薬とは言いません。こういうサプリ系の話は、ごく小さな話を

100倍くらい盛ったりしている訳です。


歴史上で見ても、直感で事を進めて失敗しているケースは

非常に多くあります。特に酷いのは宗教上のケースですね。

中世ヨーロッパでは、【猫】を悪魔の使いとして忌み嫌っており、

見つけ次第殺していた事を皆さんご存知でしょうか?

猫のあの不思議な瞳の輝きや容姿から、魔女とか悪魔を直感的に

連想したのでしょうが、猫を殺しまくった為にネズミが大繁殖し、

結果、ヨーロッパはペストの惨禍に幾度となく見舞われます。

最悪の時は人口の4割以上が失われたそうですから、目も当てられません。

これなどは、直感的に正しいと考えた事が、大きく間違っていた例だと言えます。

だって、猫が悪魔の使いだなんて、いったい何の論理に基づいているのですか?


日本でも天災が続いたり、お城の工事で事故が続いて上手く行かなかったり

した時、【人柱】を立てるという習慣がある所がありました。

人の命を神に捧げて、その怒りを収めるという発想だったみたいですが、

何故人の命を捧げると神の怒りが収まるのか、

それを論理的に証明する事など出来ないはずです。

こういう時、「何馬鹿言ってるんだ、そんな理屈があるか!いい加減にしろよ!」

という人がいるかいないか、またその人の事を、「その通りだ!」

と肯定出来るかどうかが、国家や企業、その他多くの社会的集団の成功の

鍵になる様に思います。

企業のトップの会長や社長が碌に考えもせず、直感で判断を下している様な

ケースは今でも多々あるはずです。何せ人間、論理的に熟慮するより、

直感で考えた方が楽ですから。「俺がこう思うのだから、これでいいんだ!」

なんてやっていたら、いつか足を掬われます。


最後に、論理的に考えるべき時に注意すべき事を言いましょう。

まずひとつ目は、モチベーションが低い時や疲れが酷い時には、

重要な判断は避ける事。仕事で疲れ切っている時に、

金融商品や不動産商品の細かい内容を聞いても、

理解出来ないし、安直に判断してしまいがちです。

重要な判断は精神/身体ともに活力があり、

疲れていない時にする様にしましょう。


また、自分が良く知らなかったり、理解が及ばない様なものは即決を避け、

周囲に相談するなり、ネットで文献を当たってみるなどしてみましょう。

重要な判断をする時、利害関係のない人の客観的な意見や判断を聞いてみる事は、

非常に有意義です。


それからあとは思い込みの排除です。

例えばA社というメーカーの車と、B社というメーカー車があったとする。

客観的な第3社機関の評価で、A社の車の方に高い評価結果が出たとします。

しかしB社の車のファンであるあなたには、それが認められない。

そんなはずはないと、色々な情報を集めて、

結果B社の車が良いのだと判断するとします。

しかしこういう情報の集め方は、B社の車を高評価する為の情報集めである為、

バイアスが掛かって公平な物にはなりません。

だって、B社の車を高く評価する為の情報収集と、A社の車が不利になる

情報ばかり集めたとして、それが公平な評価と言えるでしょうか?

誰と結婚しようかと迷っている時など、

こういう評価をしてしまいがちかもしれませんね。


直感力も論理力も、それぞれ生きる上で重要な力である事に変わりありません。

でも人間というのは、直感で考えた方が楽なので、

ついつい論理を軽視しがちになり易い生き物なのです。

将棋で勝つには、直感で得た答えが正しいのか、論理的な検証が必要です。

そしてそれは他の勝負や、決断にも当てはまります。

そして本当に賢い人というのは、この使い分けが上手く出来る

人なのではないかと私は思うのです…」


教室は今日もシーンとしている。

鈴音先生の授業はいつも本当に静かだ。

みんな集中して聴いているのだなぁ~と改めて関心する。


「それでは、いつもの質疑応答の時間としましょう。

出席番号と名前を言ってから質問して下さい。

授業に関りのない様な質問はしないこと。ではお願いします」


「男子出席番号18番、山口多聞です。

色々な新興宗教とか、アムウェイとかに染まってしまう…

洗脳されるというのは、やはり論理力の欠如によるものですか?」


それを聞いた鈴音先生は、少し間を置いて答えた。

「私個人の考えでは、やはり論理力の欠如だと思います。

どの様に生きて行くか、どの様な方針で人に接するか、

あるいは人生の大きなテーマとして何を置くか…。

そして人生の終焉の後には何があるのか?

人生において色々重く難しい問題が多々ありますが、

簡単に答えが出るものではありません。

こうした事に悩むのは、ある意味生きている証拠なのです。


こういう難しいところを全て他人に丸投げしてしまう。

洗脳されているというのは、こういう状態の事だと思います。

根拠はともかく、自分以外の誰かの考えを盲目的に信じてしまえば、

確かにこれらの難しい問題に悩む必要は減るでしょう。

ですが、それで本当の真実にたどり着ける訳ではありません。

全ての答えは最終的に自分で見つけ出さなくてはならない。

皆さんはその為に生きているのです。

それを放棄する事は、生きる意味の放棄と同義語ではないでしょうか?


悪質な宗教の中には、信者の心に付け込んで、多額のお金を

巻き上げたり、家族との関係を崩壊させたりするものもあります。

アムウェイなどは、無限連鎖防止法という日本の法律に触れる

業態をしています。この様な良くない集団は、

世の中に多々存在しています。


今日の授業で述べた直観力と論理力を磨き、

自分の道は自分で決める。皆さんにはそういう生き方をして欲しい。

先生はそう願ってやみません」


先生は暫くの間外の景色を眺めると、ぽつりとこう続けた。

「私の個人的経験だけ言えば、目に見えるものだけが全てではない。

これは事実だと思います」


ここで授業の終了を知らせるチャイムがなった。

「では今日はここまでとしましょう。起立、礼!」

挨拶が終わると、鈴音先生はゆっくりと教室を出て行った。


「おっさん、飯にするかしらん…」

岡本が振り返って俺に言った。

なんかいつになく神妙な表情をしている。

「お前にも悩みはあるんだろうなぁ…」

俺が言うと、

「お前に言われたくないかしらん…」

と、俺の顔を見て笑った。

その笑顔を見て、やっぱこいつは良い奴なんだなぁ~と、

あらためて俺は思うのだった。

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