第12話 沈む心

 鉄鼠、テッソ。

 

 ――たしかに聞いたことはあった。Sは記憶を遡る。その名を知ることになった出来事を思い返すと、顔を歪ませてすぐに頭から消し去った。


「――鉄鼠って、マジでいたんだな」


 無意識に、不相応な言葉が零れた。百合花が驚いて目を丸くする。


「あなた……何を言っているの?」


 かっと赤くなるSの顔。百合花は瞬時に悟った。人間であった時の感覚が抜けていない発言。これはすなわち、怪異となって日が浅い(それも、数日しか経っていないのだろう――)ということ。怪異としての彼は、新生児と等しい存在なのだ、と。


「ねぇS君」


 百合花がSの近くに歩み寄り、言った。


「怪異の最大の特徴って、何か分かる?」

「……いや」

「普段は見えない、という点よ。霊感のある人間を除いてね」


 スマホのロック画面をSに向ける。ブルーライトに照らされ、Sは目を細めた。


「写真、映像、場所、時間。特定の条件が重なることで、怪異は初めて人間に認識される。そして、恐れられたり、好奇の目を向けられたりする。だけど、もし中途半端に人間の部分を残してしまったとしたら、どうなると思う?」

「……どーなるってんだよ」

「普通に認識されてしまうの」


 百合花は、スマホの灯りを自分のほうへ向けた。暗い中で、彼女の顔がぼうっと浮かんだ。


「特定の状況下でないと認識されないあなたと違って、私は認識されてしまう。人から見た私は……、そうね。心霊写真に映ってしまったモノが、目の前にいるという感じかしら」


 幾度も向けられてきた、蔑みの目。人と人ならざるものの境界で、ゆらゆらと揺れることの無力感。思い返しながら、百合花は自嘲する。


「アンタ、それでよく物壊せたな。オレがやるならまだしも」


 苦悩への言及はしないことにした。踏み込んではいけない領域だと、Sは何となく察していた。


「だって、結界に閉じこもってしまえば関係ないもの」

「テッソに怒られねーの?」

「それも関係のないことよ」

「父親なんだろ?」


 何気なく放たれた、Sの言葉。それは、今までに向けられたどんな侮蔑よりも深く、彼女の心を抉った。


「っふふ」


 嗚呼、なんて残酷な言葉。家族とは無償の愛で満たされるのが普通と思い込んでいる、”最悪”を知らぬ者の悪意なき凶器。


「あははははははははははははははははははははははは!!!」


 百合花は高らかに笑った。Sへの皮肉を、己の境遇への呪いを込めて。狂ったように笑う彼女に、Sはゾッと恐怖を覚えた。


「……っひとつ、面白い話をしましょうか」


 百合花はひとしきり笑い終えると、目をこすりながら言った。


「僧という立場から、ずっと禁欲的な生活を送ってきた。そんな人間が、理性を持たぬケモノと融合したら……どうなるかしら」

「何だよ。性欲でも爆発したんか?」

「そうよ。だから私たちが生まれたの」


 妖しく光るアイスブルーの瞳が、ゆっくりとSに近づく。


「鉄鼠という妖怪が生まれて以来、いつかの時代に人でも怪異でもない、中途半端な異形が生まれては、死んでいった」


 彼女の異形の目の中に、生まれてしまったモノたちの悲鳴と屍の山を垣間見る。Sは思わず顔を背けた。


「その負の連鎖は、私で終わるはずだったわ。でも、嫌だったから逃げたの。この機会にね」


 Sから身を離し、百合花が言う。


「どーいうこと?」


 彼女の唇が、歪んだ笑みを浮かべた。


「知りたい……?」


 どこか艶めいた声色で囁く。白く細い指が、純白のスカートにかけられる。裾を持ち上げようとした、その時。


 ――に げ て


 2人の目の前に、女の子が現れた。からだの半分が失われており、断面からは臓物がはみ出している。


「あいつはキケン……。はやく、はやく、あいつから……」


 ああああああああああん……。


 遠くから、声が鳴る。泣き声とも、喘ぎ声ともつかぬ、おぞましい声が――。それを聞いた途端、強烈な眠気が2人を襲った。


意識が途切れる寸前、2人の脳裏に女の子の声がこだました。



 ――あいつから逃げて。花ちゃんなら、きっとなんとかしてくれる!




『さぁ、それでは調査を始めようではないか』


 長髪の女子生徒が、意気揚々と言った。紺のブレザーに青スカート、ワンポイントの入った紺のクルーソックスといった制服を身に着けている。


『はーなこさーん!』


 茶髪の男子生徒がふざけて言った。深緑のブレザーに灰色のズボン、赤いネクタイといった出で立ちだ。


『ちょっと! ふざけるのは禁止だよ! 怪異の怒りを買ったらどうするのさ!!』


 メガネをかけた男子生徒が、茶髪の男子生徒を諫めた。


 ――彼らはオカルト研究部。普段は部室で雑談をしているが、たまに部活名どおりの活動をすることもある。今日は、学校の怪談でたびたび舞台となるトイレを調査しに来たのだった。


『何言ってんだよクニオ。オバケなんかいるわけねーだろ』


 茶髪の男子生徒がおちょくった。


『だから! いつも言ってるだろ! 怪異は存在するって!』


 クニオと呼ばれたメガネの男子生徒が、鼻息を荒くしながら言った。


『灰色の髪の女の人と、黒髪の男の人の話ですよね? もう聞き飽きました』


 前髪の長いボブヘアの女子生徒が、呆れてため息をついた。


『ほんとに人じゃなかったんだって!!』


 クニオが必死に主張する。


『はいはい。リア充が羨ましかったんだな』


 ボブの女子生徒の横で、私服の若い男が言った。


『こほん。諸君、そろそろ良いだろうか』


 長髪の女子生徒が、仕切り直すように言った。


『それでは、我らがB高校における、トイレの怪談を調査していこうと思う。まず最初は――』


 突然、女子生徒の言葉が聞こえなくなる。耳を傾けていると、辺りに雪がちらつき始めた。雪は瞬く間に激しくなり、あっという間に生徒たちを覆い隠した。


『×××』


 背後に立つ私服の男が、彼の名を呼ぶ。


『おれは、おまえが大嫌いだ』


 白に染められた男が、不気味に笑った――。


「いつまで寝てるの!」


 頬に、強烈な痛みが走った。Sの視界に、怒り顔の百合花が映った。


「オレ、寝てたのか」


 むくりと起き上がり、目をこする。夢の途中で叩き起こされたせいか、未だ頭がぼんやりとしていた。


(また、夢を見た)


 Sは、ものごころついた時から一切夢を見たことがなかった。夢を覚えていないのではない、。だが、ある日を境に、たびたび夢を見るようになった。不可解だった。これも怪異になった影響なのか――Sには分からなかった。


「最悪だわ。トイレの床で寝るだなんて」


 百合花は悪態をつきながら、スカートを手で払った。


「うお、マジじゃん」


 トイレの床に尻をついていることに気づき、慌ててSも立ち上がる。


「つか、今どういう状況? さっきまでオレら、プールにいたよな?」

「あの女の子の力でしょう。私たちを怪物から逃すために、何らかの力でここに転移させてくれたのだと思うわ。トイレの床は最悪だけれど、あの子には感謝しなくちゃね」


 百合花が淡々と答えた。


「あの子は……?」


 Sの問いに、百合花は顔を俯かせる。


「分からないわ。でも、おそらくあの怪物に……」


 Sの脳裏に、女の子の無残な姿が浮かぶ。あれほどの損傷――どのような存在であろうと、助からない。女の子の結末を悟り、Sはぐっと拳を握りしめた。


「何も悲しむことはないわ」


 冷静だが、どこか寂しそうな声色で、百合花が言う。


「あの子は、怪談として語られるほどの知名度がある。人に知られている以上、その存在が消えることはない。ただ、”私たちがさっきまで会話していた女の子”が消滅しただけ。怪異”1-1のワンピースの少女”は、そう時間は経たず復活するでしょう」


 役職を担う者が退いても、その役割は消えず、後を継ぐ者が現れるように。語り継がれる限り、怪異の名は永遠に残り続ける。たとえ、何度魂が消え去り、別のナニカになろうとも。


「体はそのままでも、魂は死んでるってか。やり切れねーな」

「怪異なんて、どこまでも曖昧な存在よ。大衆から抱かれるイメージで、姿形も生い立ちすらも変化するのだから。語られなくなり、忘れられれば消失する。誰にも知られることなく、いつのまにか、消える。そういうものなの」


 切なそうに目を細める百合花。2人の間に、物憂げな沈黙が流れた。


「――感傷に浸るのは終わりにしましょう」


 先に口を開いたのは、百合花だった。


「あの子のことを弔うのなら、最期に残した言葉に従うほうが良いでしょう」

「最期の言葉?」


 こくん。と百合花は頷く。


「あの子は、花ちゃんならなんとかしてくれる、って言ってたわ。そして、私たちをトイレに転移させた。ということは――」

「トイレの花子さん、ってことか?」


 ――Sが問うた直後、空間が紫色に変化する。背筋に寒気が走り、ひんやりとした空気が肌に纏う。怪異が、2人に敵意を向けて姿を現わそうとしているのだ。


「どうやら、そう簡単には会わせてくれないようね」


 ギィィ……。


 4番目の扉が、ひとりでに開いた。

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