空から降って来た馬券
ともひと
第1話 お父さんとお母さんの喧嘩
三学期が始まる前の日、タクシーに乗って、お母さんと病院に行った。
タクシーの中、お母さんはちょっと今話しかけないで、って怖い声で言うから、私は涙をこらえながら隣でじっとしていた。
病院に着くころ、お母さんは叫んでいた。その声はいつものお母さんじゃないみたいで、もしかしたらこのままお母さんは死んじゃうんじゃないかと思って、怖かった。
病院の人に、ここで待っててと言われたところで待っていた。
お母さんだけ部屋の中に行ってしまって、ちょっと暗い、病院の廊下においてある長い椅子で待っていた。
なにをすればいいかわからなくて、私になにができるのかもわからなくて、ぽろぽろと涙が落ちる自分の手を見ていたら、赤と白のシマシマの靴を履いた足が目の前で止まった。
「もしかしてユウちゃん?」
見上げると、保健室の先生みたいな人がいた。
「あれ、違った?」
「あきやまゆうです」
「そうだよねえ、やっぱり!久しぶりぃ大きくなってぇ」
保健室の先生みたいな人はニコニコしていた。
「大丈夫よ、お母さんすぐに戻ってくるからね。なにせ二人目なんだから」
私に手を振って、保健室の先生みたいな人はお母さんが入っていった部屋に入っていった。
よくわからない。
でも何度か深呼吸して、ニコニコしていた保健室の先生みたいな人の顔を思い出したら、ちょっと落ち着いた。
学校の椅子より高い椅子に座り直して、足をぶらぶらして、ごろりと寝そべってみて、たまに聞こえる猫の声に窓から姿を探したりしていたら、私に弟が産まれた。
「信じらんないんだけど!?」
お母さんの病院ご飯を少しもらって、うとうとしてたら、お母さんの声で目が覚めた。
赤ちゃんにおっぱいを上げながら、お母さんは怒っていた。
スマホを持っているから、きっとお父さんから電話が来たんだと思う。
朝から遊びに行こうとしてたお父さんに、お母さんが、すぐに連絡つくようにしておいてって言ってたのを私は聞いていた。きっと約束を守らなかったお父さんに、お母さんは怒ってるのだと思う。
病院に来たのは夕方のおかあさんといっしょが終わった後だったけど、今は何時だろう。
「おかあさん」
「夕、ごめんね起きて。もうすぐお父さん迎えに来てくれるから」
「うん」
「お母さんは4日後に退院するからね。明日から学校よね?」
「うん」
「学校の準備は?」
「できてるよ」
「あ、あーしまった。明日始業式よね?給食ないよね?」
「今日たいたごはんあるから、おにぎり作るからだいじょうぶ」
「ごめんね、足りないものはお父さんに買ってきてもらってね」
「うん」
もごもご動かしている口とか、全然可愛くない赤ちゃんの顔を見ながら、私は少しのあいだ黙っていた。
明日からお母さんがいないのかあ、と思うと、少し寂しかった。
「ねえお母さん」
「んー?」
寝てるのに口がもごもごしている赤ちゃんを見て、お母さんを見た。
「赤ちゃん、名前決まったの?」
「まだなのよねえ」
夏休みのときくらいから、赤ちゃんの名前を考えてたけど、まだ決まってなかった。
「よいちゃんじゃないの?」
「顔みたら違うかなって思ったのよねえ」
私は赤ちゃんの顔を見た。
確かにそんなにかわいい名前の顔じゃないもんね。
それから少しして、病院の人が、お父さんがお迎えに来ましたよと言った。
私はお母さんと赤ちゃんにバイバイをして、病院の人と廊下を歩いた。
さっき私が座っていた椅子には、もう誰もいない。
また猫の声がして、窓を見たけどやっぱり猫はいない。
病院の入り口につく。お父さんがいる。
お父さんのありがとうございましたという声を聞きながら、スリッパから靴に履き替える。
お母さんとおそろいの、Nがついた靴。
立ち上がるとお父さんは私を見降ろしていた。
「赤ちゃん、どうだった?」
「なんかくしゃくしゃだった」
「ハハッ、夕もそうだったぞ」
「知ってるよ。写真みたもん」
お父さんからはお酒のにおいがした。
バス停まで一緒に歩く。
右手は私とつないでいるけど、左手は本みたいなのを持っている。
見ながら歩くと危ないからダメだよ、っていつもお母さんに言われてるのに、お父さんはお母さんが見てないところでいつもやっている。
「今日ナイターだったから遅くなっちゃって。タイミングが悪いよね朝子……お母さん」
「なにが?」
「え?だから、赤ちゃんが産まれるタイミングがさ」
「そんなの選べないんだから、お父さんが悪いんじゃん」
「……。…………そうだね」
「ご飯食べた?」
「うん。夕は?」
「お母さんの病院のご飯少しもらった」
「足りた?」
「足りないけど、歯磨きして早く寝ないと、明日学校」
「あ、そうか明日学校か」
「お父さん明日はいるの?」
「うん」
「わかった」
次の日、おにぎりを作って食べて学校に行って、ともだちに弟が産まれたことを話して温かくなった私が家に帰ると、鍵は閉まっていて、私はお父さんが帰ってくるまでずっと外で待っていた。
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