桃太

天海女龍太郎

第1話 おばあさんの憂鬱

 むかしむかし、ある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。


 「むかしむかし」というのは、今から千五百年以上も前のことである。その当時は、御伽噺の世界と現の世とが隣り合わせに共存していて、大勢の人々が暮らしている都の中でさえ、路傍のあちらこちらに物の怪がうずくまっていたし、堀端の橋の下には河童も住んでいた。夜半を過ぎると、往来には異形の鬼達がたむろしていた。 

 人々は、日が沈むと屋敷に引きこもり、決して外には出なかったものである。もっとも、恋に囚われた者達は別であった。思いを寄せる相手の愛情を勝ち取るため男達は、決死の覚悟で夜這いをかけた。恋は命がけである。その様子は、思いの丈を美しく着飾り、華麗に歌い踊って、雌の気を引こうとする虫や野鳥の懸命さに似ている。それは、空しい努力に終わる場合も少なくない。恋に破れるだけならまだしも、鬼達に捕らえられあやかしの世界に引きずり込まれたり、命を奪われることも少なくなかった。裕福な貴族の男達は、陰陽師や土俗の呪術師などを雇い入れて、不可思議な力で身と心を守った。

 都の喧騒や危険に比べれば、田舎の暮らしは長閑であった。人々は夜明けとともに目覚め、生きていくために必要な労働にこつこつと時を費やし、日没とともに眠りについた。だから、村の民にとっては、迷い鬼の悪さや神隠しのほかは、日照りや洪水といった自然現象だけが心悩ませる災厄であった。そのため天体や森の巨木に対する畏敬と信仰が、人々の心と暮らしの支えとなっていた。災いを避けるため、信奉する祈りの対象に犠牲を捧げ、異変の何もないことを最大の報いとして受け入れた。自分達が天地自然の摂理に生かされていることを理解し、万物に感謝する気持ちを忘れない。村人達は皆助け合って生きていた。そこには利己の念は入り込む余地がなかった。村ではそれが当たり前であった。多くは望まず、また、負担も強いられなかった。不必要に期待もしなければ、希望も失わない。つまり、淡々と、素朴に過ごしていた。村の暮らしは、生き馬の目を抜くような都の競争社会に比べれば、心安らかで、全く理想の郷のようであった。そんな素敵な村が、この国のいたるところに存在していたのである。

 「ある所」というのは、だから、ここですと明確に特定することはできない。どこにでもある理想郷の一つなのである。

 それは、都からさほど遠くないところにあった。小さい村である。村人の数もさほど多くない。戸数にして十戸ほどが、やせた畑や竹林に隔てられて散在していた。村を縫うように川が流れていた。水量は豊富で、飲み水としてだけではなく、沐浴や洗濯などをするための生活に欠かせない川であった。上流の川岸には桃の林が広がっていた。自生しているものか、誰かが植えたものか、それは定かではないものの、毎年多くの花を咲かせ実を結んだ。飢饉の時には、桃は村人達の命の糧となった。誰も桃の恩恵を独占せず、また、収穫して食すことに誰も遠慮をしなかった。必要な者が必要な分だけを求めることで、需要と供給の均衡が保たれていた。誰も桃を独り占めしないので、妬みや嫉みが生じて争いが起きるということがなかった。村人は、貧しくはあったが、心豊かであった。隣接する村々や都の人々は、その村を桃の郷と呼んでいた。

 村はずれに、一軒の古ぼけた家があった。そこには老いた夫婦が二人きりで住んでいた。この物語の最初の主人公である、おじいさんとおばあさんである。

 家は、掘り下げた地面に直接木の柱を建てて板壁で囲い、屋根を葺いただけの粗末な造りである。所謂竪穴式の住居であった。都の屋敷のように木材を豊富に使っているわけではなかった。貧しい村々ではそれが当たり前だったのである。茅で葺いた屋根は、長年月を経て、いっぱいに吸い込んだ雨水と一面に蔓延った苔の重みで、あちこちで大きく変形し、波打ち、今にも崩れ落ちそうであった。

 この家は、おじいさんとおばあさんの婚礼の時に、村人が総出でこさえて、二人に贈ったものである。そうするのが村の慣わしであった。新しい家族の誕生を村全体で祝福するのである。子孫を増やし、村を守り維持していくことが、村の共通の希望であり努めであった。以来二人はずっとこの家で暮らしてきた。二人きりで生活することの喜びも悲しみも、この家が静かに見守ってきた。家の老朽化が、時の経過と二人の思いを語っている。

