【6】魔法少女の誓いごと




 視界が歪む。喧騒が消える。空気が冷たくなる。独特な魔力の波長を全身に感じた一瞬後、美咲は月空の下に立っていた。


「……な――!?」


 咄嗟に変身し、魔法を行使して状況確認に努める。


 定食屋に居たはずの自分は、小冬に腕を掴まれたと思ったら屋外に居た。目の前には小冬。自分が立っているのは草むら……否、街路樹の中。住宅地である。そして、周囲の建物には見覚えがあった。


(茜沢中学校のすぐ前の道……!! 幻覚みたいな魔法の感じはしない……テレポート……!?)


 小冬は既に美咲の手を放しており、大きなパーカーを着直していた。そして右の袖口から覗くのは、刃渡り三十センチほどのダガーナイフ。


「いーやぁ、思ったより簡単に分断させてくれたこと。ちょっと警戒心が足りないんじゃないの?」


「……ええ、そうみたいですね」


「おお珍しい。『ひきょーものー!』とか言わないんだ?」


「……理解出来ますから。私も」


「ふーん。そう」


 美咲はコートからナイフを抜き放つと、腰を落として構えつつ思考を巡らせる。少なくとも余裕を持って戦える相手ではないだろうことは確か。軽く抜き放ったように見えるナイフも、鉛の塊かのような重量に感じていた。


(どうする……。立ち向かうか、逃げるか……)


 立ち向かうのであれば相応に厳しい戦いになるだろう。定食屋での行動も鑑みると、パーカーに武器が隠されている可能性も高い。


 ならば逃げる択。その場合は逃げ切るか、もしくは若葉がここへ辿り着くことを信じて時間を稼ぐ。


(とはいえあの人にはテレポートがある……! 条件があるかは分からないけど、逃げるにしても隙を作らないと――)


 結局のところ、取れる選択肢は立ち向かう一択だった。そして更に思考を巡らせた後、美咲は一つの疑問を投げかける。


「……魔法少女は表立った行動をしていない。貴女達『宝石の盾』のような大きい組織であれば、こんな場所で戦うのは不味いんじゃないですか?」


「あー、そこは気にしないでいいよ。あんたなんかじゃ知り得ない事柄ってのがあるからさ……。数人くらいなら巻き込んだって、ちょっと建物荒らし回ったって関係ないんだわ」


「それはどういう――」


「はーい、おしゃべりは終わりね。時間稼ぎに付き合う気なんてさらさら無いからさ。……ま、仮にいくら稼いだところで無駄かもだけど」


 小冬は会話を断ち切り、悠然と間合いを詰める。思惑を見破られた美咲は、覚悟を決めてナイフを持つ右手を向けて構えた。得物のリーチでは圧倒的に負けているうえ、どのような戦法を取るかが分からない。ならばと、こちらから先手を取るために。


(攻撃のタイミングを計れ……魔法を惜しむ余裕はない……!)


 美咲がダガーの間合いに入る寸前。一歩を踏み出そうと小冬が足を上げたまさにその瞬間、美咲は間合いを詰め――


「――うあっ!?」


――ようとした時、不意に光に目が眩む。小冬はダガーで街灯の光を反射し、美咲の左目を照らしたのだ。


「安直すぎだって、それ」


 美咲は再警戒すべきダガーへの対応を優先し、万全でない状態での対処を避けた。至近距離まで踏み込むことが出来なかった。それはつまり狙っていたアドバンテージが消え去り、小冬の優位な間合いに持ち込まれたことを意味する。


 そして、ダガーが美咲の左腕をなぞるような軌道で振り上げられた。


「――おっ、やるじゃん!」


 感嘆の声を上げたのは小冬。美咲は魔法による反射速度をフルに活かし、どうにか斬撃を避けた。


(腕を狙ってきたってことは、戦力を削ぐことを優先してきてる。正直、急所を狙われるより厳しい……!)


 美咲は現状では不利と判断し、左手にもナイフを持つべくバックステップで距離を取る。コートの内に左右二本ずつ仕舞われているため、引き抜くのに一瞬の時間を要するのだ。それを稼ぐためのバックステップであるが、しかし小冬はそれを許すまいと踏み込む。


(……大丈夫、踏み込みは浅い!)


