八ツ手

真島 タカシ

1.場所

八ツ手の茂みに、左上部から陽が射している。

陽に当たる一枚の、小さな若草色の葉は、光沢のある若葉だ。

陽の当たる若葉の辺りは、白く光に霞んでいる。


若葉の隣、一段低い所に、大きく、しっかりとした深緑の葉が、もう一枚見える。

力強い、深緑の葉の辺りは、日陰になっていて、黄色く滲んでいる。

青空を背景に、黄土色の八ツ手の葉が、平たく見えている。

茂みの根元は、濃紺一色だか、八ツ手の輪郭だけは、はっきりと分かる。


若葉と深緑の二枚の葉だけが、写実的で、葉脈まで、しっかりと緻密に描かれている。

絵の上部は、白く輪郭が滲み、下部は、重なりあった濃紺に、輪郭が太く描かれている。

F六十号くらいで、比較的大きな油絵だ。

題名は、そのまま「八ツ手」となっている。

絵の具の重ねが薄い箇所から、キャンバスの地が見えている。

キャンバスは、ベニヤ板のようだ。

額も、長い端板をキャンバスに合わせて、直接、打ち付けただけの仮額だ。

作者は、「宮崎亘」。


この「八ツ手」を描いた「宮崎亘」を探す事になった。


宮崎亘は、地元の栗林大学、経済学部、四年生だ。

クラブ活動は、美術部に入っている。

美術部最後の「卒展」を市内の画廊で開いている。

画廊といっても、一階が画材店で、二階が画廊になっている。

普段は、プロの画家が描いた絵を展示している。

勿論、販売が目的だ。

画材店の隣が書店で、書店の店主が経営している。

向かいが、市立美術館なので、間違えて入店。いや。何か、ご縁がないかと考えたようだ。

画廊として貸し出す時は、展示している絵を給湯室の横にある倉庫へ片付ける。

美術部員は、馴れているので、毎回、手伝っている。


画廊は、午前十時から午後六時半迄だ。

美術部の四年生は、九人いる。

画廊を一週間借りているので、二、三人ずつ、留守当番を決めている。

勿論、当番でなくても、画廊に詰めて構わない。

四年生は、皆、単位が足りている。だから、全員が毎日、入れ替わりながら、ずっと詰めている。

一年生から三年生も、講義が無い限り、画廊へ詰めている。

美術部は、皆、仲が良い。


来客は、ほぼ、同じ大学の学生か、他の大学の学生だ。

と云っても、県内に大学は三校しか無い。

県外から、わざわざ訪れる学生は、居ない。

だから、これも人数は、少ない。

希に、大学のOBが、差し入れを持ってやって来る事があるくらいだ。


ところが、「卒展」初日に、学生でもなく、OBでもない。

ごく一般のサラリーマンらしい男が、入って来た。

ぐるっと一周して、美術部員に声を掛けた。

「あのう。絵を売って貰えるんですか」

男が尋ねた。

まだ、二十代前半くらいだ。

どう見ても、芸術とは縁が無さそうだ。

「はい。どちらの絵が、ゴイリヨウでしょうか」

一年生部員の荒井さんが、バイトで覚えた、拙い接客用語で尋ねた。

「これですけど」

男が「八ツ手」のタイトルの絵の前に立った。

ちょうど、宮崎が来ていた。

作者本人が対応した。

学生の展覧会に、一般の人が来る事は、居なくは、ないが、珍しい。

ましてや、画商が来る事も無い。

だから、学生の展覧会で、展示物が売れる事は、まず無い。

宮崎は、喜ぶというより、驚いた。

「ちょっと出て来る」

と云って、男と一緒に出て行った。

一時間程して、画廊に戻って来た。

昔ながらの喫茶店で商談?をした。

価格は、十二万円で決った。

皆が、一杯奢れと集った。

初日から、画廊は、その話しで持ちきりだった。

宮崎は、照れているのだろうか。

喜んでいる表情ではなかった。

いや、寧ろ、悩んでいるような表情だった。


翌日、宮崎は、画廊に来なかった。

三日目に、宮崎の絵の購入を希望した男とは、別の男が、現金を持って、画廊へやって来た。

