拍手

ローザは、恐れたように、数歩、後ろに下がった。彼女の目に走っている弱々しい光は、それから一瞬、勝利が見えたのか、稲妻が天を裂くように、鳴動した。たしかに、彼女は、エリカの風にたなびく袖を見た。


名工が造ったという剣、ヌァザを抜いたローザ。


エリカは、立ち位置を確かめるかのように、右足をわずかに前に出した。そのまま、槍の刃先を地面に向けたまま、立っていた。


あたしは、エリカに出会うまで、誰かが、「特別な何かを持ってる」ような感じを受けたことがない。誰もが個性はあるが一般的に平凡で、その心はどこか錆びていた。カリスマの塊とされる総統も、ラジオや壇上に立ち演説している時の言葉やフォトカードには、みなぎるオーラがあるが、実際の生身の総統は、(あたしには)普通の人間に見えた(そのように見えることがどんな意味を持つのか、のちに罪人騎士団で知ることになるのだけど)。しかし、エリカは違った。あたしは、ぐいぐい引っ張られる。彼女の動きが視線が言葉のひとつひとつが、あたしの胸をつ。まるで、ある腕の確かな画家の、生涯にたった一度だけ描けた最高傑作を見た時のように、あたしの全存在を釘付けにするのだ。


「彼女には誰もが恋をする」


その果てしない影響の力を持つエリカが、前に立つ少女を睥睨している。無言の圧で、生きることを否定されると感じるほどの迫力は、ローザには、耐え得ないだろう。


「うわあああ!」


彼女は、がむしゃらのように剣を出した。


エリカは、槍を右に半回転させるようにして薙いだ。その勢いにエリカの身体のバランスが崩れる。右に倒れ込みそうになった。素早く槍の石突き(刃とは逆の部分の端)を右足下の地面にぶつけるようにして、バランスを立て直す。そして、一呼吸した。


「わあああ!」


叫ぶローザ。今度は、ヌァザを両手で持ち、力を込めて、相手の右の腰を狙った。


左手の槍の柄を右側に立てるようにして、エリカは防ぐ。ガキン! 甲高い音が鳴る。エリカは体勢がよろりっとなった。今度は、左へと傾く。石突きを左の地面にぶつける。


エリカが槍を武器にした意味がわかった。片手がなく重量のある柄モノを強く振れば、必ずバランスを崩すだろう。でも、柄の長い武器ならば、いまの戦いのように勢いの反動を調節できる。


ローザは、戦慄に崩れた表情だ。悪の限りをつくした人間が、死んで神の審判の前に立たされた時のような。


「シスナ!」


エリカがあたしを見た。ふっと、優しい目をする。


「見てて」


そう言うと、エリカは槍の石突きを今度は、後ろの石畳に激しくぶつけた。発生した反作用の力にうまくのった彼女の身体が前に跳ねる。そのまま刃が前に出され、突撃するような攻撃。ローザの胸に刃の先が……! しかし、エリカはそこで槍を横にして、激烈な勢いでぶつかっただけにした。


さっと槍を回転させ、石突きを前にし、少し武器から手を離す。慣性で、ビュッと前に飛んでいく槍だが、刃に近いところで再び握る。前方の地面にぶつかる槍の衝撃を左手で受ける彼女の身体は、バランスを取り戻し、その場に、停止する。


地面に投げ出されたのは、ローザだけだ。それから、エリカは槍の刃先を地についているローザの顔の間近に向けた。


「死にますか?」


果てしない幽暗のくらがりに身をひそめる、神の力に縛られた強力な魔が、冷たく息を吐いたような、低く攻撃的な声音。


ローザは黙っていた。言葉を出せなかったのかもしれない。槍がさらに顔に近づけられる。


弾かれたように、ローザは声を張り上げた。


「あ、あたしの負け……!! 殺さないで! 負けましたから!!」


初めの時のように、槍を縦に一回転させたエリカは、背中にそれを納めた。どうやら後ろに槍用の鞘を左肩や腰に固定されたベルトで止めているらしく、それに槍の柄を、器用に片手でボタンを嵌めて固定したのだ。


彼女は、ギロチン台に上がってきた。そこに立っている死刑執行人と裁判官のどちらにいうこともなく、「彼女を解放してください」と言った。心地よい、普通の声だ。


死刑執行人がギロチンを高いところに留めている縄を切るための斧を捨てて、ポケットから小さな鍵を出した。


そしてあたしの首と手首をがちりと挟み込んでいた板が取り除かれる。


エリカは膝を揃えて、しゃがみ込み、あたしに手を差し出した。あたしはその手を取る。彼女がバランスを崩さないように、体重は預けずに、自力で立ち上がるようにした。


「ありがとう、シスナ。わたしのために、ローザに剣を突きつけてくれたのね」


あたしは、顫える声を出す。


「お礼を言うのはあたしの方……。エリカは、その、右手を失ってるのに……」


「バカね。あなたは生命が危うかったのよ」


そして、首を柔らかく横に曲げて微笑んだ。あたしは、泣きそうだったが、微笑み返す。


パチパチ……。


最初は遠慮して。


そして、それは、この場にいた観客たちみんなに広がった。拍手。


まるで、朝早い時間の朝露に満たされた草原で、同時に咲きほこる花々のように、人々の間に笑顔が広がった。なんだか、歓喜?に叫ぶ人もいる。


あたしは、きょとんとする。何なの?


エリカは握っていたあたしの手を、ゆっくり離した。


「ローザのハイデンベルク家は、多くの民衆にあまりいい印象を持たれてないのよ。お金の力で議員の席は取ったけれどね」


これは、エリカへの拍手なんだ。


だから、あたしも、そうした。


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