 小冬は攻撃を空振った直後。対して美咲は最初から回避に徹していた。それらが二人の状態と体勢を、次の動作がスムーズに行えるか否かを分けた。結果、小冬の踏み込みは若干足りず、左腕でのフックは空を切った――はずだった。


(……来たっ!!)


 美咲が左手をコートの内に突っ込んだと同時に、小冬の振るわれた左袖から黒い棒――特殊警棒が現れた。それはフックの勢いで飛び出し、不足したリーチを埋めて美咲に迫る。


「やっぱり武器を隠して――くうっ!」


 美咲は右手のナイフでそれを受ける。が、重い。小さなポケットナイフでは衝撃を受け止めるのに不向きなこともあり、ナイフごとガードが弾かれた。


「ほー。流石に良い反応してるけど、筋力が足りないんじゃない?」


 同じ轍は踏まないと、美咲は次いでのダガーによる斬撃を正面から受けず、刃と刃を滑らせながら受け流した。


 そして次。二度目の警棒による打撃。先ほどナイフが弾き飛ばされた失敗を「むしろ警棒を掴み取るという選択肢が増えた」との認識にスイッチし、本番とも言えるこの重要な打撃の処理について導き出した。その瞬間だった。


 小冬の持つ――否、正確には警棒は、美咲が備えていたいくつかの予測と全く異なった動きを見せた。


 重要な一打を放つためのそれは容易く手放され、地面へと落下する。瞬間、美咲の左側頭部に衝撃が弾けた。


(……あ、れ……っ?)


 美咲の傾く視界はそれの正体を捉えた。視界の外から、意識の外から叩きつけられたスニーカーを。小冬の右脚によるハイキックを。


「――あうっ!!」


 どうにか咄嗟に両手をつき、頭を地面にぶつけるのを回避する。幸いにも威力が乗り切った蹴りではなかったため一撃で気絶することもなく、ダメージはあるものの姿勢を崩すだけで済んだ。


 しかし、「幸い」なのはあくまでもハイキックに対してだけである。


「結構身体に傷痕がある割にさ――打たれ弱いんだねぇ!」


 小冬は歪んだ笑みと共に追撃を繰り出す。ハイキックの勢いそのままに回転し、威力を増した蹴り。いつか美咲も小夏に対して行ったものと同じ、サッカーボールキック。


「――い、づぅっ!!」


 美咲は腹部を狙ったそれをどうにか両手で受け止めた。が、代償として左手のナイフが踏みつけられ、靴と地面とで固定される。


(一連の動きが繋がってる……! 意表を突くだけじゃなく、私の戦力を確実に削げるように組み立てられてる……っ!!)


 美咲は戦慄しながらも、手遅れにならないうちにナイフを手放すことで拘束から逃れる。そのまま横に転がることで今度こそ距離を――


「はーい逃げちゃダメ。喧嘩はこれから面白くなるんじゃないの」


――取ろうとしたその先に、小冬の投げたダガーが突き刺さる。投げるモーションを見た直後からブレーキをかけたことで身体が貫かれることは避けたものの、離脱は許されなかった。


(……退路は塞がれて、その上地面に転ばされてる……。そのせいでコートがぐしゃぐしゃでナイフを抜くにも時間がない……! だけど、まだ……!!)


 小冬は先ほど落とした警棒を拾い上げるために屈む。即座に素手での追撃をせず、警棒を持つことで取れる選択肢を増やす腹づもりなのだろう。


(……ならまだ、活路はある……っ!)


 警棒を拾い上げる一瞬。その猶予では広がったコートを手繰ってナイフを抜くには足りないが、しかし別の――すぐ脇に突き立てられたダガーナイフを抜くには事足りる。

 美咲は上体を起こし、逆手でダガーの柄へと手を伸ばした。その瞬間。


「……なっ――」


 一挙手一投足をも見逃すまいと魔法を行使していた美咲の視界から小冬が消える。高速移動などではない。その要因は無論――


(――テレポート……っ!!!)