「卒展」初日に訪れた男では、なかった。

「八ツ手」の代金を持参していた。

年齢は、五十代くらい。

サラリーマンには見えない。

男は、現金を白い封筒に入れていた。

金額は、二十万円だと云う。

宮崎が、決めたと云っていた金額より多い。

今日も宮崎は、画廊に来ていない。

部員が宮崎の携帯に連絡を入れたが、繋がらない。

電源が入っていなかった。

美術部の部長は、三年生の白木さんという女子学生だ。

宮崎が居ない。既に予約が、入っている。「卒展」の最終日迄は、絵を展示する事になっている。と云って、現金は、受け取らなかった。

最終日には、宮崎も来ていると思う。

最終日に、再度、訪ねてもらうように、頼んだ。

白木さんが、宮崎の実家へ連絡を入れた。

宮崎は、今週一週間「卒展」のため、友達のアパートで泊めてもらうと、母親に伝えていた。

美術部員は、宮崎と仲の良い友達に居所の確認を始めた。

友達は、すぐに分かった。

その友達に確認すると、一昨日からアパートに、戻って来ていないという事だ。

「卒展」の初日からだ。


四日目も来ないので、白木さんは、実家を訪ねた。

実家は、弥勒市にある。

宮崎は、バイクで通学していた。

両親も、心当たりを探していたが、見付からなかった。

来年四月には、地元の建設会社に就職する。

特に、悩み事がある様子でもなかった。

行方不明になっている可能性が高い。


両親は、慌て警察へ捜索願を提出した。

美術部員は、勿論、部員の仲の良い友達も、手分けして探し始めた。


美術部に、安達さんという二年生の女子部員がいる。

安達さんはツヨシと友達だ。


安達さんが、ツヨシに、宮崎を一緒に探してほしいと頼んだ。


弘の家の西隣は、岩田さんだ。

岩田さんの次男で、大学生の剛が居る。

以前、ツヨシに、千景が、助けてもらった。


千景が、一人で留守番をしていた。

見知らぬ男が、突然、ブロック塀を乗り越えた。

千景は、咄嗟に、岩田さんの家に逃げ込んだ。

ちょうど、ツヨシが帰宅した。

ツヨシは、弘の家に押入ろうとしている男を捕まえた。


弘は、行方不明になった宮崎の事をツヨシから聞いた。

それで、弘も手伝う羽目になったのだ。

いや。

是非、手伝わせてほしい、と頼んだ。

今日が、「卒展」の最終日。

やはり、宮崎の行方は、分からない。


弘は、画廊へ出掛けた。

そして、「八ツ手」を鑑賞していた。

確かに、上手いと思う。


しかし、プロの描いた売り絵のような、収まりの良い絵ではない。

だいたい、十万、二十万円も支払って、この絵をどこへ飾るのか。

玄関でも、応接室でも、馴染まないだろう。


もう、画廊が閉まる時間だ。

帰ろうとして、「八ツ手」の前から二、三歩移動した。

目の隅に「八ツ手」が見えた。

立ち止まり、「八ツ手」を見た。

何か「八ツ手」の根元の陰部分で、濃紺の中に、うっすらと八ツ手の葉ではない物が見えた。

人の手のひらだ。

正面に立って見ていた時は、見えなかった。

濃い茶色で、はっきりと、人の手のひらが見えた。

もう一度、正面に立って「八ツ手」を見た。

人の手は、見えない。

根元には、はっきりとした、八ツ手の葉さえ見えない。

手のひらが見えた位置で、もう一度「八ツ手」を見た。

人の手は、見えなかった。


照明の加減で、見えたのかもしれない。


とりあえず、「八ツ手」は、美術部の部室の隣にあるアトリエ兼物置に保管する事になった。


そうだ。その方が良い。

作者の宮崎には悪いが、この絵は、暗い物置が、一番、似合うのかもしれない。


弘は、久しぶりに、昔ながらの喫茶店へ向かった。

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