斑
真島 タカシ
1.依頼
「あぁ。ありがとうございます」
原価管理ソフトを納品した。
笠本社長は、驚くほど喜んだ。
表計算ソフトから、簡易データベースソフトに移行した。
以前、「何でもするゾウ」で、事務所の清掃を引き受けた事がある。
その時、龍治と二人で、作業に入った。
清掃作業は、専ら、龍治が担当する。
一通り、清掃が終わって、机や椅子を元の位置へ戻していた。
「山下さん」
笠本社長が、名前を呼んだ。
「はい」
龍治が返事をしている。
そうだ。思い出した。
いつも龍治と呼んでいる。
龍治は、山下龍治だった。
「これ、なんとかならんやろか」
笠本社長は、パソコンの画面を見て愚痴を云った。
「アッきゃん。ちょっと」
龍治が手招きして呼んだ。
秋山は、龍治の助手のような役割だ。
清掃用具や洗剤を運んだり、事務所内の備品を片付ける。
「何ですか」
龍治の隣に立つと、顎をしゃくってパソコンの画面を示した。
フォルダのタイトルは、見積書になっている。
フォルダ内に、表計算ソフトの同一アイコンのファイルが、一面に並んでいる。
今時、知らない方が珍しいソフトだ。
ファイルのタイトルは、どこかの地名か建物の名称だ。
見積書だから、工事の名称だろう。
タイトルの末尾に、日付が振られている。
見積書の作成日か提出日だろう。
表計算ソフトは、操作が簡単たから、どこの会社も採用している。
表をコピーして、新規にファイルを貼り付けて、同じフォーマットで作成できる。
便利だ。
ただ、同じような、タイトルのファイルが大量に、出来上がってしまう事になる。
同一の工事現場で、何回も見積書を提出した場合だ。
どのファイルが、最新の見積書なのか、分からなくなる。
笠本社長は、その見積書の整理を龍治に相談した。
そして、秋山に、お鉢が回ってきたのだ。
見積書だけではなく、原価管理とまでは云わないが、材料費と外注費くらいは、工事現場毎に管理出来る仕様にした。
勿論、経費も管理出来る。
だが、あまり一度に進めると失敗しそうだった。
だから、出来る範囲で、段階的に始める事にした。
事務所の電話が鳴った。
女性事務員が出て、すぐ、笠本社長を呼んだ。
「何や?」
笠本社長が用件を尋ねた。
「長峰さんが、現場に来てないそうです」
女性事務員が答えた。
「吉岡君か?」
笠本社長が電話に出た。
「分かった。誰か寄越すわぁ」
電話を切った。
笠本社長が、電話を掛けた。
すぐに、代わりの職人を手配した。
「社長。長峰さんって外注さん。よく現場に入ってますね」
秋山は、長峰さんの名前を覚えていた。
他の職人より、三割近く安い単価で、工事を請負っている。
「おお。そうや。長峰なあ。腕は、まあ、普通やけど、安う上げてくれるんで、重宝してるんや」
笠本社長が云った。
割に合うのか。
他人事ながら、心配になっていた。
「その長峰さんって、よく休むんですか」
秋山は、あまり、興味も無いが、尋ねた。
「そうやなあ。休むんは、休むけど、納期は、守っとるんや。連絡無しに、休む事は、無いんやけどなぁ」
笠本社長の回答だった。
現場に入るのが、午前八時だ。
材料や消耗品は、会社が支給する。
だから、遠くの現場なら、前日に会社へ立ち寄る。
資材置場から翌日、現場で使用する材料を持ち出す。
そして、直接、現場へ向かう。
近くの現場なら、当日の午前七時くらいから、会社の資材置場から材料を持ち出す。
大抵、職人の車は、ワゴン車だ。
ある程度の材料は、車に載る。
それでも材料が、車に載らない時は、会社からトラックで配送する。
今日の長峰の現場は、弥勒市のスポーツセンターだ。
だから、昨日、会社に隣接する資材置場から材料を持ち出している。
笠本社長は、思い出したように、電話を掛けた。
「やっぱり。出んなあ」
長峰さんに電話を掛けたようだ。
長峰は、連絡無しに、現場を抜ける事が無い。
少し、心配になったようだ。
今度は、携帯から掛けている。
「あっ。吉岡君」
現場から、長峰さんが、来ていないと連絡を入れた吉岡さんだ。
今日、現場が終わってから、長峰さんのアパートへ、行ってみるように依頼した。
吉岡さんは、常に、長峰さんと一緒に現場に入っている。
二人とも、一人親方だ。
長峰さんは、吉岡さんの他に、何人かの一人親方を誘って、現場に入っている。
また、笠本社長が、嫌がる他の職人を押し付ける事もある。
勿論、長峰さんの嫌いな職人を笠本社長が、押し付ける事もあるそうだ。
事務所の電話が鳴った。
「社長。吉岡さんからです」
笠本社長が電話を代わった。
「秋山さん。申し訳ないけど」
笠本社長が弘を見て云った。
弘は、長峰さんのアパートへ行く事になった。
現場で使用する材料を長峰さんの部屋に置いている。
長峰さんが、今朝、現場へ持ち込む事になっていた。
材料なら、会社の資材置場にある。
だから、会社から現場へ届ければ済む訳だ。
弘に、その材料を現場へ届けてくれと云う。
ついでに、長峰さんのアパートへ立ち寄って、様子を見て来てくれと云う。
二万円の日当と、二千円の交通費を支払うと云う。
問題は、今日、笠本社長の会社迄、車で来ていない。
今朝、車で訪問しようとすると、「何でもするゾウ」のチラシを配りながら向かうように、寺井社長から云われた。
「やったやん。行け。行け」
龍治も、調子に乗って、囃し立てた。
チラシ配りは、歩きと決まっている。
仕方がない。
「お疲れさまです。秋山です」
弘は、寺井社長に電話を入れた。
「はい。お疲れさまです」
寺井社長は、名乗らない。
しかし、携帯だから、それで良いのかもしれない。
「仕事。笠本社長から、いただきました」
弘は、如何にも、営業して仕事を貰った体を装い、喜ぶ振りをした。
「報酬は、いくら?」
寺井社長が、冷たく云った。
「二万二千円です」
弘は、得意げに云った。
「どんな仕事?」
寺井社長が仕事の内容を尋ねる。
「建築材料を工事現場へ届けます」
弘は、答えた。
「現場は、どこ?」
寺井社長が、更に尋ねる。
「弥勒市です」
弘は、答える。
「それじゃあ。チラシを配りながら、現場へ行って来て」
寺井社長が、恐ろしい事を云った。
歩いて行けと云うのは、冗談だと分かっている。
弥勒市は、県の西の端。
歩いて行ける訳が無い。
「でも、歩いては行けません」
弘は、真面目に答えた。
「龍治も一緒に行かせたら、報酬は、一人、一万一千円になるんよ」
寺井社長が、報酬額を考えろ。と云っている。
「それじゃあ。龍治に、ここ迄、迎えに来てもらって、事務所まで送ってもらうのは、どうですか」
弘は、一旦、会社へ戻って、それから、弥勒市の現場へ向かうつもりだ。
「一旦、会社へ戻るのなら、チラシを配りながら、歩いて戻りなさい」
まだ、寺井社長が、チラシ配りに、こだわっている。
「えええ。一時間以上、掛かるで」
弘は、それなら、そうしようと思っていた。
「冗談よ。龍治を迎えに寄越すわ」
寺井社長の許可が出た。
もっと厄介な事を押し付けられるかもしれないと思っていた。
これでも、意外とあっさり許可が出たと思う。
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