 美咲の理解を裏付けるように、ダガーへと伸ばしていた左手首をがっしりと掴まれる。無論、掴んだのは小冬。


「だからさ、何度言わせるつもりなんだって。安直過ぎんのよ。警棒を拾うなんて誘いに決まってんじゃん? ……ま、その辺は情報量の差から仕方ないことでもあるんだけどさ」


 なんらかの対処をする暇すら無く、仰向けになった美咲に小冬がのしかかる。美咲の下腹部あたりに腰掛けるような形の、即ちマウントポジションである。


「これ、分かるでしょ? マウント。今からボッコボコのグッチャグチャにするから……覚悟してね」


「っぐ――!!」


 総毛立つのを感じながら、恐怖を圧して顔面をガードすると、そこに拳が叩き付けられた。両腕まで押さえ込まれていないのがせめてもの救いであった。


(とはいえ……どうにかしないと……っ!!)


 小冬はガードの上からでも構わずひたすら殴り付ける。しかしそれは雑な連打ではなく、カウンターを受けづらいよう、腰を伸ばしたままのといえるような打撃。


 それ故に骨を砕くような一撃は無いものの、ゆっくりと確実にダメージが蓄積されていくうえ、体幹が崩れないためマウントを返すのが難しいものだった。


(どうにか脱出しなきゃ……何か……!!)


 美咲は魔法を行使して思考の海に沈む。


 コートの内からナイフを取り出すとしても、小冬の両足によって裾は押さえつけられている。瞬時にナイフを抜けないどころか初動を潰され、腕までもを押さえつけられてしまう恐れがあった。故に脱出案としてナイフの使用は却下。


(それなら――指――!)


 敢えてパンチを受けることにはなるが、その瞬間に手を捕まえて指を噛み千切る。痛みで怯んで重心がズレたり、あるいは腰を浮かせたところでマウントを返す。


 仮に噛み千切れずとも、指を引き抜くためには前傾して力を込めることになり、そうなれば顔に手が届く。後傾であったならば、イコールそれはマウントポジションの解除。


(顔に手が届けば耳も掴める。ペースを取り返せる……! 集中しろ……!!)


 散々に読み負け、小冬のペースにハマり続けたこの戦い。美咲はやっと蜘蛛の巣から逃げ出す糸口を掴んだと思った。


 そうして不自然さを消しつつガードを開けようとした――その瞬間、何度目かも知れない戦慄にまたしても襲われた。


(――っ! 手が握られてない……!!)


 遅くなった世界で、美咲の目はそれを捉える。狙っていた右の拳は握り込まれておらず、しかも軌道は直線ではなくやや曲線を描いていた。ガードの外から回り込むように。これが意味するところは――


(――耳を掴みに来る!? あるいはそのまま手を滑らせて目潰し……!? とにかく受けられない……っ!!)


 美咲の行動は修正された。否、修正させられた。敢えてガードを開くのは論外となり、かといってガードし続けると耳を掴まれることになる。必然的に、内から外へのパリィングを強要される形になった。そして。


「……はい、開いた」


 小冬はカウンター対策の為だけに腰を伸ばしていたのではない。言うなれば拳より更に重い攻撃を常に構えたままにするため。


 腹筋と背筋をフルに伸縮させて放たれたのは、マウントにおける両拳に次ぐ部位――重く硬い額での一撃。


「――っが、ぷ……ひゅ……っ」


 口から漏れる奇妙な音は、溢れ出る鼻血が鼻腔と口腔いっぱいに溜まることで空気の出入りを邪魔しているためのものだった。


「……はは……! アッハハハハハ!! 良い顔するじゃんか!! これだよ……! 金のためでもあるけどさ……これが見たくて戦ってんのよ、私は!!!」


 涙と屈辱、そして溺れそうな恐怖の中でもがく美咲を覗き込んだのは、深い海のように暗く濁った瞳。真っ黒に輝く、闇のような光を携えた瞳であった。


(――殺される――っ……)


 それから小冬は頬を殴り続ける。美咲はガードを上げるものの、その隙間に拳は滑り込んで来ていた。


 魔法でタイミングを測っての反撃は行えなかった。脳が焼け付くような感覚が、限界を告げていたから。そしてここまでの戦いが、きっと反撃の先にも罠があることを告げていたから。


