第20話
パル兄様の風とも違うし、アル兄様が作った魔道具の風とも違う。
何かふわふわとしたところに入ったようなくすぐったさに私は目を閉じる。
クスクス笑う声が耳元でするから驚いて目を開ければ、そこには私の手の平大の可愛らしい、羽の生えた女の子たちがいるではないか。
「ふわあ」
『まあすごい! あたしたちが見えるんだわ!』
『それにすごく可愛いわ! ねえオルクス、この子精霊界に連れて行っちゃってもいい!?』
「だめに決まっている。これはわたしの妹だ。……それにしてもお前、こいつらが見えるのか」
「う、うん、じゃない。はい、兄様」
「……そんなに固くならなくていい」
『無理よ無理よ無理よーおう、あんた表情乏しいもの!』
『ついでに言葉が足りないもの!!』
「うるさい」
ケラケラ笑う彼女たちの声が、突如として遠ざかる。
そしてまたあの
といってもオルクス兄様の腕の中には変わりないけど。
そこはどこかの書斎のようだ。
難しそうなタイトルの本、本、本、そして散らばる紙切れ。
(……紙切れ?)
「兄上。仕事の手を止めて一度こちらへ視線を」
「……なんだ」
低い、声。不機嫌だといわんばかりのその声に私は目を瞬かせる。
オルクス=オーランド兄様を見上げ、その視線の先に目をやればそこには黒髪に赤い目をした男性が少しだけ驚いた顔をして私を見ていた。
ヴェルジエット=ライナス。長兄に違いないと、私はすぐに理解する。
父によく似た容貌で、美形だけど厳めしい感じだ。
書類の山に囲まれて仕事をしていたんじゃなかろうか?
周囲に人はいない。
私のイメージ的には偉い人が書類作業をしている横に、サポートをする人たちが複数いるもんだとばかり思っていたからとても奇妙な光景だ。
そしてヴェルジエット=ライナス兄様も、私が誰であるかわかったのだろう。
眉間の皺が、深く、深く刻まれて行くではないか。
「……オルクス」
「どうせそのうち話をする予定だったでしょう。その仕事の手を止めてください」
「……オルクス」
「ヴィルジニア=アリアノット、我らが皇太子殿下、ヴェルジエット=ライナスにご挨拶は?」
「……末の、ヴィルジニア=アリアノットです」
本当は淑女らしくお辞儀もしたいところだがオルクス=オーランド兄様が下ろしてくれないので彼の腕の中からとりあえず頭だけ下げた。
(話をする予定だった……っていう表情じゃなさそうだけどな)
あからさまにいやそうな顔っていうんだよ、あれは。
眉間の皺はすごいし私のこと睨み付けているというのが正しい気がする。
「……いいだろう。座れ」
「はいはい。ヴィルジニア=アリアノット、一人で座れるか?」
「はい」
来客用なのか、二人掛けのソファがある。
そこに下ろされて、対面にオルクス=オーランド兄様とヴェルジエット=ライナス兄様が座った。
なんだろう、圧迫面接かな……?
「話しておくことがある。皇女として生まれた以上、お前は早々に婚約者を定めなければならない。陛下に任せておくと手元に置いておくためにのらりくらりと先延ばしにするばかりで話にならん。しかしそれでは争いの種になる」
「……ヴェルジエット兄上」
それ、幼女に説明するにはかなりわかりづらいと思うんですけど?
しかも初めましてでもよろしくねでもなく婚約話って。
まあ、父に任せたらそうなるだろうなってのはわかるから納得できてしまったのが悲しい。
とはいえ、争いの種だと言われてちょっとだけムッとしてしまった。
オルクス=オーランド兄様もその発言はどうかと思ったのだろう。
咎めるようにヴェルジエット=ライナス兄様の名前を呼ぶ。
そのことに少しだけ自分でも思うところがあったのか、咳払いを一つ。
「だが選択肢がないのも哀れとは思う。希望を述べてみろ」
「……私が邪魔なら、そう言えばいいのに」
希望?
そりゃあるさ、恋愛してみたいもの。
まだ五歳だよ。
それなのに勝手に連れてこられてそんな風に言われたら、傷つくなって方が無理だ。
皇女なんだから当然だって頭じゃわかっている。
でも要するに私は、邪魔なんでしょう?
後ろ盾もなく、唯一の女児。
大きな権力を誇る皇帝に近づくための、体の良い駒。
それが争いの元になるから、早々に婚約者を決めてしまえばいいってこともわかってる。
でもそれは私を思いやってのことじゃないんだって思うと、腹が立った。
ヴェルジエット=ライナス兄様の言うことは正しいとわかっていても、ムカッとしたのだ。
「ヴィルジニア=アリアノット、兄上は……」
「アル兄様のように優しくて穏やかで、頭がよくて、パル兄様のように周りを見て守れる方がいいです」
オルクス=オーランド兄様が何かを言いかけたけど、私はそれを遮って口にする。
浮かんだのは、私に寄り添おうとしてくれた兄たちだ。
「それから、カルカラ兄様のように私の気持ちに、寄り添ってくれる人」
ここに、いたくない。
私が強くそう願うと、それに呼応するようにさっきの羽が生えた女の子たちが現れて『逃がしてあげようか』と囁いてくれた。
「止めろ!」
そうオルクス=オーランド兄様が言ったけれど、私はもうこの二人の前にいたくなくて一も二もなくその子たちに頷いてみせる。
「もう、お話は終わりでしょう? お邪魔しました!」
もういい。
仲良くなれないなら、せめて嫌われないように。
この場から私がいなくなればいいんだ。
あのモヤが出た瞬間に私は飛び込んで、駆け出す。
飛び出した先には、パル兄様とアル兄様が言い争いをしていた。
でもそんなことは関係ない。
私は二人のところに行って、パル兄様に抱きついた。近かったから。
「にいさま……っ」
「……ヴィルジニア?」
「にいさま、ここいたくない。やだよお……」
涙が零れる。
悔しかった。
悔しかったのだ。
まだ私は何も自分ができるということも、できないということも示していないのに。
私がいるだけで邪魔だなんて思われていることが悔しくてたまらない。
兄たちの優しさに触れた後だから、期待していたから、余計に。
兄様たちは顔を見合わせてから、厳しい表情を(アル兄様は箱を被っているのでわからないけれど)浮かべて、何かを話している。
「……追ってきてるな、仕方ねえ。お前の部屋に行くぞアル」
「うん。パルはそこに足止めの魔法を張って。僕は部屋の結界に全力を注ぐから」
「おう。……大丈夫だヴィルジニア。俺たちがお前を守ってやるからな」
「ごめんね、ヴィルジニア。僕がもっと強く言っていれば良かったね」
二人の兄に撫でられて、私はようやく息をする。
先ほどとは違う涙に、アル兄様に抱き上げられてホッとしたところで後ろから声がした。
「ヴィルジニア=アリアノット! お前は何故精霊たちに……いやそうじゃない、先ほどのことは誤解で……」
「後にしろよオルクス兄貴」
ぶわっと風が強く吹く。砂混じりのそれは、オルクス=オーランド兄様を包んだ。
パル兄様の仕業だとわかったけど、アル兄様たちはすぐに私を抱いたまま走り出した。
「待て、待ってくれ……」
オルクス=オーランド兄様の声が遠くに、聞こえた。
でも私は、それを聞きたくなくてぎゅうっと目を閉じて、耳を塞いだのだった。
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次は21時頃更新になります
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