第9話 裏壁を返す 1

 ※性描写を含むシーンがありますのでご注意ください。


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「裏を返す」とは、遊里で初めて買った遊女を二回目でもまた指名して遊興ゆうきょうすることを言う。「裏壁を返す」という言い方もあり、これは左官用語の、壁の表を塗った後にもう一度裏から塗直すことを語源にしているという説がある。

現在も、とある業界では二回目のリピート客を「裏壁うらかべさん」と呼ぶ隠語も存在している。




 その男は生まれてから三十年、一度も女性経験がなかった。いわゆる童貞DTである。男は地味でブサイクな自分が心底嫌だった。もちろん今まで彼女もいたことはなかったし、女性に告白した、された経験も皆無だった。会社の同僚からチェリーと揶揄からかわれることも少なくなかった。このまま一生童貞で終わってしまうのかと、焦りすら感じていた。


 ある日、男は意を決して風俗を呼ぶことにした。パソコンで検索するといくつかのお店がヒットした。その中の一つ「ピュアラバー」というお店をクリックしてみる。


「かわいい子ばっかりだな……」


 笑顔で写る女の子たちはみんなまぶしく見えた。普段の自分ではまず手が届かないであろう彼女たち。そんな彼女たちにお金を払うことが至極当然のように思えてきた。そして男は一人の女の子の写真に目を止めた。


 ルア 20歳/152cm B:86 W:54 H:85


 写真は口元を隠しているが、くりくりの目でふわふわっとした感じの女の子だった。自分が推しているアイドルにちょっと似ているなと、男は思った。


 いざ電話を掛けようとするがやはり躊躇ちゅうちょしてしまった。少し酒でも飲もうと思い冷蔵庫から発泡酒を一本取り出す。自らを鼓舞するようにグビグビっと一気に飲み干した。 


 学生時代から使っているベットに腰を下ろす。ホームページを見ながら震える手で店の番号をダイヤルした。やっぱりやめようか……三回目のコール音が鳴った時、男はそう思った。


「お電話ありがとうございます。ピュアラバーです」


 イメージしていたのとは違い、丁寧な言葉が電話から聞こえてきた。


「あっ、あのー、お、女の子を一人お願いしたいんですが……」


「ありがとうございます。お客様は当店のご利用は初めてでらっしゃいますか?」


「え、ええ。初めてです」


「料金システムなどはご存じでしょうか? サイトとか今ご覧頂いてますか?」


「は、はい。きゅ、90分コースでお願いしたいんですが」


「かしこまりました。女の子の方はもうお決まりでしょうか?」


「えーと、このルアちゃんって子がいいです……」


「ルアさんですね。かしこまりました。ではお伺いする時間と場所の方を教えて頂きたいのですが――」


 それから時間と家の住所を伝え電話を切った。男はふぅーっと思わず大きなため息を漏らした。


「女の子がこの部屋に来るのは初めてだな」


 昨日、ちゃんと掃除はしたから問題ないはずだ。そう思い部屋を見渡すとでかでかとアイドルのポスターを貼っていることに気がつく。慌てて壁から剥がしクローゼットに仕舞い込んだ。

そわそわと落ち着かない心を抑え、男は時計のデジタル数字が21時になるのを待った。


 ピンポーン。


 わかっていてもチャイムの音を聞くとドキリとしてしまう。男は少し小走りで玄関へ向かい除き穴へ顔を近付けた。ドアの向こうには写真で見た彼女が少し恥ずかしそうに立っていた。ガチャっと鍵を回しドアを開ける。


「こんばんは~。ピュアラバーのルアです」


「あ、ああ平田です」


 写真よりも全然かわいい。男は一目見た瞬間にそう思った。


「あの~おうちあがってもいいですか?」


「あ、ど、どうぞ」


「失礼しま~す」


 狭い玄関に彼女が入って来ると二人の距離がほとんどなくなった。甘い香りが男の鼻をくすぐる。ドキドキしながらドアに鍵を掛け、彼女が靴を脱ぐのを待った。しまった、スリッパぐらい買っとくんだったと思った時には、彼女はもう部屋へとあがっていた。