 しかし、それでも。


「――ない――」


「あ?」


 ザクロのように切れた口内から血を流しつつ、美咲は言葉を紡ぐ。


「――負け、ない……っ……! 若葉さんが……そのために、私は……負けられない――っ!」


 歪む視界と思考。何か出来ることを、僅かでも打てる手立てが無いかを探しながら。若葉という希望に縋りつきながら、必死に――




「――つまんねー根性論かよ。そういうの、マジでウケる」




 小冬の冷え切った瞳は、美咲からすぐ傍らに突き立ったままのダガーへと滑る。そしてマウントを解いて立ち上がると、逆手に持ったそれを――既に反撃できる状態ではない美咲の腹部へ、躊躇なく突き立てた。




「――熱っ――う、痛……ぁ……?」




 美咲は腹に熱した鉛を注ぎ込まれたかのような、違和感と嫌悪感の塊に襲われる。


(あれ……? お腹に……何――)


 自らの身に起こった事態の理解を拒むが、しかし……それはやがて、人間が生来持つ反射という形で訪れた。



「――ひっ――い、あああああああああッ!!? いだ、いだいいだいいだいッ!!!」



 貫かれた腹部から血と共に押し出されるように、住宅街に絶叫が響き渡った。


「あーうるせーの。隠蔽に金かかったぞーって、後でカラフルさんに怒られちゃうよ。ほら、黙れ〜」


 小冬は心底鬱陶しそうに美咲の胸を踏みつける。その衝撃で、地面まで刺し貫かれた皮膚、肉、内臓――全てが発する悲鳴が脳に轟き、身体の中をグチャグチャに掻きまぜた。


「あ、づうううう――ッ!! う、ご――ぉっ――げほ、げほっ!!! おえ――ぇぇぇ――!!」


「アッハハハ!! そうやって吐くほど喜んでくれるとは嬉しいじゃん! でもさ、美咲ちゃんはそういうことを今までやってきたわけよ」


 血反吐をまき散らして激痛に悶える美咲に声は届かない。それを見て取った小冬は、嘲笑しながら屈んだ。


「……ほれ、今度こそ黙っとき」


 そして、取り出した小さなハンドスプレーを美咲に吹きかける。するとたちまち、嘘のように痛みが薄れていった。……意識を道連れにして。


「――……ごほ、ぉっ……は、あ……っ……!? これ、は……聖奈さん……の……魔……――」


「そ、『幸福の譲与エンハンスド・ラック』。本来は痛みとか疲労を消して意識を覚醒させるものだけどさ、バチクソ痛いところにごく少量を与えると……ほら」


 言い終えるより早く。実に呆気なく、美咲の意識は闇に沈む。


「……こうやって気絶するわけだ。ま、媒体が睡眠剤ってのもあるけどね」


 その顔を満足気に眺めつつ、小冬はスマホを取り出した。未だ人気のないままの月夜に報告だけが響く。


――美咲は踏み潰された小花のように転がっていた。約束を守れなかったと……後悔すらも出来ずに。






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「おつかれさんでーす! ミラージュですけどー」


「ああ。首尾は?」


 『宝石の庭』の一室、「かなた」の部屋でカラフルは通話に出た。


「もちろん、にちゃーんと生け捕り。感謝してよ? ホントは殺してやりたかったんだから」


「ああそうだな、感謝するよ。……流石だな」


 カラフルは腕を組み、壁に寄りかかりながら固い表情で応える。意識はスマホの先、小冬の声に割かれながらも、視線はベッドに居る二人――金色の少女カラフルと、サイドテールの少女 周見蓮に向けられていた。


