布団小屋にて

カトウ レア

第1話

それは初めて山小屋に泊まるという記念すべき登山のはずだった。個室を予約して、楽しみにしていたが、現実は違った。

 山登りを初めて半年、日本百名山の山を登っていたわたしは、次の山を奥秩父の雲取山を選んだら。雲取山は標高2017メートル、東京で一番高い山である。登山コースは三条の湯からの山梨ルート、三峰神社からの三峰ルート、奥多摩からの鴨沢ルートがある。わたしは、埼玉側の三峯神社から登り、頂上近くの山荘に泊まり、奥多摩側に下山しようと思っていた。

 当時は運行していた三峰山へのロープウェイに乗り、登山を開始した。ロープウェイで標高を稼いでいるという気持ちの余裕もあり、ゆっくりと、まず三峯神社を参拝していた。登山した時期は、10月。だんだん日暮れが早くなることも、あまり意識しなかった。

 一日目の目的地まで5時間の登山。だんだん日が暮れてきた。少し焦ってきた。まあ、こういうときの為に買ったヘッドライトがあるからと、また過信していた。しかし、まだまだ目的地には付かない。薄暗い山の中を、早足でいそぐ。こんな経験、初めてだ。そこで、ああ、ヘッドライトの光が、だんだん弱くなっていく。替えの電池なんて用意していない。  

   

アンラッキーだ。


時計を見たら19時近くなっている。


アンラッキー7(オクロック)!


 もう完全に日が暮れて、わたしは自分のヘッドライトのかすかな灯りと同行の友人のヘッドライトの灯りを頼りに、大股で進んだ。勘で岩を飛び越えた。ここまでくると、脳内はランナーズハイいや、クライミングハイ状態である。振り向くな。後ろには何もない。母校のラグビーの精神、「前へ」しかない。きわめて危ない状況下なのに、なんだか不思議な力が湧いてくる。酒に酔ってるみたいに、シラフよりも強気になっていく。


 このまま野宿かと悲観し始めたところ、何かの建物のような存在が。ついに、わたしは幻覚を見ているかと思ったが、ちゃんとした建物である。窓を開いてみたら空いている。このまま無理に夜道を進むべきか、中で陽が昇るのを待たせてもらうか、わたしは後者を選んだ。

 

 それから、着替えやタオルを全てだして、身体にまきつけた。なにせ、標高2000メートル近くの10月の夜である。でも、寒さよりも安堵がまさった。


 陽がのぼるまで、うつらうつら、身体を横たえていたが、「もしかしから、遭難していたか、怪我していたのかも。」と考えると、思考が止まらなくなった。そして、改めて、ああ生きてるんだな、わたし、怪我もなく。そして、無事に下山したら、好きなものを買おう、好きな人を大事にしようと強く思った。一度きりの人生ならばと。真夜中の布団小屋の硬くて冷たい床の上で誓った。

 

すぐに茶色のCHANELの煙草ケースを買いに行き、好きな人へはメールで「また逢いたい」と素直に告白したんだ。だって、遭難から逃れたときに、1番、先に浮かんだ顔だから。

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布団小屋にて カトウ レア @saihate76

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