翠玉の指輪

「実は、この中にはある『処理』を施した石が混ざっているんです」

「処理?」

「はい。一般的に天然のエメラルドは傷や内包物が多く、処理をしない状態ですとこの指輪のように曇って見えたり内包物や大きな傷が目立ってしまったりするんです」

 そう、指輪のエメラルドが曇って見えたのは内部の細かい傷が原因だったのだ。

「それを目立たなくさせる為に油【オイル】や樹脂を染み込ませて傷が見えなくなるように『処理』をしてあるエメラルドも多いんですよ。当たり前ですが、傷が無い方が美しいですし、『価値がある』とされていますからね。例えばこのペンダントみたいに」


 ペンダントに留めてある傷の無いエメラルドは「処理」を施したエメラルドだ。一見傷が無いように見えるがそれは液浸処理をして見えなくなっているだけで、外側から見ると全く判別が出来ないことにオスカーは衝撃を受けた。


「それはその……良いのか?」

「一般的に認められている方法です。それだけ傷や内包物があるのが当たり前な宝石ということですね。勿論、処理をした場合は売る際にちゃんと『処理済み』だと示さないと駄目ですよ!」


 中には「処理済み」のエメラルドを「未処理品」だと偽って売るような悪徳業者もいると聞く。宝石修復師や鑑別師が見れば「処理の有無」を判別することが出来るが、一般人が見抜くことは難しく騙されて高値で売りつけられる事件も発生しているらしい。


「もしかして、私の指輪もその『処理』をしたものなのかしら……?」


 液浸処理の話を聞いてエレーヌは不安になった。記憶ではこのペンダントのように目立った傷は無かったはずだ。一般的に認められている方法とはいえそのような「細工」がされていると思うと少し残念な気持ちになる。


「いえ、依頼品のエメラルドは間違いなく無処理ですよ」


 リーシャが断言するとエレーヌはほっとしたような表情を見せた。


「拝見した時に驚きました。処理をせずにこんなに美しいエメラルドがあるなんて。確かに何か硬い物に当たって出来たようなひび割れや欠けはありましたが、目立った曇りも無く底の地金も透けて見えるほどの透明度は見事としか言いようがありません。それに何と言ってもこの深い緑色です」


 エメラルドの価値は「透明度」、そして「色味」に左右される。濃すぎず薄すぎず、緑色が美しく出ている物ほど評価されがちだ。


「――最も、色の好みは人次第。価値の高いハッキリとした緑色よりも柔らかな薄い緑色の方が好みという方もいらっしゃいますし、個人的には『石の価値』は持ち主が決める物だと思っているので定められた基準で優劣をつけるのはあまり好きではありませんね」

「……そうね。どんな宝石であろうと大切な人から貰った物はそれだけで価値があるもの」

「ええ。奥様の仰る通りです」


 依頼品を眺めながらリーシャは「しかし」と付け加える。


「これだけの良品、今やどこを探しても見つからないでしょう。旦那様は心から奥様のことを大切になさっているのですね」

「まあ」


 エレーヌは顔を赤らめた。若い頃に夫に貰った初めてのプレゼント。リーシャの話を聞くと相当無理して手に入れたに違いない。


(無骨で無口な人だけれど……)


 指輪を渡された時の少しだけ恥ずかしそうな顔が頭に浮かんだ。


「……ということで、天然のエメラルドの場合自然にできた傷や内包物と事故で出来たそれとの判別が大変難しく、完全に『元の姿』に戻すことはほぼ不可能なのです。ですので、依頼を受ける際は事前にこうして説明を聞いて頂いた上で許可を頂くようにしておりまして」

「分かったわ。このまま進めて頂戴」

「ありがとうございます。では早速準備をしますね」


 依頼主の了承を得たリーシャは貴重品を入れている収納鞄から「仕事道具」であるエメラルドの欠片を取り出した。修復した際に違和感が出ないように出来るだけ色味が近くて透明度が似ている物を選ぶ。組合に産地ごとのストックが必要な理由の一つだ。

 エメラルドの欠片が入った小瓶を指輪の側に置いて色味を比べて問題ないと判断すると早速修復作業に取り掛かる。


「私、宝石の修復って初めて見るの」

「意外と地味な作業なのでご期待に添えるか分かりませんが……」


 エメラルドの欠片を手のひらの上に置いたリーシャは恥ずかしそうにそう言うと「石よ、汝の姿を教え給え」と小さな声で唱えた。


「おお……!」


 後ろで見ていたオスカーが思わず声を漏らす。リーシャの手のひらの上にあるエメラルドの欠片が淡く光ったかと思うと光の粒に姿を変え、指輪に留めてあるエメラルドに吸い込まれていく。光の粒は亀裂や欠けてしまった窪みを埋めるようにして染み渡って行き、光が収まった時にはエメラルドの損傷が直っていたのだ。