「で、どうだ? 使えそうか?」


「手駒としては充分じゃない? 割と手の内を晒さなきゃだったし。ま、とはいえ私の圧勝だったけど!」


「そうか。では既に確保した『クローバー』はこちらで管理するが、鏡座美咲は――」


「しっかり『コネクション』を繋いどいた方が良いと思うわ。何をしでかすか分からないタイプだし……」


「――いや、手綱はクリプト持たせろ。コネクトの負担になる」


「ほーん。つまりあの不確実な『首輪』を着けただけで、小夏の近くに置くことになるってわけね。……相変わらず素晴らしい采配だこと」


「……それと、もう一つ。回収時には――」


「はいはい邪魔やら何やら入らないように、クリプトが来るまでしっかり見張ってれば良いんでしょ。分かってるっつの!」


 カラフルは切れた通話画面に溜め息を吐くと、ジャケットの内にスマホを仕舞う。


「終わったのかい?」


 ベッドで様子を見ていた蓮が問いかける。その態度に、僅か一時間前――この場に来たときのような遠慮や萎縮は無い。脚を組み、膝を台として頬杖をつきながら尊大な笑みを浮かべていた。


「うん、。騒がしくてごめん。『コネクション』の副作用で頭痛が酷いだろうに」


「何、構わないさ。しかし……流石はミラージュだな。奴を一蹴とは」


 蓮は呆れ混じりに感慨する。その素振りは普段の所作からは到底及びつかない、芝居がかったものであった。


 しかし、それもそのはずである。彼女は声や顔はそのまま周見まわりみ れんであっても、中身は『コネクション』によって月峰つきみね 綾乃あやのが上書きされているのだ。


 ここに居るのは、自身を心から想っていた少女を贄として蘇った――『ルミナス』という魔法少女なのだ。


 そんな魔法の使い手であるコネクトは、自らの所業になんの疑問を持つ様子も見せず、ただ雑談を続ける。


「でも、本当に良かったのかしら? 負けず嫌いさんのことだし、自分の手で復讐したがると思っていたのだけれど」


「確かに可能であればそうしたかったが、我儘ばかり言ってもいられないだろう。ただでさえ蓮のとして自由時間も貰っていたわけだし、何より私の魔法はフルで扱うには手間がかかる。……損得を天秤にかけた結論さ」


 自虐めいた高笑いをするさまを、どこか蚊帳の外といった空気でカラフルは眺める。と、ルミナスはその視線に気付く。


「……紡希つむぎ。どうした、何か気になることでも? いやに静かじゃないか」


「うん。その……周見 蓮のことで、ちょっと」


「蓮? この子がどうかしたのかい? 別に身体の調子は良好だし、おかしいところは無いが」


 ルミナスは自らを指差す。そこに視線を向けるカラフルの表情は、やはり固い。


「いや……そこだよ。こんなにすぐ馴染んだってことは、周見蓮はそれだけ強く綾ちゃんを想って――いや、愛してたんだよ。想いは繋がりを深める。……そこまでの子を後継者にしちゃって本当に良かったの?」


 問われ、ルミナスは思い返す。少なからず存在した蓮との記憶を。確かに彼女の笑顔を。それらをなぞったうえで、答えた。


「まぁ、そうだな。確かに友人ではあったが……必要な犠牲だったのさ」


「……そっか。綾ちゃんがそう言うなら」


 カラフルは乾いた笑顔を浮かべた。そしてコネクトに近づき、その手に触れる。細く、白く、脆く、ただ力なく在るだけの手に。


「――あら、紡希? ……ごめんなさい。少しぼーっとしてたわ」


「うん。そろそろグラタンが焼き上がる頃だから。皆で食べよう」


「グラタン……ああ、懐かしいな。頭痛も引いてきたことだし、私も行こう」


 カラフルはコネクトを抱き抱えながら。そしてまだ少しよろめくルミナスに肩を貸しながら、階段を下りる。その先、憩いの場であるリビングには既に聖奈が座っていた。


「あら、用意がよろしいこと。お腹が空いていらしたのなら、遠慮なさらずおっしゃってくだされば良かったのに」


 椅子に座らされたコネクトは、カラフルの視界を介して聖奈を見る。今朝方と比べて明らかに平静さを欠いており、普段用意されている個室ではなくこの場に居る理由も容易に想像がつく。


「冗談も、前置きも結構よ」


「それは残念ですわ。ですけれど、お望みとあれば本題からお話いたしましょう。一之瀬若葉さん……それに、鏡座美咲さんのことについて」


 カラフルによって机に四皿のグラタンが並ぶ。クリームとチーズの甘く香ばしい匂いがふわりと立ち込めるが、聖奈は一瞥もくれない。どころか当然のように増えているルミナスにすら反応を示さず、ただ対面の少女の覆われた双眸を注視していた。


