第58話

 実際、私の考えは合っていたらしい。

 私たちが廊下に出るタイミングでパル兄様が結界を張ってくれた瞬間、ドンッという激しい衝撃だけが伝わってきた。

 私の目には、犬が飛びかかろうとして何度も見えない壁にぶつかってるって感じなんだけどね……。


「ちっ、俺ぁアルと違って結界とかは苦手なんだがな……見えりゃあ吹き飛ばしてやんのに!」


「物騒! 建物の中だよ!?」


「人的被害が出ねえように気をつけて壁ごとぶっ飛ばせばいいだろ。修繕費くらい自費で出せる」


「そういう問題じゃないんだよなあ!」


 ポケットマネーとかそういう問題じゃないんですよお兄様。

 そういうところが父様をどことなく彷彿ほうふつとさせるんだけど、それを言ったら言ったで不機嫌になる気がするのでここは無難に黙っておいた。

 私は賢い五歳児なのだ。


 しかし見えないながらも衝撃の強さにパル兄様が顔を顰めている。


「チッ……俺の結界じゃあそう長くはもたねえなあ。オルクス兄上はいつ来るって?」


「もう着いた」


「うお!」


「楽しげなことをしているな、パル」


 気配もなく現れたオルクス兄様に、私も声が出なかった。

 そりゃ驚くでしょうよ!

 でもテトとグノーシスは驚いていなかった。そこはさすがなのか?


 二人が手早く兄様が何かを聞くよりも先に報告をしてくれたおかげで、オルクス兄様はただ黙って頷いただけだ。


「なるほど、奇妙な精霊もどき・・・だ。特定の魔力に対して反応しているように見える。……おそらくヴィルジニアにかけられた守りのまじないに反応しているのだろう」


「やっぱり」


 ということはユベールのおまじないは効果があるんだ!

 そんなことを考えていると、オルクス兄様は胸元に手を突っ込んで何やら瓶を取り出した。


 えっ、そんなところになんで瓶が……しかも結構おっきいサイズではないか。

 私は驚きで二度見してしまったが、他のみんなは驚いていないのか?

 グノーシスとテトは無表情を貫いているけど、若干普段と様子が違うしパル兄様は私と違ってさらに五度見くらいしていた。


 どうやら私は正常のようだ。

 確かにぴったりとした服装でないといえばないんだけど、あのサイズの瓶がどうやって入ってたんだ……?


「パル、結界を解除しろ」


「あ、ああ」


「その精霊モドキはわたしが持って帰って研究する」


 オルクス兄様がそう言った瞬間、ぞっとして思わず私はテトにしがみついていた。

 パル兄様もその場からあっという間に後ずさりして、ものすごく怖い顔をしている。


 怖かったのは、オルクス兄様の魔力だ。

 精霊の力なのか?

 兄様の周りを普段飛び回っている精霊たちの姿は見えない。私のところに来た子もだ。


 呑み込まれるようなその感覚に胸がドキドキして苦しい。


(兄様はやっぱりすごい人なんだ)


 いつも飄々としてヴェルジエット兄様をからかうだけの兄ではないとは思っていたけども。思っていたけども!!

 実は案外この兄が兄たちの中で一番怖い人なのではなかろうかと思う瞬間だった。


「ふん、まあこんなものか……」


 私たちがあんなに手こずった犬の形をした精霊モドキが、まるで飴を溶かしたようにドロドロになって瓶の中に吸い込まれてしまった。

 黒いモヤのようになってしまったそれは、そうなってしまえばパル兄様たちにも見えるらしい。


「とりあえずそこのシスター。ここにいる女性は問題を抱えているようだ。こちらで与ることにする」


「えっ、は。はい!」


 有無を言わせないオルクス兄様の言葉にこれまでの一連の流れで呆然としていたシスター・ルーレが慌てて姿勢を正した。


 そしてしばらくしてどうやら置いてけぼりを喰らったらしい護衛騎士たちが遅れてやってきて、テトに叱咤されていた。

 シアニル兄様の神出鬼没さに負けないくらい、オルクス兄様もそうらしいんだよね。

 まあ精霊の小径を使ったら普通の人は追いつくのが大変だと思うし……。


 私たちはユベールのお母さんを馬車に乗せて、城へと急いで戻ることになった。

 その方がいいとオルクス兄様が強く言ったので、なんと馬たちに強化魔法をかけて一気に駆け抜けるんだってさ!


 途中で事故が起きたらこれは大変なことになるのでは?

 そう思ったけど、皇族が乗った馬車が通るんだから道々人払いは済ませておくようすでに伝令が走ってるんだって。


 頑張って、伝令さん。


「そういえば兄様、お外で精霊の小径はダメだと思うの。せめて護衛騎士たちも連れてきてあげないと」


「……あいつらは金属の武器を多く身につけているから精霊が嫌がるんだ」


「じゃあ一緒に来てあげれば良かったのに」


「早く着いたからお前たちも無事だったのだし、いいだろう?」


「……なんだよ、もしかして俺たちだけで行動してんのが羨ましかったのか?」


「生意気を言うのはこの口か」


「いででで」


 長身のオルクス兄様に捻りあげられるパル兄様はそれでも楽しそうだ。

 兄弟仲が良いのはとてもいいことだと思うので、とてもほっこりした。


 ただ、あのモヤ……もとい犬の存在が、ユベールのお母さんとどう関係しているのか。

 それが気になって、私はさらに封印を施された瓶を睨むのだった、

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