竜愛づる魔女の復讐譚

ことは りこ

離塔暮らしの魔女


 エファス王国の王都から西方の〈黄昏森〉という名の場所に、青に灰色を混ぜたような色の塔が建つ。


 真下から見上げても最上階が見えることはなく、雲を突き抜けるほど高い。


 周囲は深い森に覆われるため魔物の出没も多く、誰も近寄らない。


 そんな建物を人々は皆『王城の離塔』や『罪人の牢塔』と呼んでいる。


 けれどその塔には正式な名前があった。


『凪ノ塔』である。塔がそう呼ばれていた大昔、その所有者は魔女であったという言い伝えがある。───が、それも数百年前のことなので、真実は誰も知らない。



 けれど今、凪ノ塔には魔女が住んでいた。


 リハル・ノド・エファス。ノドは王族という意味があり、リハルはエファス国の姫だ。


 亡き父は国王、母は〈魔女〉という異能者が産まれる一族『メイシィズ家』の血族。


 九歳のとき、王宮からこの塔に住まいを余儀なくされてから八年。


 王族と魔女の血を引くリハルは、もうすぐ迎える十七歳の誕生日を前に、とある問題に頭を悩ませていた。




「楽しんできたらいいじゃないですかぁ」


 こう言いながら、朝から溜め息の多いリハルの髪にまとわりつくのは妖天鼠コウモリだ。


 微弱だが〈妖種〉の気配を纏っているので、普通のコウモリではない。

 珍しい赤紫色でとても小さなその生き物は、去年の夏の終わりに森の中で魔物に追いかけられていたところをリハルが助け、魔女リハルの血と〈ポポ〉という名前を授けた。その日からポポはリハルの使い魔となり、この塔に住みついている。


 塔に、というよりはいつもリハルの髪の中や頭の上などを寝床にしている、と言ったほうが正しい。


 昼間は髪にペタリとくっ付いたまま眠っていることが多いのだが、今日のように朝から曇り空で陽射しの少ない日は起きていることもある。


「あーあ。今朝は残念なお天気ね」


 リハルは言った。


「曇ってて竜たちの移動が見れないわ」


 高い塔からは時折、翼竜が群れを成して飛翔する姿が見える。


 この世には尊き種族と云われる〈竜〉が存在していた。


 塔から見える景色は天と地の中間、空域と呼ぶ場所だ。


 空域には翼竜たちが翔けて通る決まった路があるらしい。


 天気の良い日は陽の光を受けて白銀に輝く鱗のなんと美しいことか。


 とても遠くて小さく見える光景なのだが、それはリハルの大好きな瞬間だった。


「朝に飛翔する翼竜のキラキラを愛でることから私の一日は始まるのに。本当に今朝はつまらないわ」


「そういう朝だってありますよォ」


 不機嫌なリハルを慰めるように言うポポは、パタパタと飛び回っているようにも見えるが、これでも翼の先で肩まで伸びたリハルの黒髪を梳いているのだ。


 こんな朝はブラシを使わなくてもポポのおかげで髪がサラサラになる。


 でもきっとポポにしてみたら自分の寝床を寝心地よく整えているだけなのかもしれない。


 コウモリが髪飾りなんて不気味に見えるかもしれないが気にしない。


 可愛い使い魔の居心地が良いのならべつにかまわないとリハルは思っていた。


「それでどうするんです? 楽しみに行かないのですか?」


 会話の振出しに戻り、リハルは面倒くさそうに応えた。


「楽しめるわけないでしょ。誕生祝い? 八年間放っておいたくせに今更? なぜ今になって急に? ワケありに決まってるじゃない」


「ワケあり? たとえば?」


「そうねぇ。罠にはめて暗殺とか」


「物騒だぁ。じゃあ行かないの? それもまた怪しまれない?」


「そう。そこなのよ……。警戒心が過ぎて扱いにくい奴だって思われたくもないのよね」


 この八年間、ひっそりと暮らしてきた。


 おとなしく、目立たず。地味に質素に。


 魔女という異能も悟られぬように。たとえ半分はメイシィズ家の血族であっても、自分は役立たずで無能な王族を演じてきた。


 魔女の証は瞳の色にある。


 左右の色が違う虹彩異色オッドアイとして産まれることは異能がある証拠だ。


 けれどメイシィズ家の産まれであっても、一族の者すべてが魔女異能者というわけではない。


 生まれつき証が現れず異能がない者もいれば目色の証はあるが微弱な力だけの者もいる。


 中には証を持って産まれても、二十歳を過ぎて異能に覚醒する魔女や、瞳の証と異能が、中高年になって現れる者もいるとか。

 但し、そういった場合の異能力はとても低いそうだ。


 そんな例もあり、目色さえ上手く誤魔化せば無能者を演じることはそう難しくはなかった。


 それにメイシィズ家の魔女力は衰退しているのが現実だ。


 それなのにこの国の王家は……。


〈魔女〉を欲している。戦の道具として。


 それは他の国も同じなのかもしれないが。


 大昔は力のある魔女たちも多く存在していたらしい。


 リハルの母方の祖母は力のある魔女だった。


 けれどメイシィズ家の出生で、国王の第三妃愛妾だったリハルの母、マリーナの異能は弱力で、産まれたリハルには祖母からの隔世遺伝という期待があった。


(───そう、期待通りに私は……)


