第20話 四面壁囲 8
私が細貝君に呼び出された部屋へと入ると、細貝君とグランブルドッグのメンバーがすでに椅子に並んで座っていた。テーブルを挟んで椅子がひとつ置いてあった。おそらくあそこに座れということだろう。彼らの後ろにはなぜか数人の女子が腕組みしながら私を睨んでいた。細貝君の真後ろは麻貴が陣取っていた。
「まぁ座りなよ」
細貝君に促され私はパイプ椅子に腰かけた。私が座ると細貝君がおもむろにタブレットを取り出し操作しスッと私の方へと画面を見せてきた。
「とりあえずこれはどういう事か説明してもらっていいかな?」
「その人は私がよく行くカラオケの店員さん。月一くらいでひとりカラオケ行ってるんだけど、その日はちょっと飲み過ぎてたからタクシー乗るまで付いてきてもらっただけよ。浮気とかじゃないから」
私は努めて冷静かつ簡潔に説明した。ドアを開けた瞬間から、この部屋の居心地は最悪だ。そもそも一対一で話せば良いものを……彼らは私を糾弾する気満々で嫌気がする。正面に座る細貝君は組んだ両手をテーブルの上に置きじっと私を見ながら言った。
「その言葉をはいそうですかって信じろって? この辺ってラブホ街の近くだよね?
朝方にこの場所にいるってことは、浮気してましたって言ってるようなもんじゃないかな?」
「それは飛躍し過ぎてない? だったらその時間にそこを歩いている男女はみんなそういう関係なの?」
「そんな時間に肩寄せあって歩く男女はほぼほぼそうだろう。逆になんでもないカップルがこんな密着するか?」
「だからそれは飲み過ぎて――」
私の言葉を遮るように彼は手を前に突き出した。
「浮気はしてないっていう君の主張はわかった。でも恋人がいる人間が、店員とはいえ男性に肩を抱かれるってのはどうだろう?」
彼の言葉に私は思わず俯いた。数秒の沈黙がその場を支配する。ここにいる全員の視線が私に集まっているのが顔を上げなくても感じ取れた。
「それは……ごめんなさい。確かに軽率な行動でした」
私が少し頭を下げると細貝君は大げさに溜息を吐いた。そして私が再び顔を上げるとそれを待っていたかのように喋りだした。
「じゃあ悪い事をしたってことは認めるんだね? おれも結構傷ついたからさぁ、できればちゃんとした謝罪をしてほしいんだけど?」
私が言い淀んでいると彼の後ろに立っていた麻貴が突然身を乗り出してバンっとテーブルを叩いた。
「ちょっとあんたいい加減にしなさいよ! なんなのさっきから! ちゃんと謝りもしないで。ほんとに悪いと思ってるの!?」
まるでそれが切っ掛けだったかのように一斉に周りから責められた。
「ケンを平気で裏切っておいて、よくそんな態度取れるな」
「本当はその男と二股掛けてたんじゃ?」
「付き合ったのは結局売名だったんでしょ? やっぱケンもおれらも利用されてたんだな」
次から次に罵詈雑言が浴びせられる。もはや反論する余地などどこにもなく、彼らの中では私が浮気したという事実が出来上がってしまっていた。集団から掛けられるプレッシャーというのはなんと恐ろしいんだろう。野獣の群れに追い詰められた捕食者のように私は怯え身を固くし、ただひたすら下を向いていた。
「土下座して謝れよ!」
非難の嵐が一瞬収まった時、メンバーの水島君が大声で叫んだ。私がそうすることを促すかのように、それから誰も言葉を発さなかった。私はゆっくり立ち上がり震える足を一歩二歩と引いた。そして床に片膝をついた瞬間、部室のドアがバンっと勢いよく開かれた。
「はいストップー! 土下座の強要は犯罪だよ。四葉、ネオンちゃんを頼む」
現れたのはジョニーさんだった。一緒に入ってきた女の子が私の腕を支えて優しく声を掛けてくれた。細貝君たちは驚いた様子でこっちを見ていた。すると水島君が慌てて立ち上がり、部屋の隅の棚に置いてある段ボールに手を伸ばした。
それを制するように、ジョニーさんの友達らしき男性が水島君の前を塞いだ。
「はい座って座ってー。今更カメラ止めても無駄だから。土下座しろって叫んでたの一万人以上が見てたぜ」
水島君はみるみる青ざめ助けを請うかのように細貝君を見つめていた。ジョニーさんがスマホの画面を私に見せる。どうやら彼らは隠しカメラでライブ配信をしていたらしく、そこには現在のここの様子が映し出されていた。
「お、おまえ! もしかして彼女の浮気相手かっ!?」
突然、細貝君が指を差しながら叫んだ。それを聞いてジョニーさんは盛大に溜息を吐き答えた。
「だから浮気じゃないって。彼女も散々説明してただろ? そもそも浮気をしてたのはおまえだろうが」
そう言うとジョニーさんは別のスマホを取り出し何やら音声を流し始めた。
