第42話 悩み苦しむ臆病者

「それで悩みは解決した?臆病者さん」

「ソファトのおかげで頭はすっきりしたよ」


 私が煽ってみても、ラトゥはそれを軽口の様に受け流す。

 いくら修練同期といっても、身分が違い過ぎる私にここまで普通に接するのは変わっているとしか言えない。


「でもまあ僕は自分の言葉に責任を持つし、何なら戦場にも行くけどね」

「そういえば例え話だったわね、てっきりラトゥの事かと思って親身になっちゃったわ」

「勘弁してよ、仮にも君に勝った僕が臆病者ならソファトは未熟者かな?」

「戦士として、という話ならまだまだ未熟よ。あら?私が認めたら上位貴族のラトゥが臆病者ということになるけど、いいの?」

「例え話だってば、僕が認めてるソファトが未熟なわけないでしょ?貴族と渡り合うつもりなら会話内容は特にちゃんと覚えておかないと」

「私ってばまた、うっかりしてたわ。ラトゥが真剣に話すものだから勘違いしちゃった」


 互いに挑発的な笑みを浮かべながら口撃を繰り出す。

 貴族との会話ってこんなに気安かったっけ。少なくとも、私の知ってるあの中位貴族クソ野郎にこんな態度を取れば笑って等いられなかっただろう。

 胸中に広がる満足感とも高揚感とも異なる何か暖かい感情を自覚するものの、その正体に名前を付けたがっている本心には気が付かない振りをして、吊り上がる口角の鋭さを何とか維持する。


「確かに、こんなに好戦的に話すことは無かったね」


 反対にラトゥは笑みを柔らかくし、普段の利口そうで大人しい雰囲気に戻る。

 その様子をなんとなくこの場をしめて帰りたがっているように感じた私も前のめりの姿勢を崩して多少気やすい程度に収めた。


「私は構わないけど?しいて言えば、愛槍が手元にないのが残念ね」

「それはまたそのうちだね、まずは最初の課題に集中しないと。まだやるんでしょ?」

「ええ」

「じゃあまた、明日の朝食で。おやすみ」


 軽く手を振って振り返り、屋敷へと歩きはじめるラトゥ。

 まるでさっきまでの挑発の応酬が無かったかのように、世間話を終えて知人と別れるみたいにこの場を後にするラトゥを引き留める理由もなく苦笑するに留めてそのまま見送った。