 リハルは右目が青と左目が薄紫という生まれつきの虹彩異色オッドアイで、祖母のように強力な異能を秘めて産まれたが、母親のマリーナはそれを隠し続けた。


 異能がある魔女だとわかれば、戦の道具として扱われることを案じていたのだ。


 だからたとえ期待外れの姫だと罵られても、マリーナは自身にある異能の全てを使ってリハルの両目を青に、そして我が子の異能を封印する術を施していた。


(私はこの国の期待に応えようと思わない、絶対に!)


 幼い頃、母の死をきっかけにリハルはそう誓ったのだ。


 リハルはマリーナに守られながら期待外の姫で居続けた。父親である国王は無能な娘を残念がったが、普通の姫として接し、それなりの愛情は注いでいた。


 けれど高齢のためリハルが六歳のとき父王は逝去する。


 その翌年、王位を継いだのはなぜか第二妃の息子王子で。


 第一王子のほかにも何人かいたはずの王子たちはいつのまにか亡くなっていた。


 王位継承争いに起きた詳細について、忌まわしい噂は聞いていても、リハルは幼かったせいもあり真実は知らない。


 新国王となった異母兄、現エファス国王でもあるシェルドは、以前からリハルを嫌っていたので、即位してすぐにリハルだけを離宮へ追いやると、こともあろうかマリーナを、前国王父親の妃だった女性を自分の愛妾にした。


 それが意味することはただ一つ、シェルドはマリーナに魔女を産ませようとしていたのだ。


 それから二年後、身体の丈夫でなかったマリーナは子供を産むこともなく亡くなった。


 最後まで娘の心配をしていた優しい母だった。


「母が死んだとき、私は誓ったわ。母を道具のように扱ったあの男を絶対に許さない。必ずシェルドに復讐するってね」


 母親の死後すぐに、シェルドはリハルの世話係だった侍女や側仕えの乳母の命までも奪おうとした。


 ───否、奪ったのだ。侍女たちの命を。


 シェルドはリハルの異能を疑い脅しをかけた。


 目の前で侍女たちを殺されたくなければ魔女の力を見せよとシェルドは言った。


 けれどリハルには瞳の証と魔女の力を封印する術が、マリーナによって母親の死後三年は解けないようにかけられていた。


(あのとき、母が死しても解けない術をかけていてくれなかったら。そしてシェルドの言いなりになっていたら、私には生まれつき魔女の異能があるとバレてしまっていた……)