 結婚してやがて三十年である。二人ともこの村で生まれ、成長し、年頃になって、お互いに惹かれ合い、ごく自然に恋に落ちて夫婦となった。

 おじいさんは若い頃から働き者で、朝早くから夕暮れまで、畑を耕して野菜を育て、また、野山を廻っては木の実や薪を集めていた。収穫したものは、決して豊富とはいえなかったが、二人の暮らしに必要な分を残して、隣村の住人や都から来る商人との間で必要なものと物々交換していた。夫婦二人が暮らしていくには十分な収益であった。おじいさんは、こつこつと休むことなく働き続け、それは年齢を重ねても変わることがなかった。おばあさんは、そんなおじいさんの働きぶりが大好きであったし、心から頼りにしていた。

 おばあさんもまた働き者で、おじいさんが出かけるのを見送っては、食事の後片付け、洗濯といった所謂家事を始めとして、野菜や穀物を干したり、わらじを編んだり、都の商人から依頼される仕立ての手伝いなどをしていた。手先が器用だったのである。おじいさんが家路に着く日暮れ時まで、おばあさんは休む間もなく働き続けた。

 おじさんとおばあさんの結婚は幸せなスタートを切ったが、二人で築いてきた家庭の歴史は、必ずしも穏やかなものではなかった。

 初めのうちは、二人で暮らすことは喜びに満ちていた。朝目覚めて、顔を見合わせるだけで微笑みが出た。若い頃のおばあさんは、明るくできらきらと輝いているようだった。若いおじいさんは、そんなおばあさんを可愛いと感じ、一緒にいられることを心から喜んでいた。おばあさんのためなら、苦労をいとわなかった。決して肥沃とはいえない土地を開拓して畑を作ることは大変な労力を要したが、これも二人のためと思えば、ちっとも苦痛ではなかった。おじいさんは山へ柴刈りに行ったついでに、おばあさんのために野の花を一握り摘んで帰ったりした。おじいさんは口数の少ない方であったが、おばあさんは無言のうちにおじいさんの優しさを感じ取っていた。愛されているという実感が、おばあさんをとても幸せな気持ちにした。おじいさんのために尽くしたいと思い、それをこつこつと実行した。都の商人の許しを得て端切れの布を集め、夜なべをしておじいさんの着物をこさえた。いつも自分のことよりおじいさんのためを考えていた。

 お互いに支え合い、尽くし合ってきた二人であったが、唯一思いどおりにならないことがあった。二人には子どもができなかったのである。二人の結婚については、二人のそれぞれの両親も、村の仲間達も心から祝福していたけれど、一緒に暮らすようになって随分時が経っても、なかなかおばあさんの妊娠の知らせが届かないため、両親達はおばあさんをひどく責めた。身体に異常があるのではないのかと、執拗におばあさんを問いただした。

 また、子作りの方法を知らないだの、種が薄いだの、畑が悪いだのと、村人達も面白おかしく噂をし合った。それは、おばあさんをひどく神経質にさせた。

「気にするな。言いたい奴には好きに言わせておけ。俺は、今のままでいいのだから。」

 おじいさんは、おばあさんを気遣って、そう言って慰めた。おばあさんはおじいさんの腕の中で、泣きじゃくる日が続いた。おばあさんは、おじいさんが実は大変な子ども好きであることをよく知っていた。村の子ども達相手にふざけたり、一緒に遊んでやったりしているのを目にして、いつか必ず、この人に自分の子どもを抱かせてあげたいと心から思った。そのため、人知れず呪い師のもとを訪ねたり、山奥の子授かりの岩に願を掛けに行ったりした。そんな苦労も知らず、両親達は「石女」と心ない言葉を投げかけたりした。働き手の誕生が喜ばれる時代であった。悪気はなかったのであろうが、その言葉はおばあさんをひどく傷つけた。おばあさんはふさぎこみ、家の灯が消えたようになった。おじいさんは不機嫌になり、ますます無口になった。怒りっぽくなって、おばあさんに対する両親の無遠慮な言葉に声を荒げて怒りを爆発させたり、村の若者のちょっとした冗談にも腹を立てて殴り合いの喧嘩をするようになった。