 その背中はすぐに夜闇で見えなくなったが、不思議と視線を外せずにいる。


「いくら屋敷の敷地内だからって、こんな時間に会いに来た女子を一人置いてく普通?」


 誰に向けたものでもない愚痴だったが、刺さる先が無かったわけではない。

 嫌悪していたはずの貴族階級、その上位に位置する家の人物に気を許している自分自身に棘を残したその言葉は消えず、苦い感情を味わせてくる。


「でも、信じたいなぁ」


 そう口にしたのは、それを私自身決して許せないとわかっているから。

 変えようもない事実を再確認するだけの、ただそれだけの自問自答だ。


「ま、無理か」


 木の根元に座ってその身を木へと預けて目を閉じる。

 夜の静寂と暗闇が私を包み込み、故郷の海に身をゆだねていた記憶が蘇ってくる。悩み事や考え事があると決まって海に飛び込んでいた、子供だった時のことを。

 戦士として戦場に立っていた両親に憧れて槍を持ったはいいものの、同い年の男の子に勝てなくて泣いてしまった。

 上手く魔物を倒せなくて焦りが生まれ、落ち着くまでは槍を振らせないと父親に槍を取り上げられたこともあった。

 将来戦士として両親と共に戦うんだという私の意気込みを一蹴した母親に、槍以外にも目を向けろと言われたこと。

 心優しく争いごとと無縁な性格の最愛の妹の心配を受け取らず、怪我を負って烈火のように怒らせて泣かせたこと。


「ふぅ」


 記憶の海を深く深く沈んでいき、たくさんの思い出を経て底へと向かう。

 楽しかったこと。

 嬉しかったこと。

 腹が立ったこと。

 悲しかったこと。

 それら全ては今の自分を形作った部品で、私の核を覆い隠している張りぼてだ。

 一番底を思い出せ。なんで私がこんなところにいるのか、私にとって今唯一の、最愛の家族である妹と別れてまで成し遂げたかったことが何なのか。


「大丈夫だよ、チェテマ。お姉ちゃんはあんたの事を忘れたりしてない」


 戦場で両親を見殺しにし、知りもしないくせに私たち家族の絆まで嘲笑ったあの中位貴族クズに復讐する。

 優しい妹、チェテマを巻き込まないために私一人で。

 そしてその復讐を果たしても、アイツと同じ貴族という階級にいる奴らを死ぬまで疑い続けてやる。


「貴族なんてみんな一緒だ。リテとかいうあの上位貴族だって母親に甘えるような軟弱な精神だったし、キゼルとかいう芽兎族がとぞくも執事に頼りっぱなしで不甲斐ない」


 この屋敷に来て、初めて相対した上位貴族の子供達。

 ラトゥとは手合わせを通してその人となりをある程度確認できたが、まだ信用しきれない。そして他の二人は関わりたいとも思えなかった。

 私の一番奥、核を取り巻く暗く冷たい感情を思い起こして浮ついた気持ちを抑え込む。


「だから私は独りでも強く……」


 ふと浮かぶラトゥとの手合わせ。

 あの時出せる全力で挑んでもいいようにあしらわれたあの戦いで湧いた彼個人に対する興味が光のように思考に差し込まれる。


「この手で必ず貴族に復讐……」


 掌に思い出されるラトゥの体温。

 他種族の、妹と同い年の男の子の無防備な首筋に触れた感覚がその時の熱と緊張を引き連れながら身体中を巡って暖めていく。


「この先も貴族を疑い続け……」


 ラトゥと遠慮なく交わした言葉。

 この屋敷の中で真に対等に接してくる、上位貴族と忘れてしまうような会話を重ねつい距離を見誤ってしまい信じそうになる。

 ラトゥだけは、彼だけは特別なのかもしれ──


「違う!!貴族は皆一緒、信じるな!!」


 思い切り地面を叩きつけて、浮かんだ考えを振り払う。

 今はまだ大人しい振りをしているだけかもしれない。

 あの手合わせだってもっと前から鍛錬してたのかも。

 そもそも病気ってことも嘘をついてるかもしれない。


「妹を置いてまで選んだ道だろ!?この程度で揺らぐなよっ!!」


 私の核の横に突如湧いた新たな価値観。眩しく、暖かくそこにあるそれは、今必死になって縋りついているものより魅力的に見え、自然と手が伸びそうになってしまう。

 ひとたび触れれば私の根底を破壊し尽くし、二度と両の足で立つことが出来なくなる危険を孕んでいるそれを隠すため、想像しうる限りのラトゥの悪面を張り付ける。


「っ!イライラするなぁ!!」

 

 そんな葛藤に一人で苛まれている自分に苛立ち、この場に居ない男への八つ当たりが止まらなくなる。


「病弱のくせに健気に頑張ってんじゃねぇよっ!!平民にあれだけ言われてなんでへらへらしてんだよ!?もっと怒れよ!!年下のくせに頭がいいのもむかつく!!それでも劣等感感じるより頼りになると思うのがさらにむかつくっ!!」


 私にとっての特別は妹だけ。

 その特別を一瞬でも塗り替えようとした私自身を許せないし、その原因となったラトゥには行き場のない苛立ちが募る。

 

「自分だけさっさとスッキリしちゃってさぁ!!なんで私がこんなっ!!」


 貴族は信用しない、貴族に例外は無い。それを破るのは妹への、両親への裏切りだ。

 私が勝手にそう思っているだけかもしれない、それでも一度決めたのだから簡単に覆せるものじゃない。

 そのはずなのに。


「なんで、こんなに苦しい。なんて浅はかなの……」


 たった一人の男の子に、心がこうも荒れる。

 その荒波に飲まれまいと小さく身体を縮こまらせるのが、今できる精いっぱいの悪あがきだった。

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