知識は金なり
「リーシャ」
三十分ほど経った頃、リーシャの部屋の扉が叩かれた。オスカーが風呂から上がったようだ。
「どうでしたか? 久しぶりのお風呂は」
「最高だった。さっぱりしたよ」
土埃の汚れが落ちて清潔感が増している。余程久しぶりの風呂が気持ち良かったのかオスカーの目は光り輝いていた。
「それは良かったです。では、まずは服を買いに行きましょうか」
身体が綺麗になっても服が汚いのでは意味が無い。リーシャはパンフレットで見つけた服屋にオスカーを連れていくと店員に「彼に合う服を見繕って欲しい」と依頼した。
「宝石修復師の護衛の仕事をするので、それに合うような服をお願いします」
「かしこまりました」
組合が提携している服屋なのでそこら辺は抜かりない。動きやすく丈夫な素材で出来ているが、王侯貴族を尋ねても問題が無いようなフォーマルなデザインの服を多く取り揃えている。
「オスカーは見目が良いから何でも似合いますね」
試着をしている姿を見てリーシャが言うと店員も思わず頷いた。最初に見た時から「素材は良い」と思っていたが、風呂に入って汚れが落ちると端正な顔立ちがとても目立つ。髪や髭を整えたらより一層見目の良さに磨きがかかるのではないか。
「面と向かってそう言われると恥ずかしいな」
「見目が良いのは良いことですよ。容姿の良さも大事な仕事道具ですから」
見目の良さや清潔感は依頼主の心象に直結する。「容姿が良い」というのはそれだけでアドバンテージを得ることが出来るし、清潔感は依頼主に不快感を与えないために不可欠な物である。
仕事着と普段着を何着か見繕い、次は床屋へ向かった。オスカーの顔を見た店主の目が光る。「久しぶりに腕が鳴りますな」と張り切る店主に伸びた髪や髭を整えて貰ったら、思わず通行人が振り返るような色男の出来上がりだ。
「後は鞄や日用品を揃えれば大丈夫そうですね」
「そうだな。すまない、結局金を貸して貰ってしまったな」
「いえ。必要経費ですし。ある程度余裕が出来てから返して貰えれば良いので」
(優しい人だ)
オスカーはリーシャの心遣いに感心していた。見ず知らずの行き倒れに職を与え、こんなに世話を焼いてくれる人なんて早々居ないだろう。年下の女性に頼るのは不甲斐ないが、この恩はいつか倍にして返そうと心に誓ったのだった。
買い物を終えた後、二人は宿屋の近くにある酒場で夕飯をとることにした。
「林檎酒と麦酒を」
酒場の隅のテーブルに陣取り飲み物を注文する。壁に掛けられた板に「本日のおすすめ」や定番料理の品書きが掲示されていた。
「合格祝いに今日は私が奢ります。好きな物を頼んでください」
「お腹も空いているでしょうし」とリーシャは付け加える。
「ちなみに私は地熱豚のスペアリブと魚のフライにします」
「では私は……」
「遠慮しないで良いですからね」
「……地熱牛のステーキで」
どうやら「地熱牛」や「地熱豚」というのがここらの名物らしい。近くの山に湧く温泉の熱を利用して温かい牛舎や豚舎でのびのびと育てられており、柔らかくて美味しいと評判なのだとか。
「明日の朝、何か仕事が無いか見に行きましょう。受けられる仕事があれば良いのですが」
「いつも仕事がある訳では無いんだな」
「そうですね。組合が斡旋する仕事は主に二種類あるんです。一つは『指名なし』で誰でも受けることが出来る軽い仕事、もう一つは個人宛に指名がある比較的高額な仕事ですね。
指名が無い仕事はリスト化されていて組合の窓口に行けば比較的近い場所の仕事を紹介して貰えます。大体単価の安い仕事が多いです。
個人宛の依頼が入っている場合は窓口で別途『こういう依頼が来ている』と案内があります。大抵離れた地域の物なので無期限で受けることになっていて、近くに寄った際に依頼をこなす形になりますね。個人指名は指名料や交通費も含まれるので高額依頼が多いです」
リーシャは収納鞄の中から封筒の束を取り出して見せる。
「これが全てリーシャ宛の依頼なのか。人気なんだな」
「こう見えてもそこそこ腕が良いので。普段はこの封筒から近場の物を選んで移動しているんです」
それだけで生活には困らない額の収入を得ることが出来る。リーシャのように指名だけで暮らしていくのが宝石修復師の夢なのだ。
「まずはオスカーに慣れて貰いたいので、明日からは指名無しの仕事をいくつかこなそうと思います」
「そんなに仕事を抱えているのにすまない」
「お気になさらず。依頼は無期限で受けているものばかりなので時間はたっぷりありますから」
そんな話をしていると注文した料理が運ばれて来た。ジューッという音を立てながら運ばれて来た熱々の鉄板が二つ。片方の鉄板の上には大きな骨付き肉と湯気を立てているジャガイモが乗っており、もう一方の鉄板には分厚いステーキ肉が煮え立つソースと共に乗せられている。