「お二人とも、わたくしたちが身柄を確保しております。特に一之瀬若葉さんは大変な抵抗をなさったようでして。被害は、ええと……カラフル。何人だったかしら?」


「二十五人だ」


「そう! 二十五人もの同志が返り討ちに合いながらも、ようやく捕らえたのです。……わたくしたちに齎された被害は甚大ですわ。他の者にどう示しをつければ良いのでしょう……くすん」


 コネクトは表情だけで稚拙な泣き真似をしていた。意図は明確。二人の安全を保証する取引として、聖奈に相応の対応をしろと言っているのだ。


「……二人は本当に無事なのよね?」


「勿論ですわ。なんなら、たった今ビデオ通話で確認いただいてもよろしくてよ」


 泣き真似を止めたコネクトは笑顔になっていた。きっと手が動くのであればパチンと打ち鳴らしていたことだろう。ボロ布に隠れた魅惑的な笑顔、威圧的に反り返った雰囲気、そして尊大に脚を組み向けられる視線。その全てが聖奈を突き刺し、続く言葉を制限していた。


「――……分かった。従うから……なんでもするから、二人の命だけは……お願い……」


「ええ、勿論。約束致しますわ」


 聖奈の目からは涙が溢れる。この場で、この世界で起きている事の全容を把握できているわけではない。しかし、悪い方向に進んでいることだけは理解出来ていたから。自分がその重要なパーツであること、そして何かの引き金を引いたことだけは理解出来ていたから。


「しかし、なんだ。どうしてそこまでするのかを聞いても良いかな? ねぇ、天羽聖奈」


 場に満ちる空気もどこ吹く風と、冷蔵庫からピッチャーを取り出しながらルミナスが問いかける。


「こらルミナス。弁えなさい」


「悪いね、でも気になるのさ。君にとって一之瀬若葉はスパイであり、鏡座美咲はただ数ヶ月間面倒を見ただけの存在だろう? 特に後者は狂人だ。……一体どんな義理がある?」


 聖奈は涙を拭う。力のない自分が言えたことではないと自覚しながら、しかし蛮勇を携えて答えた。


「二人とも大切な友達だもの。それに……美咲ちゃんのことは『ハーモニー』と約束したから」


「……ハーモニー」


 ルミナスはその名を呟く。かつて自分が殺めた、銀色の魔法少女。鏡座美咲の姉、鏡座かがみざ 優香ゆうか。自らの死の発端。


「それは――」


「ルミナス。何度も言わせないで」


 先ほどの形だけの叱責と違う、強い語勢であった。圧されてルミナスは口を閉ざす。そしてコネクトは続けざま、一転して涼やかな声を全員に投げかける。


「さあ、お喋りが長くなってしまいましたわね。せっかくカラフルが作ってくれたご飯だもの、冷めてしまう前にいただきましょう」


 反論も遮る言葉もない。聖奈でさえも大人しく、三人に従って手を合わせる。そして部屋の中に、偽りの温かな言葉が響いた。






〜〜〜〜〜


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 目を開くと、白けた世界がだんだんと色づいていく。頭痛によって意識は朦朧としていたが、全身に走った激痛によって、急速に現実へと引き戻された。


「――うぐっ!? な、コイツは――!!」


 若葉は状況を見とめる。四方はコンクリートに囲まれ、正面のドア以外には窓すら無い空間。両手はそれぞれ天井から伸びた鎖に手錠で繋がれ、両足もまた地面に対して同じく。大の字に拘束されていた。


 この現状において、まず頭に浮かんだのは己の保身では無かった。自分がこんな状態だということはつまり――


(――美咲!!)


 彼女が危ない。


 美咲が小冬と共に飛んだ後、若葉はひたすらに小夏の元を目指した。妹である彼女ならば何かしら居所の手掛かりが掴めるのではと。とにかく全力で、なりふり構わず駆けた。


 しかし、どうやらそれは想定されていたらしい。行く先には多数の魔法少女が立ち塞がり、強引に突破を試みたが……結果はこの有り様であった。


(何が一緒に居てやるだ……守ってやるだよ……!! 何も出来てねぇじゃねーか……!!!)