「これで修復完了ですね」


 ルーペで修復出来ているか確認したリーシャが言うと、エレーヌは「ほう……」と小さなため息を吐いた。


「何か不手際がありましたか?」


 心配になったリーシャが尋ねるとエレーヌは横に首を振る。


「いいえ、素晴らしかったわ。美しい光景に思わず見とれてしまったの」

「お気に召したようで良かったです。確認して頂けますか?」

「ええ」


 エレーヌは指輪を手に取るとじっくりと眺め、「ちゃんと直っているわ」とリーシャに告げた。


「ありがとうございます。では、依頼書に署名をお願いします」


 修復が終わったら依頼主に署名を貰う。その署名入りの依頼書を組合の窓口に持って行くと報酬を受け取れる仕組みだ。


「お若いのに凄いわね」


 署名を終えたエレーヌはリーシャの腕と知識に感心しきりだ。


「以前訪問してきた修復師の方に別の装飾品の修復をお願いしたことがあったのだけれど、こんなに綺麗には直らなかったもの」

「訪問? 組合に所属している修復師の方ですか?」

「どうだったかしら。突然修復したい物は無いかと訪ねて来て、丁度壊れたネックレスがあったからお願いしたのよ」

「なるほど。でしたら『野良』の修復師さんかもしれないですね。組合所属の修復師ならば腕は保証されているので、出来れば組合を通して依頼して頂いた方が確実かと。料金は高いですが、失敗した時の保証も付いていますし」


 組合に入らず「野良」で活動をしている修復師には「外れ」が多い。資格が無いので誰でも修復師を名乗れてしまう為、詐欺まがいの売り込みをしている人間も多いのだ。勿論「野良」でも腕の良い修復師は居るが、客側からそれを見抜くのは困難である。

 一方組合に入るには試験があるため一定の技術力は保証されている。依頼料は高いが、万が一宝石を傷つけたり失敗したりした際に保証する保険料も含まれているので安心だ。


「安いからと野良の修復師に頼む方も居ますが、私はあまりおすすめ出来ませんね……」

「そういうことだったのね。作業してくれるところも見せてくれなかったし、今考えるとちょっと怪しかったかもしれないわ」


 エレーヌは残念そうな顔をして「勉強代って考えることにするわ」と呟いた。


* * *


「そうだ、奥様にお願いがあるのですが」


 仕事を終えた後、リーシャはおもむろに鞄の中から紙の束を取り出して机の上に置いた。多くの取引先を抱える商会の奥方ならば「蒐集物」に関する手がかりを知っているかもしれないと踏んだのだ。


「祖母の形見を探していまして、この中に見たことのある宝石はありませんか?」

「これを全て探しているの?」


 エレーヌはリストアップされている宝石の数に驚いたような声を上げる。


「祖母の蒐集物で、盗まれて売却されてしまった物なんです。斜線が引かれているものは見つかった物なのですが、それ以外はまだ見つかっていなくて……」

「それは大変ね。見せて頂戴」


 紙を一枚一枚捲って丁寧に目を通し、最後のページまで読み切ると残念そうな表情を浮かべて首を横に振った。


「残念だけど、どれも見たことのないものばかりよ。もし良かったら複写しても大丈夫? うちは色々な国に販路や取引先があるから、従業員に持たせて回れば何か手がかりが見つかるかも」


 エレーヌの思いがけない提案にリーシャは「是非!」と即答する。


「ご協力感謝します」

「おばあ様の大事な形見だものね。早く見つかると良いわね」


 「ありがとうございます」とリーシャはエレーヌに深々と頭を下げた。これだけ大きな商会の販路を使えるのは有難い。部屋の設えを見るに、貴族との取引も多そうなので期待が持てる。リストの複製を作ってエレーヌに託したあと、リーシャとオスカーは店を後にした。


「あとは組合の窓口にこの依頼書を提出して終わりです」


 リーシャはそう言って依頼書が入っている鞄をポンポンと叩く。


「ちなみに、今の依頼でどれくらいの収入になるんだ?」

「町中なのであまり大きな声で言えないですけど……これくらいですかね」


 ポンチョを捲ってちらりと数字を表した手を見せる。


「勿論金貨です」

「なっ!」


 オスカーは大きな声を出しかけて慌てて口を押さえた。


「ここからオスカーの報酬も出ますよ。これくらいですかね?」

「十分すぎる!」

「大きな仕事になればこんなもんじゃないですよ。良い仕事でしょ?」


 リーシャはそう言ってニヤリと笑った。小さな依頼でこの金額なのだ。リーシャがこなしている個人指名の依頼は一体どれほどの報酬になるのだろう。


(確かにあの技術ならば相応の報酬かもしれないが……大変な仕事に就いてしまったかもしれない)


 リーシャの仕事をその目で見たことで報酬が高額になる理由は良く分かった。宝石の種類ごとに異なる性質や歴史を把握していて依頼品に合った「修復方法」を提供する技術力は見事だったし、その技術力と知識に見合った報酬が必要になるのは当然だ。だが、想像以上の報酬額にオスカーは今更ながら不安を覚えたのだった。

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