「これは旨そうだ」
焼けた肉の香ばしい香りと食欲をそそるソースの香りがまざり合い、鉄板を眺めているだけで涎が出てきそうだ。
「では、いただきましょうか」
そう言うなりリーシャは素で骨付き肉を持ち上げるとフーフーと少し冷ましてからかぶりついた。しっかりと味付けされていて酒に良く合う。表面はパリパリに焼かれているが中身はしっとりとしていて柔らかく、噛んだ瞬間に脂がじわりとしみ出してくる。
「ん~……」
町について一息ついたこの瞬間がなんとも幸せなのだ。ちらりとオスカーの方を見るとこれまた美味しそうにステーキを頬張っている。暫くまともに食事をとっていなかったのだろう。ステーキをぺろりと平らげ付け合わせのパンで残ったソースを綺麗にこそげとっている。
「お待たせ致しました。白身魚のフライです」
リーシャが注文していた白身魚のフライが到着した。
「オスカーもどうぞ」
「良いのか?」
「はい。他にも食べたい物が合ったら頼んで下さい」
フライやスペアリブをつまみながらオスカーが食べる様子を観察する。何を食べるにもとても美味しそうに食べるのは良いことだ。こうも美味しそうに食べているのを見ると奢りがいがある。
「にしても、ここは内陸なのに魚が食べられるんだな」
「地熱豚みたいに地熱を利用して養殖しているのでしょう」
昔通った国にそんなことをしている所があったような気がする。
「リーシャは博識だな」
「旅をするにも仕事をするにも知識は必要ですから」
例えばその国の風土や歴史を学ぶことで「どう振舞うのが安全か」判断することが出来る。国の王侯貴族を相手にするなら尚更だし、少なくとも彼らを不快にさせない程度の知識が必要だ。
「それに、魔法を使うのなら一層のことです」
「そうなのか?」
「……オスカーって、もしかして……」
「すまない、魔法に関してはからきしなんだ」
この歳で「枯渇熱」を初めて発症したことから何となく察していたが、リーシャの見立て通りオスカーは魔法に疎いようだった。護衛に合格したということは剣の腕はそれなりのはずなのでそちらの才があるのだろう。
「魔法の精度は術者の知識量に比例します。例えば宝石修復師が使う修復魔法は直す宝石に関する知識があればあるほど上手く作用するんです」
「……それはかなり大変なことなのでは?」
「ええ。特に指名の依頼は何の宝石を直すか選べませんから、出来るだけ全ての宝石に対応出来るようにしなければなりません。それ故に我々の依頼料は高額なのです」
「知識とそれを得るための努力に対する対価ということだな」
「知識だけでなく技量も必要ですから。それを考えるといくら高く見えても適正価格だと言えるでしょうね」
「宝石修復師は金持ちの依頼しか受けない」「金の亡者だ」と難癖をつける人間もいるが、それは間違いだ。提供する技術に見合った価格を出せるのが「金持ち」だけなのだ。
「リーシャは何故そんな大変な仕事をしているんだ。町についたら教えてくれる約束だっただろう」
「そう言えばそうでしたね」
リーシャは貴重品の入った収納鞄からボロボロになった紙の束を取り出した。紙には宝石の写真と名前がリストとして纏めてあり、ところどころ斜線が引かれている。
「実は探している物がありまして」
「このリストに載っている宝石か?」
「はい。これは祖母の
宝石修復師をしていれば王侯貴族が抱えている貴重な蒐集物を目にする機会も多いですし、色々な国を巡れるので探すのに便利なんですよ」
「では、この斜線が引かれているものは」
「行方が分かった物ですね。大事にして頂いている物はそのままにして、悪用されたり壊されたりしていたものは回収しています」
「宝石を悪用する者がいるのか?」
「質のいい宝石は魔道具の良い『核』になりますから」
魔道具の核には人工的に作られた「魔工宝石」や質のいい天然宝石が使われている。リーシャの祖母が集めていた蒐集物は強力な魔道具を作れるほど高品質らしく、闇市で高額で売買された形跡があるものも少なくない。
「悪い人から力づくで取り返すこともありますが大抵はお金を積めば譲って下さるので」
「……そのために金が必要なのか」
「そうです」
宝石の手がかりを追える上に高額な報酬で資金を集めることが出来る。「宝石修復師」という仕事はリーシャにとって天職そのものだった。
「リストを見せてくれ。宝石には詳しくないがリーシャがどういう物を探しているのか理解しておきたいんだ」
「どうぞ。無いとは思いますが、知っている物や気付いたことがあれば教えて下さいね」
紙の束をオスカーに手渡すとリーシャは笑顔で念を押した。
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