第11話 裏壁を返す 3

※真夜中に読むのはお勧めしません。


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 店へと戻った花瑠杏は真っ先にマネージャーの元へと向かった。その顔は心なしか憔悴しており少し怯えているようにも見えた。


「すみません。あの人はNG客にしてもらっていいですか?」


「あの人って平田って人? 何かされたの?」


「いえ特に酷いことされたってわけじゃないんですけど……なんとなくヤバそうな感じが……」


 彼女は平田に対して思った事をマネージャーに伝えた。痛客いたきゃくというわけではないがどことなく危ない雰囲気を感じ取っていたのだ。マネージャーは然程さほど考える様子もなく了承してくれた。客が惚れてしまうというのは決して珍しいことではなかったからだ。




 家に帰り着くと彼女は真っ先にシャワーを浴びた。平田が時間ぎりぎりまで楽しんでいたためシャワーを浴びる時間がなかったのだ。逃げるように男の部屋を出ようとした時、腕を掴まれた。


「また会いにきてね。ルアちゃん」


 思い出すだけで全身が粟立あわだつ。視点が定まらない目でこちらを見る男の顔が頭をよぎり、シャワーを浴びながら彼女は身震いした。もうあのバイトは辞めた方がいいかもしれない。その日は大好きなお酒も味がしなかった。早々に晩酌を切り上げると、彼女は布団に潜り込んだ。



 それから何度か平田から指名の電話があったそうだが、マネージャーがうまく取り合ってくれたようだ。一度だけ別の女の子が派遣されたが、平田は全く勃たず、二十分で帰されたらしい。


「確かにちょっとヤバイ感じしたよねぇ。目の焦点とか合ってないし、会話も全然なくてさぁ。ずっとぶつぶつひとごと言ってたよ」


 唯一の会話といえば、平田がルアの本名を尋ねたくらいだったらしい。名前は知らないと言ったがしつこく食い下がったそうだ。


 それを聞いた時、言い知れぬ恐怖が花瑠杏を襲った。平田の彼女に対する執着心は相当なのかもしれない。その日のうちに彼女は店を辞めると決めた。マネージャーに渋い顔をされたがその決意が揺らぐことはなかった。


 そして店のホームページからルアの存在は跡形もなく消え去った。


 

 男は喉の渇きを覚えベットから起き上がった。時刻は真夜中だった。蛇口をひねり目に付いたコップでゴクゴク飲んだ。あれから男は彼女に会えずにいた。店に何度も電話したがあれこれ理由を付けて断られ続けた。そして昨日、店のホームページからルアのプロフィールが消えている事に気がついた。


「必ず会いに行くよ。待っててルアちゃん……」


 宵闇よいやみよりも深く男の瞳は黒く淀んでいた。



 

「――ルアちゃーん!」


 授業が終わり正門の方へと歩いていると背後から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。彼女は思わずビクッと身をすくめた。


「カルアちゃん、歩くの早いねー。今から帰り?」


 声を掛けてきたのはジョニーだった。軽く走ってきたのだろうか、彼は僅かに息を切らしていた。


「うん。五限の授業があったから。ジョニーくんも今終わったの?」


「うん、カッキーに代返だいへん頼もうかと思ったら、あいつ今日学校来てなくてね」


 二人で話しながら歩いていると正門が見えてきた。彼女は特に意識したわけでもなく、その近くに立つ人物へと視線を移した。その瞬間、彼女の足がピタリと止まる。背筋が凍るという感覚を彼女は初めて味わった。足元がふらつき一歩、二歩と後ずさりした。


「カルアちゃん? どうした?」


 ジョニーが心配そうに顔を向けると、彼女は見る見るうちに青褪あおざめていった。


「……なんで……どうやって?」


 ジョニーは彼女の視線の先に目をやった。そこには見知らぬ男がこちらをじっと見ている。


「あの人知り合い?」


 ジョニーが声を掛けると、彼女は身を隠すように彼の腕をぎゅっと掴んだ。その手は震え、目には涙を溜めていた。


「ス、ストーカー……」


「え?」


「ストーキングされてるの! ジョニーくんどうしよう。私、私……」


「カルアちゃん落ち着いて。とりあえずおれがちょっと話してくるから」


 ジョニーは彼女をその場に残し男の方へと歩いていった。いざ話し掛けようとした時、男はジョニーを睨み付けるとくるりと後ろを向き、走り去った。追い掛けようかと迷ったが一旦彼女の元へと戻ることにした。



 彼女は身をひそめるように街路樹の影にしゃがみ込んでいた。名前を呼ぶとピクリと僅かに反応した。静かな場所へと移動し、彼女が落ち着くのを待つ。日が傾き始めた頃、ようやく彼女は口を開いた。




「リンダやカスミちゃんには言わないで欲しいんだけど……実は私、風俗でバイトしてたの。さっきの男はそこのお客さん。お店はもう辞めたんだけど……どうやって大学のこと調べたんだろう……」


「その話詳しく聞いても平気?」


「うん……。あの男からは二回くらい指名があって――」



 それから彼女は今日までの経緯いきさつを全て話した。最初は普通の客だったが二回目の時に様子がおかしくなった。それ以降NG客にしたが、何度も指名の電話が来るようになり怖くなって彼女は仕事を辞めた。自分は学生だという話はしたが、もちろん大学名や本名は教えてはなかったという。


「とりあえず一度、警察に相談した方がいいかもね」


「取り合ってくれるかな?」


「まだ直接なにかされたって訳じゃないから難しいかもしれないけど、何もしないよりはね。なんだったらおれも一緒に行くよ」


「じゃあ近いうちに行ってみる。その時はお願いしてもいい?」


「こういうの女友達には相談しづらいでしょ」


「ありがとジョニーくん。やっぱ頼りになるね~カスミちゃんが惚れるわけだ」


「へ? カスミちゃんが? おれに?」


「でも鈍感なのはいただけないな~」


 ようやく彼女にも笑顔が戻った。念のため今日は家まで送ろうかと彼に言われたが、彼女はタクシーで帰るからと言って、それを丁重に断った。




 無事に自宅へと辿り着くと疲れがどっと押し寄せてきた。はぁーっとダイブするように彼女はベットへと倒れ込んだ。今日見たあの光景が未だに頭から離れない。遠くからこちらを見ていた男の顔がフラッシュバックしてしまう。酒でも飲んで忘れようと彼女はガバッと起き上がった。



「うわ~ひどい顔になっとるやん」


 今日起きた出来事と最近あまり眠れないのもあって目の下には隈が出来ていた。姿見に顔を近付け頬をさすっていると、背後に写るクローゼットの扉が少し開いているのに気が付いた。部屋の明かりにぼんやりと照らされたその暗闇の中で、何かがすっと動いた。


 そしてその刹那、僅かな隙間からこちらを見ている男と鏡越しに目が合った。



「キャアアァァアアアアアアアーーーーーー!!!」




 彼女の悲鳴は分厚い壁に吸い込まれて消えた。




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