季節外れの死体

口一 二三四

季節外れの死体

 スクランブル交差点を歩く背広姿。

 どこを見ても同じ色が並ぶ景色はさながら葬式会場のようで、この国はもう死んでいるとすら思えた。


 冷たいビル風が頭を冷やす。

 日差しは未だ暑いままで、風と太陽に目をつけられた旅人の気分。

 頬を撫でる髪が美容院の予約を急かす。

 手櫛をすれば指先の爪が頭を傷つける。

 中身は成長しないのに、煩わしいモノばかりが伸びていく。

 時間と手間が惜しかった。

 そんなモノにかまけている暇があるのかと自問した。

 無駄と思えることにこそ意味があると口を揃えて人は言う。

 そう言い聞かせないと身動き取れないから言っているだけに聞こえた。

 信号が青になる。横断歩道の白黒を人が跨ぐ。

 歩幅も歩調もそれぞれなのに、誰も彼もが同じに見えた。

 不意に亡霊が現れる。

 それが白いコートを着た女性だと気づかなかったのはあまりにも生気が無かったから。


「ヤッホー、ノミちゃん」


 待ち合わせしてる人と待ち合わせ場所以外で先に出会うのは、なんだか。

 言葉にできない居心地の悪さがあった。





 ヒラギさんは私のことを『ノミちゃん』と呼ぶ。

 能見だからノミ。単純でわかりやすいけど、女の子にノミってどうなんですかと言ったら笑われたのをよく覚えている。

 それがなんだか癪に触って、柊から一文字取って呼ぶようになったのがヒラギさんとした初めての会話だった。


 ーーなんだか同い年の友達みたいだね


 ノミちゃんとヒラギさん。

 大層気に入ったらしく、以来その呼び方が定着している。

 彼女の素性を私は知らない。

 色々な話をしてくれるヒラギさんだけどそのどれもに職業と結び付く話題は無かった。

 ただファンデーションでも隠しきれていない目の下のクマといつも飲んでるコーヒーかエナドリを見る限り、ブラック企業にでも勤めてる気がした。

 街路樹が等間隔に並ぶ道を行く。

 歩いても歩いても大した変化の無い風景は今自分がどこにいるのかを曖昧にした。


「最近何か面白いことあった?」


 私達の世間話は毎回ヒラギさんからの一言で始まる。

 出会いから一年程。回数で言えば百を超える共に過ごす時間。

 新鮮味はとうの前から消えているけど、不思議と飽きることはなかった。


「ないですね」


 飽きることはないけど同じことを聞かれて答えが出ない程度に話題は尽きていた。

 平々凡々な生活を送る学生の引き出しなんて浅いもので、一回二回ならともかく百を超えてくるとネタ切れになる。

 充実した生活と刺激ある日々は別物。満ち足りているの中身が面白おかしいとは限らない。

 穏やかとは波風の立たない海の音と似ている。楽しい嬉しいはその場にいなければ感じ得ない潮騒。

 当事者では無い人に話しても白けるだけであった。


「ヒラギさんこそ最近何か面白いことありましたか?」


 バイトをしていたファミレスの裏で吐いていたのを介抱したのがキッカケでできたこの関係も、別のところで話すには弱い気がした。


「面白いことってほどじゃないけど、死体見つけたよ」


「へぇ、死体ですか」


 …………。


「……はぁ?」


 今なんて言ったこの人。


「だから死体見つけたって」


「エナドリ飲み過ぎて頭に翼生えました?」


「あっ、その言い回し好き今度使お」


「からかわないで下さい」


 私の反応が面白いのか。クマの浮かんだ目元を歪ませニタニタとするヒラギさん。

 口元は釣り上がって笑っているのに瞳の輝きが濁って見えたのはハードワークのしすぎか、それとも。


「なんなら見に行く? ここから近いよ?」


 言い知れない嫌悪感と好奇心が胸の中で混ざり合う。

 本当であれば不謹慎極まりない話だ。

 嘘であれば下の下以下の冗談だ。


「っ……」


 それでも咄嗟に同意も拒絶も出てこないのは私自身が心のどこかでこの話に興味を抱いてしまっているから。


「どうするぅ?」


 見透かすような声色に今まで感じたことの無い湿っぽさを感じた。


「…………」


 何も言えなかった。

 人間の平均寿命半分もいってない身では何と言うのが正解かわからず。


「…………ヒラギさんに任せます」


 成り行きに身を委ねるしかできなかった。






「ノミちゃんは『スタンド・バイ・ミー』って映画見たことある?」


「ドラえもんですか?」


