故郷の味は三者三様
「美味い」
一口、また一口とシチューを口に運ぶたびに、食事とはこんなにも幸せな物だったのかとオスカーは涙を流しそうになった。船旅で弱った身体と胃に良く沁みる。
「やっぱりおばさんの料理はおいしいなぁ」
リチアの呟きが聞こえたのか、厨房にいるローナは嬉しそうにニコニコしている。
「長旅から帰って来ておばさんの料理を食べる時が一番幸せなんです。故郷の、しかも誰かの手料理って心が温まると言うか……」
「故郷の味というやつでしょうか」
「それです! 何故かホッとするんですよね」
鹿肉のパイを切り分ける。たっぷりの鹿肉と自家製玉ねぎだけを使ったシンプルなパイだが、臭み消し用に入れてある香辛料が良いアクセントになっていて美味い。
「リーシャさんにとっての故郷の味って何ですか?」
「私の故郷の味ですか?」
(と言われても、もう数十年は故郷でご飯を食べていないからなぁ)
まだ旅に出る前、実家で生活をしていた頃に良く食べていた物は一体なんだったか。海が近い国だったので肉も食べたが魚も良く食べた。魚を開いて干した物を焼いたり、新鮮な魚を切り分けてそのまま食べたり……。乾燥させた魚の切り身を薄く削って出汁をとったり。
「魚……でしょうか」
「魚ですか?」
リチアは意外そうな顔をする。
(ああ、そうか。アルバルテも港町だから)
恐らく、リーシャが思い浮かべている「魚料理」とリチアが思い浮かべている「魚料理」は異なる物だ。
「私の国では魚を煮つけにしたり、刺身にしたり、出汁をとったり、様々な用途で使われているんです」
「ニツケ? サシミ? ダシ?」
初めて聞く言葉にリチアは目を丸くする。リーシャの隣に居るオスカーも興味深そうに耳を傾けていた。
「煮つけは甘辛いタレで魚の切り身を煮込んだ物ですね。白いご飯と良く合います。刺身は生の魚を薄く切った物で、醤油という調味料を付けて食べるんです」
「生で食べるんですか!?」
「信じられん……」
リチアとオスカーはほぼ同時に言葉を発した。西方地域では魚を生で食べる文化が無い。煮たり焼いたりすることはあるが、それをそのまま食べるなど野蛮な者のする事だと信じられているからだ。
オスカーが驚いた理由はそれとはまた異なる。オスカーが生まれ育ったイオニアは内陸部の乾燥地帯である。生どころか魚を入手するのも難しく、主食は家畜として飼育している山羊や羊だ。地熱を利用した温水養殖にも驚いた位だ。傷みやすい魚を生で食べるなど到底考えられないのだろう。
「海が近い国なので、新鮮な状態で魚を運ぶことが出来るんです。魚の種類ごとに味や食感が異なって美味しいですよ。海老やイカ、タコなんかも」
「た、たこ!? タコを生の状態で食べるんですか?」
「……はい」
リチアのパイを持つ手がわなわなと震える。
「タコか。まだ実物を食べたことが無いな」
「美味しいですよ。刺身にすると歯ごたえが良くて甘いですし、焼いたり煮つけにしたりしてもイケます」
「アルバルテにもタコを出すお店はありますが、生食は聞いた事がありません。あんなにぬめぬめしていて足が八本もあるような物を……生で……」
「食文化の違いですね」
「確かに、旅をしていると全く違う食文化に出会うことは多々ありますが、タコの生食はなかなか衝撃的ですよ!」
三者三様。異なる文化圏の人間が三人も集まればこうなる。
「で、ダシというのは何なんだ?」
「えっと……汁物や煮つけの基礎になる液体調味料のような物です。魚の身を干したものや、それを薄く削った物、海藻を干した物などを水で煮戻してうまみ成分を抽出するんです。
その抽出した旨味成分が溶けだした汁を使ってスープや煮物を作るんですよ。野営の時にもたまに使っていますよ」
「そうなのか?」
「たまにスープに茶色い破片みたいのが浮いているでしょう。あれが出汁を取るための削り節です。本来は出汁を取ったら取り除くべきなのですが、少しでも栄養を取ろうと思ってそのままにしているんです」
「そういえば……。そうだったのか」
野営をする際にリーシャが作る料理は基本的に乾物を使った汁物だ。乾物は軽いので持ち運びをするのに便利だし長期保存が利く。故に、長距離移動の際には重宝していた。
肉や茸、野菜の乾物を大きな鍋に入れた水で煮戻す。そこに乾燥させた香草や近くで獲った野兎や野鳥、釣った魚などを入れたりする。本人は「簡単な物」と言っているが、旨味が濃縮されたスープにオスカーは虜になっていた。
そんなスープに時折隠し味として魚の削り節を入れていたという。
(なるほど。干した魚を水で煮戻した物がダシだと言うのなら、乾物をたっぷりと使ったリーシャ手製のスープはダシの塊という訳か。あれは良いものだ……)
それがリーシャの「故郷の味」であるならば、ニツケやサシミも旨いに違いない。
「こちらでも野菜を煮込んでスープに旨味を出すでしょう。それと同じです」
「ああ!」
リチアはようやく納得の行ったような顔をした。
「オスカーさんの『故郷の味』は?」
「俺の故郷の味は香辛料と羊のスープだな。こういうシチューのようなスープではなく、肉と香辛料を水で煮込んだだけのサラサラとしたスープなんだが、風邪を引いた時に食べるとあっと言う間に体調が良くなるんだ」
「薬膳のような感じなのですね」
「ああ。俺たちの祖先は元々遊牧民だったんだ。遊牧をしていた当時はまだ医療も発達していなくて風邪を引いただけでも命取りだった。だから普段から滋養強壮効果がある食事をしていたのではないだろうか」
「そう考えると、やはり食事……『故郷の味』という物はその土地の風土や文化に根付いた物ですね」
「そうですね。私の国は海に近いので海産物をよく食べ、オスカーの国では先祖の文化を継承したスープを食し、このコミュニティでは近隣の山や畑で獲れた獣を食べる」
「このコミュニティには国のように長い歴史はありませんが、それでも人の営みがあって、文化があります。そう言う物が積み重なって、いつしか伝統として語られるようになる……。コミュニティの歴史は浅いけれど、私にとっておばさんのシチューは間違いなく『故郷の味』なのです」
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