第9話 目標へ向かうために
バイトが休みだった週末、私はまた商店街の喫茶店へ来た。
塾は夕方からで、時間はたっぷりある。
家で宿題をする気になれず、ここに来てしまった。
カラコロといつものドアベル。マスターのあいさつ。今日もいるOLさん。
さすがに店の人と向き合う前では宿題を広げられず、また外に向いたカウンターへと座った。
「いらっしゃいませ」
メニューを手渡され、今日はココアの他に軽く食べられるように、クロックムッシュを頼んだ。
ニッコリ笑ってマスターが観葉植物の向こうへ姿を消す。
ぐるりと店内に視線を巡らせた。今日は、あの女の子はいないらしい。
なにか不思議な感情が胸をよぎり、振り払うように運ばれて来たクロックムッシュを口に頬張り、ノートを広げる。
黙々とつづり、あっという間に宿題を済ませた。
少し、頭が痛い。それになんだか体が痛む気がして、軽く肩を回して凝りをほぐす。
ガラスの向こうで、まだ昼だと言うのにランプの明かりが存在を示すようにゆっくりと瞬いた。
そういえば朝もつきっぱなしだったけど、そろそろ電球が切れるんだろうか?
「へぇ、宿題?」
急に声をかけられて私は驚きでヒッと息を飲んだ。
いつの間にか、あの女の子が隣に腰かけている。
「偉いね」
「別に偉くなんてないです。やっていかないと塾の先生がうるさいから」
「ふうん。塾に行ってるんだ? 大学行くの?」
聞かれて返事に困った。就職するつもりでいるのに、なんで塾なんて……。
みんなが行ってるから、なんとなく私も、と流されるように通っている気がする。
「行けるならさ、行っておいたほうがいいよね、学校。学生の内しかできないこともあるし。友だち作ったり一緒に遊んだり……」
「私、友だちなんてほしくないし、別に必要ないです!」
つい、むきになって声を上げてしまった。
女の子のガラス玉のような大きな目が、私を見つめている。
自分がとんでもないことを言ってしまった気がして、居心地の悪さを感じた。
慌てて、ふっと視線を反らして窓の外を見ると、見覚えのある顔が通り過ぎた。オノくんだ。
ゆっくりと自転車を走らせているオノくんの目が一瞬こちらに向いてすぐ前を向き直ると、ハッとした顔でもう一度、こちらを振り向いた。
ドキリと胸が鳴る。見つかってしまった。手に汗がにじむのが分かる。ここへ来ることはないだろうけど……。
「なんか、変なこと言っちゃったみたいだね。ごめんね」
「あ……ううん。私こそ、大きな声でごめんなさい」
「私は進学しておくのがいいんじゃないかな、って思うんだ。勉強って大人になってからもできるんだろうけど」
「……どうして?」
「もしも将来、自分にやりたいことができても、大学を卒業してないせいで、その道に進むのが凄く難しくなっちゃうかもしれないでしょ」
「えっ……」
「だって求人情報誌とかでも結構あるじゃない? 募集要項に大学卒業から、とか。学校行ってないから、その仕事はできません、なんて言われるのは嫌よね」
言われてみると、そうかもしれない。そんなこと考えてもみなかった。
「それに、その夢に向かうために必要な勉強が、大学でしかできない場合もあると思うし、やりたいことが今はなくても、それを探す時間が持てるしね」
「でもそれは、社会に出てからだってできると思うんだけど」
「えーっ、無理じゃないだろうけど、難しいんじゃない? 見つかったらそのために仕事しながら学校に行き直すの?」
「う……それは……」
ますます言われたとおりだと思えてくる。
考えなかったわけじゃない、ただ私は早く抜けだしたくて、本当に自分にとって必要なことを考えていなかった気がする。
「勉強がすっごく嫌いでうんざりしてるとか、おうちの事情でどうしても行けない、っていうんじゃないなら、私は若い内に勉強しておいたほうがいいと思うんだけどな」
もちろんただの勉強じゃなくて、他のいろいろなこともね、女の子はそう言って肩をすくめる。
勉強は、昔ほど苦手じゃない。両親も進学のことを頭に入れているから塾へ行かせてくれるんだと、薄々は気づいている。
ただ、やっぱり私は学校が好きじゃない。
「友だち、嫌いみたいだけど、みんながみんな、そんなにヤなヤツばかりじゃないでしょ?」
また問われ、言葉に詰まる。ヤなヤツばかりじゃない、そんなことわかってるけど……でもみんな、最後には言うんだ。
答えられないまま、私は荷物をまとめると、無造作にカバンに詰め込んだ。
「もう行くの? 帰りは遅い時間なんでしょ? 最近は事故が多いみたいだから気をつけてね」
伝票を持ってレジに向かう私の背に、女の子の声が追ってくる。振り返ると、初めて会ったときと同じ笑顔で手を振っている。
「じゃあね、バイバイ」
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