「私のせいね。あなたは優しくて、人を殴ったりする人じゃなかったのに。」

 おばあさんは、心から済まないと思った。おじいさんは、

「気にするな。」

 と繰り返すばかりだったが、それがおじいさんの優しさだということをおばあさんはよく承知していた。いろいろと慰めの言葉をかけられるより、無言のうちにぎゅっと抱きしめてもらうことのほうが有り難かった。

「私を家に帰してください。」

 泣きながら、そう口走ったこともあった。精神的に追い詰められて、どうしようもなかった時である。おじいさんは、その時ばかりは、

「馬鹿野郎。」

 と強く怒った。

「お前を、誰が守る。」

 側にいろ。お前のことは俺が守る。人の言うことなんかを気にするな。俺がこのままでいいのだから、それでいいじゃないか。実家に帰るなんて寂しいことを言うな。俺の側にいろ。実家に帰ったからって、何が変わるというんだ。実家で一体誰がお前を守るというんだ。俺ほどお前を愛しているものはいない。俺が、俺だけが、命をかけてお前を守るのだから、俺を信じてついて来い。数少ないおじいさんの言葉の裏側に、溢れるほど愛情に満ちた多くの思いがこめられていることを、おじいさんの腕に抱かれながら、おばあさんは痛いほど感じていた。この人と一緒になって本当によかった、と心から思った。

 年をとるにしたがって、子供のいないことをとやかく言う者はなくなった。二人にも平穏な日々が戻ってきた。しかし、年を重ねるにつれて、二人きりの生活は、次第に寂しいものになっていった。子どもがいれば何かしら得られるであろう新鮮な喜びが、日々の暮らしの中からめっきり少なくなって、やがて夫婦で語り合う話題もなくなっていった。毎日が決まりきった日課の中で過ぎていく。朝床を出てから、夜眠りにつくまで一言も喋らないことも少なくなかった。夕刻粗末な食事を済ませた後の、日没までの短い黄昏の時、土間に座り込んで藁を小槌で叩いているおじいさんの曲がった背中をおばあさんは悲しい面持ちで眺める。寂しいおじいさん。可哀想なおじいさん。おばあさんは、すべてが私のせいなのだと自分を責めた。囲炉裏の火がおばあさんの横顔を照らし出す。年輪のように刻まれた顔のしわが、辛かった過去を物語っている。

 おじいさんがおばあさんを少しも責めることがないのが、おばあさんの心には却って辛く、苦しいものであった。

「責めてくれたらいいのに。」とさえ思った。

 おばあさんは心痛の余り、聴覚の神経に異常を来たしたようで、もう何年も前から右の耳が全く聞こえなくなっていた。耳が聞こえないことに気がついたのは、随分時が経ってからのことのようである。誰とも話すことがなかったので、自分の声さえ忘れていた。ある時ふと、川の流れの涼やかな音や小鳥のさえずりが、遠く、小さくなっていることに気付いて、おばあさんは愕然とした。信じられない思いだった。右側ばかりでなく、左の耳も遠くなっているように思われた。いつか音が全く失われてしまうのではないかという思いが、おばあさんを恐怖に陥れた。何故私だけがこんな思いを味わわなければならないのとかと、運命の非情さを恨んだ。おじいさんには知られたくなかった。心配をかけたくなかったし、今度こそ愛想をつかされてしまいそうで、恐ろしかったのである。おばあさんは、すっかりおじいさんの顔色を伺って過ごすようになっていた。おばあさんはそんな自分が大嫌いなのである。だんだん自分が駄目な人間になっていく感じがして、居ても立ってもいられなかった。こんなはずではなかった。自分に対して苛立っていた。苛立ち、そして怯えた。可哀想なおばあさん。おばあさんの落ちつかない毎日はいつまで続くのであろう。何か現状を打破できるような出来事が訪れなければ、永遠に焦燥と不安に満ちた退屈な毎日が続くように思われた。

 その日、おじいさんがいつものとおり山へ柴刈りに出かけた後、おばあさんは川へ洗濯をしにでかけた。おばあさんの家から川までは少し距離があった。おばあさんの家は村はずれの高台にあった。川へ出るためには、桃の山を抜け、長い坂道を下っていかなければならない。坂道沿いの丘陵は桃の並木が続いていた。時は春である。桃の花があたり一面美しく咲き誇っていた。しかし、おばあさんはうつむいて足元ばかり見て歩いていたので、花が咲いていることさえ気付いていなかった。近頃では、空を見上げることさえなくなっていた。肩を落として、とぼとぼと歩く。おばあさんは両手に抱えた洗い桶よりずっと重たいものを背負っているようだった。