「あっ、もういい見たことないのわかった」


 落胆も呆れも無い言葉が先行するヒラギさんから届く。

 確認したかったことを確認したかった程度の思い入れしかない口調は事務的で素っ気なく聞こえた。


「そのドラえもんじゃない方のスタンド・バイ・ミーがなんなんですか?」


 話にも歩みにも遅れたくなくて距離を詰める。

 後ろから見るヒラギさんの背中は猫もビックリの猫背でちょっと心配になった。


「別に大したことじゃないんだけどさ」


 自販機の明かりに照らされたその姿があまりにも不気味で、生きていると知っていても死んでいるように見えた。


「内容が死体を探しに行くってので今の私らと似てるなと思って」


 カバンから財布を取り出し硬貨を滑らす。


「コーヒーはブラック? 微糖?」


「なんでコーヒー縛りなんですか。お茶か紅茶でお願いします」


「奢ってもらう身分で贅沢だね」


「じゃあ自分で買います」


「茶化しただけじゃん。怒んないでよ」


「怒ってません」


 季節が季節なら人工的な光に羽虫が飛んでいるそこには私とヒラギさんしかいない。

 宿主不明の蜘蛛の巣が虚しく揺れていた。


「はい、お茶」


 渡されたペットボトルを受け取る。

 片手に納まるサイズであるそれのフタを開けて一口。

 温かさが口の中で広がり、胃に落ちる頃には冷たくなっていた。


「探しに行くっていうか、見に行くですよね」


「何が?」


「死体。そのスタンド・バイ・ミーって映画の内容とはちょっと違うかなって」


「あぁ、それか。……えっ、どっちも似たようなものじゃんノミちゃん結構細かいね」


 自販機を過ぎて、また歩き出す。

 探しに行くと見に行くの違い。

 目的とするモノを把握しているかしていないかの違い。

 することは変わらないのだから広い意味ではどちらも同じ。

 完全一致ではなくなんか似ていると言っただけのことにつっかかる。

 難癖もいいことろだ。

 それだけ落ち着かず緊張しているのに自分で気がついてしまった。


「別に間近で見るわけじゃないからそんな肩肘張らなくて大丈夫だよ」


 励ましになっていない励ましを聞いてはいそうですかと言える達観も精神も持ち合わせているわけもなく、何が大丈夫なんだと言いそうになる口をペットボトルのお茶で塞いだ。

 緑茶とは違う苦味が口の中で広がる錯覚。

 死体の話を聞いてから湧いた違和感と嫌悪の正体を、私は未だ掴めずにいる。






 案内されたのは緑地公園だった。

 昼間であれば親子連れで賑わう穏やかさも、夜に差し掛かる夕暮れ時では殺風景に変わり。

 ポツポツと明かりを落とす街頭が物悲しく佇んでいた。

 ここを見て自然豊かだと人は言うけど、人工的に作られた空間に自然も何も無いのではないかと首を傾げてしまう。


「座りなよ」


 備え付けられたベンチに座るヒラギさんは自分の家にでも招いたみたいな所作で私を隣に誘う。

 周りの風景からはみ出たビル風の残り香が静かに毛先を揺らす。

 促された席に腰を下ろせばヒヤリと硬い感触がお尻から背筋に広がり身震いがした。

 さっきまで手にあった温みは既に無く、冷え切ったペットボトルの中で半分ほど飲んだ緑茶が揺れていた。


「……それで」


 どこにあるんですか、と。

 隣に座るヒラギさんに顔を向ければ、動くことのない視線でただ一点を見つめている。

 目は口ほどにとは言うけれど、ここまで露骨だと言葉足らずでいいから何か喋ってくれと願いたい気持ちになる。

 だんまりのまま地面に影を落とす横顔。

 先程自販機で買った缶コーヒーを開ける指先が異様に白く見えて、カチカチとプルタブに引っ掛かっては外れる長い爪が生半可なホラーよりも怖かった。

 そう感じるのは場の雰囲気に飲まれたからか、それとも。


「ほら、あれ」


 悪寒に身震いする私とは対照的にヒラギさんはいつも通りだった。

 缶コーヒーを傾けながら口にする言葉はこっちを気にかけているけど、目線だけは外れず遥か向こうを見ている。

 立ち並ぶビル。

 未だ終業を迎えない窓の光がきらびやかで、黒とのコントラストでモザイク画のようになっていた。

 ヒラギさんの瞳を道標に風景の中を巡る。

 上へ上へとかき分け、さほど高くないビルの屋上。


 そこに、ごみ袋みたいに揺れる首吊り死体を見つけた。

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