 若葉は怒りを糧に、条件反射的に鎖を引き千切ろうとした。が、しかし。


「――うぐううッ!?」


 変身した若葉の膂力であれば雑作もないことであるはずだが、鎖はビクともしなかった。腕が動かない。


 それどころか、力を込めようと試みただけで激痛が走る。両腕ともに折れていたのだ。そしてまたしても同じく、両脚も。


「が、ぐ……クソ……ッ!」


 諦めずに身を捩って脱出を試みるが、叶わない。そうしているうち、壁の向こうからバラバラと足音が聞こえ、ドアが開かれる。


「おっ! 目ぇ醒ましてるじゃねーっすか!」


 まず入って来たのは焦茶色のウエスタンハットを被った少女。谷間を強調するチューブトップに極短のホットパンツとブーツという様相で、腰と脇腹に巻かれたホルスターには計四丁ものリボルバーが挿さっていた。


 それに続いて、足音の主たち――十名超もの魔法少女が若葉を取り囲んだ。


「うっす、クローバーパイセン。チョーシはどうっすか? ……つっても良いワケねーっすよね」


「テメェ、『ファニング』……!」


 ファニングと呼ばれた少女は、怒りで紅潮した若葉をウエスタンハットの下から嘲笑う。その顔で若葉は思い出した。かつて『宝石の盾』で格闘術の教官をしていた頃、かなりシゴいた相手であることを。


 そして、骨折に隠れて激痛を発している左脚……そこに不意打ちで風穴を開けた本人であり、拘束されるに至った大きな要因の一つであったことも。


「おい、さっさと放しやがれ!! こんなとこでヒマ潰してる場合じゃねぇんだよ!! アタシは早いとこ行かねぇと――」


「あのっすねパイセン、情報ふりーっす。鏡座美咲ならパイセンがブッ倒れてるうちに捕まったらしいっすよ」


「――は?」


 若葉は耳を疑った。否、その可能性があることは理解していたものの、受け容れたく無い言葉だった。


「なにやらミラージュさんが出張ったとか。そんならトーゼンっすね」


「……ぐ……うう……ッ!!!」


 胸に大きな穴が穿たれたかのような感覚。熱が抜けていく喪失感。それらに奥歯が砕けそうなほどの怒りと、無力を悟っていた。


「あ、ファニングさん! こいつ『自分は無力だ』みたいなこと考えてますよ!」


「ふーん……? 無力、ね……」


 群衆の中から声が上がる。一人の魔法少女が思考を読んだのだ。そして、それを聞いたファニングが若葉の前に歩み出る。


「パイセン。ウチを初めとしたこのメンツ……なんか分かんねーっすか?」


「は……? 何、だよ……?」


「そーっすよね。さっきもパイセン必死だったし。これまでだって、ウチらみてーなのはただの雑魚としか思ってねーっすもんね」


 一向に思い当たる節のない――正確にはその余裕も気力もない若葉に対し、残りの魔法少女たちも詰め寄っていく。


「……さっきの大立ち回りでブッ飛ばされたけど病院送りにならなかったヤツ。そして昔、パイセンに死ぬ寸前までシゴかれたヤツ。ウチらはそんな……パイセンより無力なヤツの集まりっすよ」


 取り囲む数多の瞳が輝きを増し、若葉を睨みつけていた。疑いようのない怒りを込めて。


「パイセンは殺さねー……っつか殺せねーっす。カラフルさんが言うには、また『欠片』として働かせるつもりみてーっすから。もっとも、以前みたいな幹部じゃなく……犬としてっすけど」


 その言葉だけで、美咲を人質に操ろうという魂胆は容易に見抜けてしまった。そして、自分がそれに逆らえないことも。


 そして更に、この後に起こること。自らに訪れるシチュエーションも理解し、その鋭く吊った眼が絶望に歪んだ。


「――おうテメェら、間違っても殺さねーようにな。ウチらがパイセンに受けた……キッチリ返したれや!!!」


 ファニングの言葉。それを引き金に、怒号が部屋を埋め尽くし――


――美咲と交わした約束。そして掲げた目標は、絵空事となって消えた。




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