第24話 落ちゆく花
――貴女は誰。そう問われた全の姿が、ぐにゃぐにゃと歪んでいく。身体を形作る線が消え失せ、曖昧なモノになっていく。
やがて、物体が空気中に溶け込むと――同じ所に、新たな存在が出現した。
「あなたは――」
現れたのは、水月と名乗った者と瓜二つの怪異だった。しかし、明確に違う点が3つほどあった。
1つめは、目の色。毒々しい赤色をしている。
2つめは、何の気配も感じないこと。目の前にたしかに居るのに、存在しているように見えない。
3つめは、水月は男性に見えたが、目の前の怪異は女性に見えること。はっきりと「女性」だと断定できないが、なんとなく「そう」感じる。不思議な感覚だった。
「その目、疑問」
青髪の怪異が、苛立たしげに言った。
「オマエの目は理解不能だ!」
激昂し、柵の上に百合花を押し倒す。
「もっと苦痛を感じろ! もっと嫌悪しろ! 何故、オマエの目は分からないと言っている!?」
「苦痛? 嫌悪? ふふ、私の心は、とっくにその感情でたくさんだわ」
百合花がうつろに笑った。
「であれば何故――!」
「もう、どうでも良くなっちやったの」
そう告げる百合花の目には、一切の光がない。
「怪物と父親から逃れるために、色々と頑張ってみたけれど――結局、ダメだった。私に訪れる未来は、あなたに殺されるか、父親があなたを殺すか……それだけ。だったら、前者の方がマシだわ」
全との再会も。
ショウとの邂逅も。
非日常的なA小学校の探索も。
さまざまな怪異との出会いも。
果たされたはずの目的も。
――今までの努力は、たった1つの不純物によって、全て無に帰した。
百合花は絶望した。父親の性具でしかいられないのなら――生きる道はないのだと。
「……疑問」
青髪の怪異が、口を開いた。
「ワタシがオマエを殺す。鉄鼠がワタシを殺す。2つのうち、オマエは後者に好感を覚えている」
「……あなたは何を言っているの?」
百合花は眉をひそめた。
「ワタシは、溶ければ全て分かる。オマエの感情も、性格も、過去も、趣向も。全部、分かる。しかし分からない。たしかにオマエは、後者に嫌悪を感じて――」
青髪の怪異が、言葉を途切れさせる。
「……理解した。オマエは父親との性行為に嫌悪感を抱いていたのではなかったのだな」
「なぁに? 推理ごっこのつもりかしら」
「むしろ、オマエは性行為に好感を覚えている。その嫌悪は、激しい快楽を覚えてしまう自分に向けられたもの。――違うか?」
「…………」
百合花は唇を閉ざした。
「それ故に、猫で男――二重の意味で天敵である霧崎全に平気で接触し、あまつさえ誘惑した。これが違和感への答え」
青髪の怪異が下した結論に、百合花の表情が憤怒に染まった。
「黙れ! 黙りなさい! そんなことはあり得ない! あり得るはずが――」
「触るな、汚らわしい!」
掴みかかろうとしたその手は、怪異に触れず代わりに濡れた。まるで、水面に映る月を取ろうとするかのように――目の前に在る怪異は、触れることができない。
「な――!」
しかし理不尽なことに、怪異から百合花へ影響を与えることはできた。ず、ず……と。フェンスに押し倒した彼女の体は、何かに引きずられるように持ち上がっていく。
ず……、ず……。
それは、抗うことのできない力。百合花の体は上へ上へと持ち上がり、徐々に柵を越えていく。
ず……、ず……、ず……。
背中、腰、太もも――。百合花の体は、少しずつ落下する体勢になっていく。操られるように、水に流されるように。
膝裏より先が空に投げ出された時、青髪の怪異が吐き捨てた。
「――お前はただの淫乱だ」
百合花の身体は、柵の外へ投げ出された。あ――落ちる。そう自覚した、その時。
「百合花ちゃん!!」
――それは、一瞬の出来事だった。
突然、怪異の隣に全が姿を現したのだ。全は怪異をすり抜けると、俊敏な動作で柵を乗り越える。格子を掴み、百合花へと手を伸ばした。
しかし――――。
「……!?」
差しのべられた手を、百合花は払った。大驚失色とする全。百合花は悲しげに笑うと、儚い声で告げるのだった。
「ごめんなさい。あなたの言う通りだった」
――白百合は、無惨に散らばった。
『シキトタイヨウ』――完
次章『雨音に溶ける月』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます