仕組まれていた賭け

蟹場たらば

1 彼との出会い

 これは私が旅先で賭けを受けて――


 その結果、1000ドル(約10万円)を手に入れた話だ。



          ◇◇◇



 もう十年近く前のことである。


 私はアメリカの某州――差し障りがあるといけないので具体的な地名は伏せる――に旅行に来ていた。


 旅の目的は観光だった。ある日は定番の観光スポットを訪れたり、ある日は街中を適当にふらついてみたりという、独身男の気ままな一人旅である。


 アメリカ旅行はこの時が初めてというわけではなかった。以前には、もっとベタにハワイやニューヨークに行ったことがあったし、あの有名な日本人メジャーリーガーの試合を見るためにシアトルに行ったこともあった。


 こう書くと、私がアメリカを好いているように思われるかもしれないが、特別そうというわけではない。中国やタイ、イタリア、エジプトなど、若い頃の貧乏旅行も含めると、世界各地を訪れていることになるだろう。私はアメリカが好きなのではなく、旅行が好きなのだ。アメリカに行った回数が多いのは、単にアメリカが英語圏で、私が(少しだが)英語が話せるというだけのことである。


 私が旅行好きになったのは、親が転勤族で子供の頃に引っ越しを繰り返していたことに起因するのではないかと、個人的に分析しているのだが――この点は今回の話では特に重要ではないので割愛させていただく。


 重要なのは、私が何度もアメリカ旅行を経験していて、アメリカの人間や文化に物怖じしなくなっていたということである。


 だから、夜に某州の街をぶらついている際に、観光スポットとして有名でないような、つまり地元の人間が行くような飲食店を見つけた時にも、私はほとんど躊躇いを感じることなく入店することに決めたのだった。


 その店はいわゆるダイニングバーだった。酒がメインだが、本格的な食事も楽しめるという店だ。酒がそう強くない上に、日中あちこちに出歩いて空きっ腹だった当時の私にとっては、おあつらえ向きだったわけである。


 私はテーブルに着くと、地元産の鶏肉を使ったチキングリルとやはり地元産のフルーツを使ったオリジナルカクテルを注文した。その店のオススメということだったし、私の好みからもはずれていなかったからである。実際、私が飢渇感を覚えていたことを抜きにしてもうまかった。


 そうして食事を始めたことにより空腹が満たされ、また店の雰囲気にも慣れてきて、人心地がついた頃のことである。


 タイミングを見計らったかのように、は私に声を掛けてきたのだった。


「やあ」


 三十前後というところだろうか。体つきは長身で筋肉質。また、くっきりした目元に筋の通った鼻と顔立ちもよく、美男子と言って差し支えないだろう。


 だが、顔立ち以上に表情がよかった。自信に満ちているが嫌味さはなく、快活さに溢れているが鬱陶しくはない。


 彼に突然話しかけられたとしても、おそらくほとんどの人間が警戒心ではなく好印象を抱くことだろう。少なくとも、私はそうだった。


「あんた観光客か?」


「ええ」


「アジア人か?」


「ええ、私は――」


「待てよ。当てるから」


 彼は子供っぽくそう言った。私の予想よりも、実際の年は若いのかもしれない。


 しかし、彼の言動にはやはり経験から来たらしい深みがあった。


「地味な服だが、生地や縫製はしっかりしてる。洗濯もきちんとしてある。観光といっても、貧乏旅行ってわけじゃなさそうだ。

 かといって、金持ちかというとそうでもないだろう。見たかぎり、腕時計も靴も有名ブランドってわけじゃないみたいだからな。

 となると、あんたの正体は、アジア圏の裕福な国から来た中流層ってところだろう」


 まったくその通りだった。服装を見ただけでよく分かるものだ、まるで推理小説に出てくる探偵のようだ、と私は驚くばかりだった。


「ただアジアの先進国って言ってもいろいろあるよな。中国、インド、日本、韓国…… インドネシアもそうか?」


「……もしかして、私の反応を見てますか?」


「ああ、あんたなかなかポーカーフェイスだな」


 感心したように彼は頷く。「表情に乏しい」という皮肉ではないようだ。私は少なからず上機嫌になっていた。


 しかし、その一方で、彼もまた上機嫌になっていた。


「だが、今ので分かった」


「本当ですか?」


しゃべりを聞いて確信したよ。文法は正確なわりに発音の方はいまいちだ。俺の経験上、こういうタイプは日本人に多い。そうだろ?」


「ええ、正解です」


 またもや驚きを覚えながら私はそう答える。


 その直後、彼は立ち上がると、後ろを振り返った。


「今の聞いたよな?」


 奥のテーブルに対して言ったらしい。そこには彼と同年代くらいの、小太りの男がいた。


 彼に呼ばれると、小太りの男は悔しがるような感心するような表情を浮かべながら、私たちのところまでやってくる。


 そして、彼に金を渡したのだった。


 額は100ドル。当時の為替相場は、1ドル≒100円だったので、約1万円ということになる。


 飲み代にする気らしい。金を受け取ると、彼はすぐに店員を呼んだ。


「フライドチキンとビールを」


 私がいつまでもぼんやりとした顔をしていたからだろう。注文が済むと、彼は今のやりとりについて説明してくれた。


「賭けをしてたんだ。『あんたが何人なにじんなのか見抜けるか』ってな」


「ああ、そういうことでしたか」


 やっと納得がいった。だから、小太りの男は彼に100ドルを支払ったのだ。だから、私が出身地を答えそうになった時、彼は慌てて制止したのだ。


 彼はさらに、「俺たちはこんな風によく賭けてるんだ」「あいつはああ見えて小金持ちだからな。いつも稼がせてもらってるよ」などと続けた。


 そうして、話が「『アメフトの試合でどちらのチームが勝つか』という賭けで大勝したこともある」という話題に差し掛かった頃、テーブルに彼の頼んだ料理が運ばれてきた。


 すると、彼はチキンの皿を私の方に差し出してくるのだった。


「迷惑料に一つやるよ」


「はぁ……」


 賭けが終わったのに、彼がテーブルに残っていたのはこのためだったらしい。


 せっかくの好意を無下にしては彼に悪いだろう。それにフライドチキンも店のオススメということで気になっていた。だから、私はありがたく頂戴ちょうだいすることにした。


「あ、美味しいですね、これ」


「だろ? この店に来たら、こいつを食わなきゃ嘘だぜ」


 贔屓の味を褒められたのが嬉しかったらしい。彼はさらに皿を私の方へと寄せてきた。


「もっと食えよ」


「では、いただきます」


 美味しいと褒めたのは決してお世辞ではなかった。鶏肉が上質なのはグリルを食べて分かっていたが、それを辛味の効いたスパイスやクリスピーな衣が包み込んでいて、フライドチキンにはまた別の良さがあったのだ。だから、今度もありがたく頂戴する。


 そんな私の様子を見て、彼は満足げにビールに口をつけていた。


「あんたはギャンブルは?」


「やりませんね」


 私は首を振った。これは嘘ではない。私はこれまで賭け事にはほとんど縁のない人生を送ってきていた。


 そもそも外見からして、私は地方の市役所職員といった風な見た目――というか事実そうなのだが――をしている。ギャンブルを好むようにはまったく見えないだろう。それどころか、旅行が趣味だと言うだけで意外がられることすらあったくらいである。


 にもかかわらず、彼は驚いたような訝しんだような風に眉根を寄せるのだった。


「日本人は競馬が好きなんだろ?」


「何度か友人についていったくらいですね」


「パチンコとかいうのは?」


「うるさいのは苦手なので」


 麻雀もルールは知っているが、雀荘に行ったことはなかった。もっぱら友人たちと遊ぶくらいで、それも何も賭けないのが通例だった。


「それじゃあ、全然やらないのか?」


「旅先でなら多少は経験ありますよ。ラスベガスでルーレットをやったり、マカオで大小をやったり。それもつまむくらいでしたけどね」


 旅の思い出作りとして遊んだだけである。一攫千金を夢見たわけでは決してない。そのため、賭け金ベットはごく少額で済ませていた。


 しかし、彼はこの話に飛びついてきた。


「そうか。旅先ではやるのか」


 嬉しそうに何度も頷くと、改めてビールを一口飲む。


 それから、彼はこう提案してきた。


「じゃあ、俺と賭けをしないか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る