 五人の侍女を殺して、シェルドはようやく諦めた。


 そして「王宮におまえの居場所など無い」と言い放ち、九歳のリハルは生き残った乳母と共に離宮から別の住まいへ移された。


 それがここ、黄昏森にある青灰色の塔だった。


 あれから八年。


 昨日、十七歳の誕生祝いを王宮で行うので登城するようにと、塔に書簡が届いた。


 そこには明後日の朝、城から迎えの馬車が着くとまで記載されていた。



 現国王であり異母兄でもあるシェルドはリハルより十二歳年上。


 若い妃との間には三歳になった王子がいるそうだ。


 侍女たちを殺したあの日から会うことはなかったが。


「あの顔を思い出すだけでも吐き気がするっていうのに」


 無能な異母妹リハルを殺さずにこの塔へ住まわせたのも、リハルが魔女として覚醒する可能性がまだあるかもしれないと思っているからなのだろう。



「ならば姫様。さっさと殺しておしまいになったらどうでしょう」


 こう言いながら部屋に入って来たのは乳母のロメルだ。


「朝ご飯の準備ができましたよ。スープが冷めないうちに食堂へどうぞ」


「ありがとう、ロメル」


 ロメルは物心ついたときからリハルの傍で世話をし、乳母と呼ばれてはいるのだが。


 実はロメルはリハルの祖母よりも、かなり前の代から『メイシィズ家の魔女』と契約を交わし仕えている『使い魔』だった。


 人間の容姿を自在に変幻させながらメイシィズ家の魔女に仕えている〈魔種族〉がいることをリハルは母から聞いていた。


 契約を交わした魔女が死ぬと、使い魔は自由になるのだが。何代にも渡ってメイシィズ家の魔女に仕える使い魔は珍しい。



 今朝は優し気な雰囲気で品のある老婦人という見た目のロメルだが、仮初の姿は週替わりだったり、日替わりだったり。


 執事やメイド、子供から年寄りまで年齢層も幅広い。飽きるからというのが理由でもあるのだが、本人は結構楽しんでいるのではとリハルは思っている。


「あれは八つ裂きにでもして魔物の餌にしたらいい」


 あれとはもちろん、シェルドのことだろう。


 その容姿とは裏腹にロメルは残酷なことを平気で言う。


「あのとき私が殺しておけばよかったですね、本当に悔やまれる」


 あのとき、というのは侍女たちが順番に殺されたときのことだ。


 五人が殺された後、次はロメルの番だった。リハルは異能を封印されていたこともあり、使いロメルを助ける術もなかった。


 シェルドが諦めなければロメルは……。


「私ならやられる前にやっちゃうとこでしたけど。正当防衛ですからね」



「でもロメルが使い魔だってバレなかったから、こうして今は一緒に暮らしてる。それはとてもよかったし、嬉しいことよ。感謝もしてる」


 ロメルがずっと傍にいてくれて、どれだけ心強かったか。


「───姫様。そろそろあれを殺して、さっさとこの国を出て自由になったらいかがですか」


「……うん、まぁ、そうなんだけどね」


「まさかこの国を案じていらっしゃる?」


「エファスは平和だからね」


 豊かな国だと思う。あんな奴でもエファスの民にとって、シェルドは善き王なのだ。


「王子はまだ幼いから、シェルドが死んだら後継ぎ問題、揉めるでしょうね」


「そんなことは放っておけばいいんです。奴も王位を継ぐのにどうせ裏で酷い事をいろいろやってたはずですよ」


「うん……そうだね」


「いっそのこと姫様が女王になられたら?」


「嫌よ。それはないわ。王を殺した魔女が女王になんて、国民が従うわけないし。私はそんなものになりたくない。私は……」


 私はどうしたいのか。


 私は……ここで。


 ここの暮らしはそんなに嫌じゃない。


 黄昏森にもずいぶん慣れて一人で散歩ができるほどだ。


 塔の上層階部分に位置する〈空域〉の住まいも穏やかで、時間がゆったりと過ぎていくように思う。


 自分は静かでのんびりとした生活を送るのが好きなのだ。


 そしてここで……



「やはり、竜が気になるのですね」



 ロメルの問いにリハルは答えなかった。



「───いつまでもこのまま、というわけにはいかないってわかってるよ、ロメル。でもね、あいつをひとおもいにやるのは簡単よ。でもそれよりも少しずつ苦しみや恐怖を与えながらゆっくりと死に至らしめるのがいいと私思うの」


「素敵です。さすが魔女姫さま」



「私の大切なひとたちを五人も殺しているのだもの。……いいえ、六人だわ。母は病死だったけど、ひどい扱いを受けたせいでもある。だからシェルドには六人分の苦しみや恐怖を存分に与えなければね」


「もちろんです。さてさて、どんな仕置きがいいでしょうなぁ。ふふふ」


 ロメルはうっとりと微笑んだ。

 脳内ではすでに愉しい妄想が始まっているようだ。


 髪を梳き終え、リハルの頭にくっ付いていたポポは、二人の会話に身をすくめ、リハルの髪の中へモゾモゾと半身を埋めた。



「おや。怖くなったのか?ポポ。これしきの会話で身を竦めていたら立派な使い魔にはなれないよ」



「こッ、怖くなんかないやい! ポポだってリハル様のフクシュー手伝うぞ!」



 ロメルの言葉に反論するポポだが、その身はまだ髪の毛の中に埋めたままだ。



「そんな小さな姿で何ができるのやら」



「むむっ。ポポだってセイチョーしたら今よりずっと大きくなって力も強くなるんだいっ」



「ふーん。いつになることやら。新米使い魔は口だけは達者なようだ」



「ぜったいなるぞっ、ロメルをビックリさせちゃうぞ!」



「ありがとうね、ポポ」


 ロメルとポポの会話に笑みながら、リハルは優しくポポを撫でた。


「ポポの成長した姿、きっと美しいと思うわ」


 リハルの言葉に、ポポはチキチキという鳴き声を上げながら、リハルの髪の中で翼を擦りつけた。



「あは。くすぐったいよ、ポポ。……まぁ、とりあえず気が乗らないけど向こうが何を企んでいるのか知る必要はあるわね。仕方ないからお誘いを受けるわ。朝ご飯を食べながらシェルドに与える痛みや苦しみについてもいろいろと考えてみましょう」


 リハルは立ち上がり、食堂のある別室へ向かった。




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