「おじゃましま~す。きれいに片付いてますね」


 彼女はニコニコしながら男に言った。男は恥ずかしさのあまり目を逸らしてしまった。


「は、はい。昨日掃除したんで……」


 そうなんですね~というと彼女はベットに腰掛けた。ただそれだけのことだったが男は妙な興奮を覚えた。


「一回お店に電話してもいいですか?」


「ど、どうぞ……」


 スマホを取り出し彼女は電話を掛けた。自分の家だというのに男はそわそわと落ち着かなかった。


「あ、もしもし。はい、今お部屋に入りました。はい、じゃあお願いします」


 お電話失礼しましたと、彼女はスマホをバックに戻した。男はどうしていいかわからず相変わらず突っ立ったまま。彼女は少し顔をほころばせると男に話し掛けた。


「こういうの初めてですか? 緊張してます?」


「は、はい。その……これからどうしたらいいんでしょう?」


 彼女はぷっと口を手で隠した。男は恥ずかしさで耳まで真っ赤になった。


「ごめんなさい。あっ、とりあえず先にお金を頂いていいですか?」


 男は慌てて用意していたお金を財布から出して渡した。彼女は丁寧にそれを受け取るとチャック式の小さなバックへと入れた。それからタイマーをセットしてから上着を脱ぎ始めた。


「シャワー借りてももいいですか?」


「あっはい! シャワーはそこです」


 男の部屋は1Kのアパートで風呂はユニットバスだ。脱衣所などはもちろんない。


「服、ここで脱いでもいいですか?」


 彼女はそう言うと服のボタンに手を掛けた。男は思わず彼女に背を向けた。


「見ても平気ですよ? よかったら一緒に入ります?」


「いっ! いえ! 狭いから大丈夫です。あっタオルはそこの使ってもらって」


 くすくす笑いながら、彼女は下着姿で風呂場へと向かった。すぐにシャワーを流す音が聞こえだす。男はようやくベットに腰を下ろした。この後あんなかわいい子とおれは……アイドルの握手会とは違うドキドキ感があった。

話をするだけでも緊張してしまう。上手く出来るだろうかと男は少し不安を感じた。


 やがてバスタオル一枚を巻いた姿で彼女が風呂場から出てくる。白い肌がわずかに火照り、髪を上げあらわになったうなじがやけになまめかしかった。男は暫しその身体からだ見惚みとれていた。


「お先しました。平田さんもどうぞ」


 その声に男はハッとしそそくさと風呂場へ向かった。入念に体を洗い部屋へと戻ると彼女は女子高生らしき制服を着ていた。


「コスプレのサービスであるんですけど、嫌でした?」


 男はゴクリと喉を鳴らした。彼女の制服姿はその辺のアイドルよりも数倍かわいく見えた。無意識に男の下半身は反応していた。


「大丈夫だったみたいですね。じゃあベットに寝てくださいね」


 彼女はにこっと微笑みながら男の手を引いた。されるがままにベットに寝転がる。初めての感覚に男はあっという間に果ててしまった。


「ご、ごめん……」


 男は枕元のティッシュを数枚取り出し彼女に渡す。彼女は少し困ったように笑った。


「少し休む? 時間はまだまだあるし」


 その時、彼女のめくれたスカートの間から下着がちらりと見えた。男は無言で彼女を押し倒すとスカートの中に手を突っ込んだ。見様見真似で彼女の下半身をまさぐる。彼女はわずかに眉をひそめた。


「いっ! ごめんちょっと痛い」


「あっ! ごめんなさい……」


 男は手をさっと引いた。彼女は再び困ったように笑った。


「平田さんって、もしかして初めて?」


 男は小さい声でうんと呟いた。恥ずかしさと情けなさが込み上げてくる。バツの悪い空気がその場に流れた。


 いつもは隣の部屋からレゲエの曲が壁越しに聴こえるのだが、この日に限って周りは静まり返っていた。そんな沈黙の中、彼女はクスリと笑った。


「だからあんなに緊張してたんだね。そんなの


 男は一瞬ぽかんとした。声のトーンから馬鹿にされてるわけじゃないのだろう。


「あ~ごめん。私出身が熊本なんだ。今のは全然気にしなくていいよいっちょん気にせんでよかよってこと」


 男は彼女の笑顔を間近で見た。そして、こんな自分に優しくしてくれる彼女に恋心を抱いた。この時すでに男は客という立場を完全に忘れていた。


 その後、再び果ててしまった男は、結局童貞を捨てられずに終わった。




 彼女が帰った後も部屋には甘い香りが残っていた。男はベットに横になりながら、先程までの事を思い出していた。しばらく物思いにふけっていた男はおもむろに立ち上がるとクローゼットを開けた。


 そして仕舞っていたアイドルのポスターを手に取ると、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。







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 ジョニーがいっさい出てきませんでしたが、この作品は「壁際のジョニー」で間違いありません。




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