閑話 世界の中心

「急に準備をさせてすまなかったね」


 リーシャとオスカーが乗った飛行船を見送った後、ヴィクトールは背後に控える侍女に声を掛けた。


「いえ。しかし、宜しかったのですか? あの女性をお気に召したご様子でしたが」

「ああ。構わないよ。また会えるからね」


 そう言ってニコリと笑うヴィクトールに侍女は「そうですか」と答える。


(陛下はあの女性の、一体何が気に入ったのだろう)


 侍女――ロウチェ・ローゾフはヴィクトールのである。ローゾフ宮の主である母と前皇帝との間に生まれた長子で、ヴィクトールが帝位についた後は侍女としてヴィクトールの身の回りの世話をしている。

 深夜に「来客があるから部屋の準備をせよ」と命じられて部屋や食事、夜の茶会の準備をしたは良い物の、何故ヴィクトールがリーシャに執着するのか未だに分からずにいたのだった。


「気になるかい」

「……はい」


 まるでロウチェの考えを見透かしたような言葉にドキッとする。いつもこうだ。ヴィクトールはまるで全てが見えているかのような物言いをする。


「リーシャとは良いビジネスパートナーになれると思ったんだ」

「ビジネスパートナーですか? 伴侶ではなく?」

「ああ。私を前にしても物怖じしない胆力があるし、宝石修復師としての才能は抜きんでている。貴族や王族を相手に仕事をしているから、も上手くいなせそうだしね」

「ああ」


 ヴィクトールが即位してまず行ったのが各地に作られた離宮の取り潰しだ。好色家だった父と違い妻も側室も娶らないヴィクトールにとって、父の側室たちが居座る離宮は無用の長物だった。

 側室やその愛人は皇族に取り入ろうとやってきた者たちも多く、それが政治の腐敗を進めていると判断したのだ。

 勿論急な取り潰しに対する批判や反発も多く、貴族の中にはヴィクトールを悪く思う者も少なくはない。離宮を離れて故郷に帰れることを喜ぶ者も居れば、離宮が無くなると不都合だと思う者も居るのだ。

 ただ、彼らも国を支える貴族である事には変わりない。国を立て直して正しい形にするために、としてリーシャに目をつけたのだった。


「国を変えるのはなかなか骨が折れる。欲するのは褥を共にする妻よりも共に剣を取る友だよ」

「では、彼女に色恋はしていないと」

「さあ。それはどうだろうね。……手に入らないものほど欲しくなるものだ」

「陛下にも手に入らない物があるのですね」

「ああ」

 

(意外。世界はこのお方を中心に回っているものだと思っていたけれど)


 ロウチェは心の中でそう呟いた。

 前皇帝が亡くなった時、帝位を継ぐのは皇帝の長子だと誰もが信じて疑わなかった。その長子が急な病に倒れ、残る二人の息子も相次いで不幸に見舞われ……。そう、それは誰が見ても病であり、偶発的な事故だったのは間違いない。

 となると、帝位を継ぐのは側室たちの長子ということになる。急遽招集がかけられ、ロウチェはそこで初めてヴィクトールを見た。はっきりと覚えているのは「誰を皇帝にするのか」と貴族や候補者たちが紛糾する中、「平等にくじで決めよう」とヴィクトールが提案したこと。そして何故かそれが鶴の一声となったこと。


(普通に考えれば、くじ引きで皇帝を決めるなんてあり得ない。それでもその場の人間全員を納得させてしまう何かがあった)


 大きな壺にくじを入れ、順番に引いていく。最後に残ったくじを引いたヴィクトールはそれを捲る事も無く言ったのだ。「どうやら私が次の皇帝らしい」と。

 世界はヴィクトールを中心に回っており、彼が望むようになる。そうハッキリと感じたロウチェは神への敬慕に似た感情を強く抱いた。そして自身の住まいであったローゾフ宮が廃されたのち、皇帝の子という身分を捨ててヴィクトールの侍女として仕えるようになったのである。

 

 そんな経緯があり、彼女にとって「ヴィクトールが望んでも手に入れられないものがある」という事実は衝撃的だった。ヴィクトールが結婚を望んだにも関わらず、それを断った女性がいた。


(信じられない)


 そんな気持ちで一杯である。


「私もいつか、そのお方とお話がしてみたいです」


 単純な興味、そして好奇心だ。ロウチェの言葉にヴィクトールは柔らかな笑みを返す。


「そうだね。そのうち機会を設けよう」


(陛下には一体何が見えているのだろう)


 ヴィクトールが言うのだから、きっとそうなるのだろう。その機会が来ることを楽しみに、ロウチェは黙って頷いた。

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