弔い
「少なくとも、俺の右手は殺しちゃいない」
クレオンは、何度、その場で同じ言葉を発しただろう。
川の流れの周りには小石が敷き詰めらている。だからその辺りに木々がなく、影はない。初春の空から、太陽光はいっぱいに降っていた。
「まあ、座れよ、クレオン」
ヨアヒムが、意外に優しい声を出す。エミリエは、クレオンの手に触り、落ち着けようとしていた。彼はしかし、座らなかった。
「俺の右手は殺していない」
凄まじいほどの憤怒と悲しみの混ざった形相。目は病的にギラギラと輝き、眉は上がっている。呼吸は荒く、心臓が苦しいのか、彼は何度も握った拳で、胸を強く叩いた。
「そうだな。お前の右手は、神に誓って殺してねえよ」
「なら、なんでカーナンダ・ダコールは、いなくなった? お前が殺したのか?」
「いや、俺じゃねえな」
ヨアヒムは、両の手のひらをクレオンに見せながら左右にヒラヒラとさせた。
「なら、誰だ? 俺はそいつを殺さなくてはならない」
「クレオン!」
向こうの木陰から、若い女が現れた。体全体を覆うようなワンピース、トゥニカを着て、ウィンプルというひだのついた帽子で髪の毛を隠している黒ずくめの修道女らしき人。
ブーツで石を踏みながらクレオンの近くまで来る。彼を抱きしめる。
「大丈夫ですよ。あなたの右手は殺していません。あなたはよくやっているわ」
そして力いっぱい彼の身体を自分に密着させる。あたしは、なぜかムッとした。
「シスター。シスター・リガ」
クレオンは、女の肩を掴み、押し返すようした。適度な距離ができる。
「俺はもう、子供じゃない。ママはいらないんだ」
シスター・リガは両手を胸の前で組み合わせた。そして花のように笑う。
「そうだったわね。でもわたしはいつまでもあなたたちのママなのですよ。そうでしょう?」
「ママ!」
エミリエが抱きついた。
「あら、甘えん坊さん! いいのよ。わたしはいつでもあなたたちの味方なのですよ」
なんだか気持ち悪いものを感じた。孤児院のシスター・リーゼルの厳しさとはすごく違う。生育環境のせいかもしれないが、この女は信用ならない、とあたしの、奥深い部分が告げていた。
「クレオン、あなたの右手は殺してないのよ」
その話を水向けた。
「シスター・リガ。誰が殺したんだ? あの、鳥を愛し、草花を愛した、春の陽射しのような優しいカーナンダを?」
川の流れの音がいっそう強くなったように感じられた。魚が、数匹、時間差で飛び上がったのが見えた。
「クレオン。あなたの左手は大丈夫?」
「俺の……左手?」
クレオンは頭を抑えた。強い歯軋りをして、うう……と唸った。
「クレオン! ママが悪かったわ。そうよ。あなたは殺していません」
「じゃあ、誰だ!!」
ビンを壁に叩きつけて、粉々に割るような荒々しい声。
「クレオン。今まで、何人の人を、カーナンダのために殺してきたの?」
シスター・リガは、何を言っているんだ? 冬の午後、わずかな暖かみをくれる、晴れ上がっていた空。そこに、灰色の雲がもくもくと現れでる。すべてが薄暗く、時折光が走り、轟音が鳴る。世の終わりのような止まない雨が降る。そんな、なにか不吉の前兆のようなイメージがあたしの頭の中に沸いていた。胸の辺りがムカムカする。
「覚えてるよ。13人だ。みんな、カーナンダを殺した奴らだ。だから、俺は……」
「そうね。まだ、13人しか殺していない。カーナンダを殺したのはダナエよ」
クレオンは、いきなり鞘から剣を抜いた。
「あいつが……」
低い、喉の奥から搾り出すような声。その怒りの瞬間的な揺らぎに呼応したかのように、森の奥からオオカミの遠吠えが聞こえたような気がした。
「なら、俺はあいつを殺さなくてはいけない。カーナンダのために」
その時の、瞬間見せた、シスター・リガの笑み。相手を怖がらせるエミリエの壮絶さとは違う、極限までの愉悦を味わったような、陶酔した、完全に自己満な顔つき。気持ち悪い! 気持ち悪い! なんだ、あの女は!
「クレオン。剣をしまって。わたし、怖いわ」
身体を縮こまらせて、後ずさるシスター・リガ。彼女の何もかもが嘘っぽい。すべてが計算された演技のように見える。
「すまない。俺は、もう、大丈夫だ」
剣を鞘に収めた。
「帰りましょう?」
そのシスター・リガの言葉に、クレオンは、静かに目を閉じた。数瞬の間があった。すうっと開いた目を、後方に向けた。そこには、フーベルトゥスの遺体があった。
「みんな、先に帰っていてくれ」
すると、女は今までと打って変わり、冷たい目をして、ぶっきらぼうに言った。
「そうね。あなたは、そうだったわね」
シスター・リガは、ヨアヒムとエミリエを連れて、その場からいなくなった。
何をするの? あたしとエリカは、油断なく、身を伏せ息を殺していた。
するとクレオンはこちらに向かってきた。あたしたちは、バレている? 彼は、あたしたちのもっと手前で立ち止まった。剣を抜いた! しかし、そして、土に剣を何度も刺した。しばらくそうして。その柔らかくなった土をしゃがんで掻き出す。また、立ち上がり土を刺す。掻き出す。刺す。
ザク、ザク。
あたしは彼が何をしたいのか、わかった。立ち上がった。
「シスナ!」
エリカは、あたしの足を掴もうとした。あたしは歩き出していた。
クレオンが振り向いた。繊細な顔つき。その目に微光する孤独な影に胸がきゅっとなる。
「お前、シスナ?」
あたしは、黙って剣を抜き、彼の横に立つ。土を掘り始める。
クレオンは、戸惑っていたが、やがて、労働を再開した。
「もう!」
エリカも来た。彼女も同じように剣を抜いた。宝剣アマテラスで土を掘るの……。あたしは、悪い気がする。
どのくらい、穴を掘っていたか。それができた時、あたしたち3人は、汗と土にまみれていた。陽はしかし、まだ高かった。
あたしたちは3人でフーベルトゥスの遺体を持ち上げて、掘った穴の中に入れた。それから、土をかけた。
「もう、こんな世の中にいなくていいんだ。安らかにな」
クレオンのその祈りの言葉と共に、森林の木々たちがさやさやとそよ風に揺られた。突然のように、ここがとてつもなく広い空間であることを意識したあたしは、フーベルトゥスの魂が、それよりも無限な距離を飛び、
あたしとエリカも、それぞれに手を組み、死者を悼んだ。
フーベルトゥス、彼への怒りは不思議となかった。たとえ、クレイモン大公国のアジテーターであったとしても、言っていたことは本当のことなのだろう。
「戦ったものは、勇者だ。それが剣の戦いでなくとも」
クレオンは、まるで、聖職者のように言う。ベルトにしっかりと動かないように紐で引っ掛けていたコンパクトな鉄の水筒を取って、かけた土の上に水を撒いた。そして、白い花を手折り、そこに置く。あたしたちも同じように赤と黄色の花を置いた。
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