 川原に出ると、おばあさんはいつもどおり洗い場に腰を下ろした。川のせせらぎはおばあさんの耳には届かなかった。けれども川面を渡る風が頬に心地よく、おばあさんは肌でせせらぎを感じた。おばあさんが、風に誘われるように顔を上げて水面を眺める。朝日がきらきらと輝いて川面に反射する。おばあさんはまぶしそうに目を細めた。そのまま何気なく上流に目を向けたとき、おばあさんはそれに気がついた。大きな桃の実が、上流から静かに流れてきたのである。おばあさんは目を疑った。それは、本当に大きな桃の実に見えた。おばあさんは洗い場の板の上によろよろと立ち上がって呆然と桃の流れていく様を眺めていた。桃の実がするするとおばあさんに吸い寄せられるように流れて来て、目前に近づいた。おばあさんは、はっと我に帰ったように、洗い場から身を乗り出して、桃の実を捕らえようとした。もう少し。取り逃がしてはいけない。おばあさんは、何故だかそう感じていた。捕まえなければ。長いこと忘れていた心から湧き出るような衝動である。おばあさんは、ぐっと身体を伸ばした。指先が桃の実に届いた。だが、それは桃ではなかった。おばあさんは、その物体の端に指を引っ掛けて、やっとのことで引き寄せた。それから結構な重さのあるそれを渾身の力で洗い場の上に持ち上げた。

 それは葦で編んだ行李であった。小さな船のようにも見えた。それに高価な白い衣がかぶせてあった。川原の桃の並木から散って降り注いだのであろう桃の美しい赤い花びらが、白い衣を被うように積もっていて、そのため行李自体が大きな桃の実に見えたのである。おばあさんは、衣が大層高価な立派なものであることを知っていた。都から仕立てを頼まれる反物などとは比べ物にならないものであった。それは、この世のものではないかのように美しく、軽く、すべすべして肌触りが気持ちよかった。羽衣という言葉が自然と脳裏に浮かんだ。

 おばあさんは、衣を持ち上げ、行李の中を覗きこんだ。おばあさんは目を見張った。赤子だ。玉のように美しい赤子だ。おばあさんは驚き、それからみるみる顔を歓喜の表情に変えていった。そのまま天を振り仰いで「ああ、神様。」と思わず口にした。それから、美しい衣にくるまった赤子を両腕にひしと抱きかかえた。赤子はおばあさんの腕の中で、おばあさんの顔を見上げてニコニコと微笑んだ。おばあさんは、喜びが胸の奥から湧き上がり、湧き上がり、余りに嬉しくて涙が溢れた。

「私の子だ。この子は神様から授かった私の子だ。桃の実から生まれた私の子だ。お前の名は、桃太とうた!」

美しい笑顔でおばあさんの歓喜に答える赤子を見つめながら、おばあさんは、誰に対してというでなく、そう大声で宣言した。胸がどきどきと鼓動した。喜びの感情によって生きる力強ささえ呼び覚まされるように感じた。長く忘れかけていた生への強烈な情熱である。自信にも似た積極の情熱である。赤子を守らなければ。今やおばあさんは母親としての感情に支配されていた。

 赤子をそっと行李に戻すと、おばあさんは行李を小脇に抱え、脱兎のごとく駆け出した。一刻も早く家に連れて帰りたかった。洗濯物は放りっぱなしだ。

 ちょっと前とは世界が一変していた。おばあさんはさっきまで、沿道の桃の木が美しい花を付けていることに気付きもしなかった。しかし、今は違う。花々が一斉に咲き誇って、おばあさんを祝福しているのが感じて取れた。なんて素晴らしい景色なの、とおばあさんは思った。何故今まで気付かなかったのかしら。桃の林を駆け抜けながら、おばあさんは自分の人生さえ一変したのを感じずにはいられなかった。行李の中で揺られて、赤子がきゃっきゃっと愉快そうに笑った。おばあさんもあはははと嬉しそうに笑いながら走っていた。事情を知らない誰かが見かけたら、おばあさんの姿は大層奇異に見られたであろう。しかし、おばあさんは今やそんなことはお構いなしである。

 おばあさんの目指す我が家はもう目の前である。

 おばあさんの後姿を静かに追いかける背の高い男の存在を、おばあさんはまだ知らない。

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