第13話 こだわり

「ねぇ、呼び方ってそんなに大事?」


 そう聞かれて私はハッと顔を上げた。

 目の前の窓ガラスに自分の姿と、カウンターに頬づえをついている女の子が映っている。

 置かれたココアはまだ白い湯気を立て、冷房の効いた店内で、私は肌寒さにブルッと震えながら、ココアに口をつけた。なぜか、味がしない。


「友だち、ってただの呼び方じゃない? 誰かに親しい人を紹介するときにさ、ただの知り合いっていうんじゃよそよそしいし、仲のいい人っていうのはなんだか冷めているし、誰にもわかる簡単な呼び方が、友だち、って言葉なだけじゃない?」

「……」

「大事なのは、どんなつき合いかたか、とか、どんなふうに相手を思うか、じゃないのかな? 呼び方なんてさ、たいした問題でもないと思うんだけど」


 女の子のいうことは良くわかる。私も少し前から、そう感じるようになってはいた。

 けれどすべてを受け入れるにはあまりにも、今までのことが重すぎる。なにをしても許される免罪符のように使われる、たった一言が、嫌な思い出をいくつも連れてくる。


 仲良く話せる相手ができても、私はあえて口にしなかった。

 オーちゃんもカナちゃんも、私と同じような経験をしてきたと聞いている。だから私たちはお互いを、友だち、とは決して言わなかったのに……。


「それが小学校の時の同級生みたいに、あっさり友だちだよね、なんていうから嫌になっちゃったんだ?」

「違うよ! そんなことない」


 心のうちを見透かされたようで、ドキドキと鼓動が激しく鳴った。

 嫌だとは思った。


 でも……。


 カズちゃんたちとは違う、利用してやろう、バカにしてやろう、そんな思いは一つも感じなかった。


「ときどき、いるんだよねぇ……こう言えばなんでも許される、って勘違いして、口先だけで大事なことを言う子」

「だから、私はそれが凄く嫌なの」

「でもさぁ、今、一緒にいる子たちはそういうんじゃないでしょ?」

「……違う。カナちゃんも、オーちゃんだって……全然違う」

「それがわかってるなら、変なこだわりから、ちょっと離れてみてもいいんじゃないかなぁ」


 それだって私もわかってる。ううん、今度のことでわかった。

 そう言いたいのに、喉の奥になにかが詰まっているみたいで、言葉が出ない。

 ホロリと涙がこぼれた。


「もちろん、いくら仲が良くても、いちいち『友だちだよね』なんて確認することはないんだし、必要なときや誰かに紹介するときに使うなら、そんなに嫌う言葉じゃないって思うよ」

「わかってる……でも怖い。私、やだ。そう言った瞬間から全部壊れてなくなっちゃいそうじゃん」


 内緒だと話したことは、あっという間にほかの子たちに伝わり、大事な用があるからといわれれば、掃除当番や係を替わり、約束したことは忘れられて待たされる。

 そして最後はいつも


 ――友だちだもん、ゆるしてくれるよね?

 ――友だちなんだから、いいよね?


 それで終わり。

 私がどんなに本気で、本当に心から大事に思っても、それが伝わらない。友だちだから、そんな意味のわからないセリフで、すべてがなかったことにさせてしまう。

 だから嫌だった。

 心のうちを表に出すことをしなくなった。


 たったひとつの言葉に、身構えて気持ちを委縮させて、ごまかしている自分が嫌だった。

 ずっとそう思ってきたのに、いつの間にか大嫌いな言葉に、大切な存在をはめ込もうとしている。


「私、二人のことは大好きだよ。変な言葉で悩まされることもなかったし、いいことも嫌なことも全部、本当のことを言ってくれて……だから……」

「最初に変な子たちに当たっちゃったよね。でも今は違うでしょ? きっと他の子たちも、同じように感じてると思うよ。それに、もっと前の子も」


 もっと前……?

 なんのことだろう?

 止まらない涙のせいで、引きつる呼吸を整えながら、私は女の子をみつめた。


「自分の都合がいいように相手を動かそうとするんじゃなければ、友だちって言葉はとってもいい言葉だと、私は思うな」


 フッと優しい笑顔を見せた女の子の後ろで、またランプが瞬いた。


「だってホラ、もう夏休みなのにさ、ああやって毎日、通ってるんだよ」


 女の子が指さした窓の向こうに、オーちゃんとカナちゃん、そしてなぜかオノくんが通り過ぎていく。

 思わず腰を浮かして、三人の姿を追った。一体、三人で揃ってどこへ行こうというんだろう?

 まさか、うち? でもなんの連絡も貰ってないよ……。

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