現代民族遊戯論中間レポートの書き出し

白夏緑自

レポート

■暗楽鬼世舞務


 とある奇祭の最古の記録は室町時代、文明13年に当時、全国の治政状況を調査していた近江親光によって記された【辺方特政録】によって確認できる。


 陸奥国(現代の福島県)内の緒央蘇村にて行われていた祭のようである。

 曰く、真夜中のお堂にて明かりを灯さぬまま行われる。

8人1組となり1人の代表者が鬼の面を被り踊る。その周りを7人が囲む。そして、このグループを7つ作る。

 そして、踊り終えたタイミングで代表者が7人の中から1人を選び、各グループから合計して7人が選出される。

 踊りに定型は無く、また暗いこともあって視界がほぼ真っ黒だったことにより、選出はランダムではあったと考えられる。

 しかし、この鬼に選ばれた7人がどのような村内で役割を担うのかは【辺方特政録】では見受けられず、近江自身も不明だと残している。



■暗楽鬼背撫武


 以後、200年ほどして似たような祭が記録されている。

 天和3年。徳川綱吉の時代。民族学者のような役割を当時の幕府から任されていた新川和繁は伊達国内の最奥にて、この祭を目撃していた。以下、新川の書簡から判明する内容である。

 

 真夜中、明かりを灯さないお堂に行われる点や、8人1組を7つ作られ、代表者が鬼の面を被り踊る点は共通している。


 しかし、7人のうちの1人を選ぶ方法に変化があった。

 鬼は囲まれておらず、輪になった7人の周りを踊る。そして、踊りの最期に背中を撫でる、といったものだ。

 さらに注目するべきは新川が祭の参加者から聞き出した、選出された7人の役割である。


 7人は鬼が背中を撫でたことにより、その強さを有する。よって、向こう1年は村を守る者として武神に近い扱いを受ける代わりに、有事の際には真っ先に前線へと立つことを義務付けられる。


 ここで、推測できるのはこの奇祭の──願掛け的な意味を除いた、社会システムとしての──目的は、非常時の際に率先して対応する人間の選出ではないだろうか。危険への対処役と考えても良いだろう。【辺方特政録】での祭の名前には“務”とあることから、その可能性は高い。


 危険度の高い仕事を押し付ける見返りとして、“認められる”名誉や実益としての優遇を与えられる。命奪われる前の生贄に対する祀り上げのイメージに近しい。ただ、生贄は神に捧げる奉納であるが、この選出者には役割を与えて奉る。つまり、生贄を伴う奇習の崇拝対象は受け取る神やそれに準ずるものであるが、ここでは選出者を崇拝している。


 その後も、同様の祭りは各地で確認できる。しかし、2回の戦時中では国民全員の

参戦が国中で望まれていたため、7人の選出ではなく鬼が地域の若者すべての背中を撫でるといったふうに変遷している。

 

 ここまでが、簡単ではあるが現在、主に小学生の間で行われる遊戯【アンラッキーセブン】のルーツではないかと考えられる各地の奇祭の概要である。


 各地域により違いはあるが、【アンラッキーセブン】は1人が目を瞑り、自分を囲む誰かを選ぶ。選ばれたものは下校時、参加者のランドセルを持つ、階段の一番上から飛ぶといったような罰ゲームを課せられる遊びだ。


 罰ゲームの内容は“苦労はするが、しかし達成すれば誉れ”となるような傾向にある点は、これまで挙げた2つの奇祭と共通する。


 しかし、類似した奇祭が各地にて、同様の発音の呼称にて発祥・伝承している事実は不可思議という感想を禁じ得ない。もしかすると、誰かが全国へ流布していたのではないか。鬼が一貫して登場しているので、その存在を信じる者の、あるいは鬼そのものが実在していたのか。今後は各地の鬼伝説と併せて調査を進めてみても良いかもしれない。

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