『ああん! ちょっとケンくん、こんなとこでダメだよ~今朝二回もやったでしょ? やあぁん』
『たまにはこういうとこでやるのも興奮するだろ? ほら早く下脱げ』
男の声は細貝君のようだ。そして大音量で聞こえてくるその喘ぎ声はどこか聞き覚えがあった。その時、麻貴が顔を真っ赤にして怒りながらジョニーさんに詰め寄った。
「ちょっと何よこれ! こんなのいつ録ったのよ!」
麻貴に続いて細貝君も大声を張り上げる。
「これ盗聴じゃねぇか! おまえらだって犯罪行為だぞ!」
「隠し撮りをライブ配信してたやつがよく言うよ。いいから最後まで聞けよ」
激昂する二人を軽くあしらい、ジョニーさんは音声を流し続けた。
『あんまり声出せないんだから激しくしないでね。てかこの後ネオンの裁判配信やるんでしょ~? 私も参加していいかな?』
『ああいいぞ。友達何人か連れてこいよ。ギャラリーがいた方がおもしろい』
『でも彼女をプロデュースするっていう企画終わっちゃうね~。せっかくバズったネタだったのにね』
『おれを裏切りやがったから終わらせていいんだよ。あの写真結構高く売れただろ?』
『そりゃ旬のネタだからね~でももしかしたらあいつらもうちらと同じラブホでやってたかもよ? あぁん、そこ気持ちいい』
それから麻貴の喘ぎ声と卑猥な音がしばらく続いた。私を横で支えてくれていた女性が思わず声を掛ける。
「ジョニー先輩! もう止めていいですよ!」
あたふたしながらジョニーさんはストップボタンを押した。彼の友達もやれやれと首を横に振っていた。すると水島君が細貝君に向き直り問い
「おいケン! プロデュースってなんのことだよ? おれらなんも聞いてねぇぞ!」
「ちっ! 後で説明してやるから今はやめとけ」
「なんだぁその態度は!? てか麻貴! おまえおれと付き合うってこの前言ったよな? ケンとやってるってどういうことだよっ!」
ばつが悪そうな顔になり麻貴は俯く。そこへ残りのメンバー二人も声を荒げた。
「おまえやっぱりケンと浮気してたんだな! それに水島と付き合うってどういうことだ!」
「おい麻貴! おれが本命って言ってたからバッグ買ってやったんだぞ!」
いつしかメンバー同士の言い争いが始まり現場は一気に修羅場と化した。ライブ配信は止められておらずあちこちでスマホの着信音が鳴り響いている。
私がそれを唖然としながら見ているとジョニーさんがゆっくりと私の肩を叩いた。
「なんかもう……帰ろうか?」
私は小さく頷くと、三人の後に続いて部屋を出た。ドアを閉めてもなお廊下には彼らの怒号が響き渡っていた。
今日もおれは日曜深夜という暇な……静かな時間を店のカウンターで一人で過ごしていた。
あの顛末の翌日、またしてもネットでは大騒ぎとなった。大手配信グループで起きた痴情の
まとめサイトが次々に立ち、大方の世間の見方は、細貝の嘘告、無理矢理付き合う、浮気の捏造、メンバー全員が穴兄弟などなど。一夜にしてグランブルドッグの名声は奈落の底へと落ちて行った。
グループはもちろん解散。彼らを祝っていた配信仲間たちも手の平を返したように批判のコメントをあちこちで発信していた。
一応、あのライブ配信でおれも顔を晒してしまっていたが、特にネガティブな反応はなく、颯爽と現れた謎のヒーローということにされてしまったようだ。
「いやぁネット社会は怖いねぇ。時間掛けて登り詰めても一瞬で転落するからなぁ」
誰に聞かせるわけでもなくそうおれが呟いていると、エレベーターの鈴がチリリンとなった。
「いらっしゃいませー!」
立ち上がりながらおれが声を出すと、ニコニコしながら音遠ちゃんがエレベーターからひょこっと顔出した。
「こんばんは。相変わらず暇そうですね」
「今日も貸し切りですよーお客さん」
おれがそう言うと彼女はクスっと笑っていた。前に比べればその表情はだいぶ明るくなっていた。
彼女はカウンターでいつものスプモーニを飲みながら、その後のことを聞かせてくれた。細貝とその他メンバー、それとあの麻貴とかいう女も学校には来ていないらしい。おそらく休学したのだろうがそのうち学校も辞めていくだろう。
彼女も両親にこっぴどく怒られたらしいが、誠心誠意謝罪をし、どうにか学校は辞めずに済んだようだ。
「今回のことで私は自分の甘さが嫌という程わかりました。歌い手だってたいして本気じゃなく適当にやってたんだなって」
「うーん。まあでも趣味の延長みたいな感じだったんでしょ? そこまで自分を卑下しなくても……」
おれの言葉に彼女は小さく首を振って否定した。
「心のどこかで有名になれるんじゃないかって期待がありました。だから今回みたいなチャンスにほいほい乗っかったんです。努力もせず、本気で一歩踏み出す勇気もない私がこうなったのは当然の結果ですよ」
自嘲気味に笑う彼女におれはなにも言えなかった。確かに大学生であるおれたちは社会人としても半人前だろう。バイトとはいえ、仕事に対する考え方に甘さがあるのは事実だ。一人前になるのってのはそれなりの覚悟が必要なんだろう。
「じゃあもう歌の配信はやめるの?」
おれの問い掛けに彼女は頷きながら答えた。
「はい。今日は最後にライブ配信しようと思って。いつもの部屋使っていいですか?」
「もちろん。朝までコースでいいですか?」
彼女は笑って頷くと部屋へと入っていった。
しばらくしてスマホで彼女のチャンネルを見るとライブ画面が映し出される。視聴者の数は1。それでも彼女は楽しそうに歌っていた。
一時間ほどすると部屋のドアが開いて彼女が顔を出した。そしてマイクを使っておれに話し掛ける。
「もしかして配信見てるのってジョニーさん?」
エコーのかかった声が店に響く。おれは親指を立てて彼女に答えた。
「なんかリクエストありますかー? 歌いますよー」
おれはちょっと考えてから大好きなバラード曲を彼女に伝えた。OKサインを出しながら彼女は部屋へと引っ込んだ。曲が見つかったのか、彼女がマイクを持ってソファーの上に立ち上がった。
おれも店内のBGMを切ってスマホの音量を上げる。やがて彼女は目を閉じ歌い始めた。部屋から漏れ聴こえる音と少し遅れて聴こえてくるスマホからの彼女の歌声。
本当にいい声をしている。おれはしばし彼女の歌に聴き入った。すると視聴者の数がいつの間にか増えていた。
〈こんな時間にこの曲歌われたら泣いてまう〉
一件のコメントがコメント欄に表示された。それに続くようにぽつりぽつりとコメントは増えていく。
〈やっぱネオンちゃんの声いいな~〉
〈わ~ライブ配信してたんか!出遅れた〉
〈いろいろあって大変だろうけど応援してるぞー〉
彼女はコメントに気付かず歌っていた。深夜にも関わらずいつの間にか視聴者は100を超えていた。
曲が終わりようやく彼女もコメントに気が付いた。
「わーなんかいっぱい見てくれてる。みなさんこんばんはー」
それから彼女は雑談も交えつつ配信を続けた。一連の騒動を謝罪した時は、励ましのコメントと共にお叱りを受けることもあった。でも彼女はしっかりとそれを受け止め真摯に答えていた。
結局ライブ配信は閉店時間の五時ぎりぎりまで続いた。会計を払いにカウンターへとやってきた彼女の顔はとても晴れやかだった。
「久々に喉枯れちゃいました~営業時間超えちゃってごめんなさい」
「大丈夫だよ。はい、じゃあお会計はこちらです」
おれが伝票を差し出すと彼女は少し驚いた表情を見せた。
「なんか少なくないですか? ドリンク代だけ?」
「そうそう。ポイントカードが貯まったてから今日は部屋代は無料だよ」
やったーと彼女は喜びながら財布からお金を出した。おれはおつりを渡しながら彼女に一言告げた。
「歌の配信、続けてみたらどうかな?」
「でも……」
彼女は少し困った様子でおれを見た。
「別にプロになろうがなるまいが、自分が好きでやってるならそれでいいじゃん。今日だってネオンちゃんの歌聴きたいって人もいたんだし。好きで聴いてくれてる人がいるならその人たちのために歌うってのも、今の時代なら全然ありでしょ?」
彼女は少し考えるように俯いた。なにか答えが出たのか、一度だけ頷くと飛びっきりの笑顔を見せた。
「それ大事かも! なんか一番大切なこと忘れてたんだ私」
そうだそうだと彼女は何度も頷いていた。おれはレジの下の引き出しを開けるとまっさらなメンバーズカードを彼女に差し出した。
「常連さんを失うわけにはいかないんでね。はいこれ。またのお越しをお待ちしてまーす」
「なんかうまいこと乗せられたかなぁ。じゃあ今度はデュエットお願いしますねジョニーさん♡」
そう言い残すと、彼女は手を振りながら店を後にした。
「ん~デュエットねぇ……なにがいいかな」
そう独り言ちしながらおれは店の掃除を始める。窓の外では朝日が昇りだし、新たな一日が始まっている。
おれは掃除機の音を鳴らしながらデュエット曲を口ずさんでいた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
四面壁囲を最後まで読んで頂きありがとうございます。
今更ながら四面壁歌にすりゃよかったと思いました……そのうちしれっと変えてるかもしれません。
「壁際のジョニー」は不定期連載として今後も書いていこうと思っております。またネタが浮かび次第、皆様の前にジョニーが現れますので、その際はまた是非お付き合い頂ければ幸いでございます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます