1 収監されて

 朝7時ごろ、いつもの異常なしの声が嫌がらせのように部屋に響く。看守の声にもすっかり慣れた。最初は不快感の塊みたいな気持ちになったけど、いつしか慣れてしまった。慣れとは怖くもあり頼もしくもある。


 さて、今日は何しようか。こじんまりとした個室だがここに来てから2週間ほどで、大体の生活サイクルは確定していた。酒とたばこがないのが残念だけど。おかげで何となく健康になった?とちょっと思うほど体調がいい。一応悪人前提で収監されているのだけど、悪人は健康でいなければならないという不条理さ。ほんと無駄な税金使うのが好きだな。


 今日の午後は嫁さんとの面会が予定されている。そんなに面会に来なくてもいいのにねとは思いつつもありがたい。この前は派手に喧嘩になったしなぁ。そんな軽い気持ちで離婚しようって言い出した訳じゃなかったんだが、チカはブチ切れていた。

ふざんけんな!って。ガラスに付いた唾が凄かったな。見たことのない、怖くて悲しそうな顔していた。 


 だけださ、最悪死刑って判決が出ちゃって、さらに死刑が執行されるまでの時間とか、刑が執行された後の事を考えると離婚したほうがいいに決まっているって、俺は考えた。それこそがベストの選択だと。こんな俺とは別れて、別の人生を歩んで幸せになってほしい気持ちも強かった。俺は40超えたけど、嫁はまだ30代そこそこ。美人だよと自慢できるほどの顔だちでもないけど、俺的には愛嬌があって好きなタイプ。いや、好きになったからタイプと言ってるのかもしれない。まあ、どっちでもいいがな。


 昼食を終えて新聞に一通り目を通した後、鉄製の扉をたたく音がする。振り返ると小さな覗き窓から看守が声を掛けてきた。


 「274号、面会だ。これから室内に入る」


 「あ、どうも。お手柔らかにお願いします」


 錆びついたキィーと嫌な音を立てて扉が開く。看守らが数人入ってきた。やらなくてもいいんだけど、俺は両手を上げて無抵抗だと意思表示をする。両手に手錠をはめられ、腰には紐を撒かれて看守に囲まれて面会室まで行く。


 無駄な言葉を一切喋らず、黙々と仕事をこなす姿が威圧的でもあった。


 「面会時間は15分だ。音声を含めた録画録音を実施している。異議申し立ては代理人をもって法務省に立てるように」無表情で淡々といつもの決まり事を話す姿はロボットにも近い。


 ゾロゾロと看守に囲まれて部屋から連れ出され、面会室に来た。


 部屋にはすでに、強化ガラスの向こうに嫁さんが待っていた。


 「よっ、元気そうだな」


 「康ちゃんも変わり無さそうでなによりね」すこしやつれたように見える。表情も冴えない。苦労をかけていると痛感した。


 「言っても先週あったばかりだろ?そんなんで激変するほどやわじゃないよ。んで、今日はどんなご用件で?」嫁は俺の弱った姿を嫌うだろう。俺も見栄を張った。


 「ご用件って、例の弁護士さんと今後の話についてよ。」


 「冤罪って証明するのは相当難しいんだろ?最高裁いって、刑が確定した後に再審請求を数年かけて、余生を楽しめってところじゃないのか?」


 妥当性が高いと思って言ったんだがこれが導火線に火をつけてしまった。


 「あんたが諦めてどうすんのよ!」ドンっと強化ガラスを殴る音が部屋に響いた。

そこからは何を言ってるのかわからんが、兎に角吠えまくっていた。はーはーと肩で息をしながら俺を睨みつける目線が怖い。


 やば、これ以上ブチ切れられても・・・


 「いやいやいや、チカさんや待て待て待て。世間一般的な話をしただけじゃないか。落ち着けよ。俺が悪かったよ」両手を合わせてへこへこと謝りまくった。時間もあんまりないんだよってジェスチャーを交えて必死に誤った。


 ハッと我に返ったようにいつもの彼女らしさが戻ってきた。


「もー。私は負けないって決めたの。康ちゃんも決めて。・・・じゃないと」


 嫁の顔がみるみる曇っていく。こいつはまずい。流れを変えないと。時間が!


 「何言ってんだよ、重い話を軽く考えるから長期間戦えるんじゃないか。ちょっとしたことにイラついたり吠えたって仕方ないよ。その反動で暗い気持ちになってみろよ、持たないぞ?これから年単位でここにいるんだ。へこたれている暇はない。暇しかないけど」


 最後のオヤジギャグで呆れたような顔された。すいません。今はこんなもんです。


 「そうですか、そうですか。じゃ、この間の弁護士との話をするわね」


 嫁の顔色が少し良くなった。険悪な雰囲気が少し和んだ気がした。


 まず首謀者の宇佐美を見つけること。完璧なまでの個人情報隠蔽。どんな手口を使ったのかも検討が付かない。それこそが逆転するに不可欠な事だと。それと消えた入金証明。振り込んできた銀行が海外経由だからそこから手を広げてみるかと。それと予算と期間をある程度決めて小出しに証拠提出して訴訟期間を出来るだけ伸ばすなどの話し合いがあったとの事だ。


 「ふーん、色々迷惑かけるな。すまないな」


 「国内で宇佐美を見つけるために馬鹿みたいにお金使っちゃったようなことはもうしないわ。私もまだまだ勉強して康ちゃんが出るまで絶対負けないから」ふんむーと鼻を含ませて意気込むチカは頼もしいよりかわいかった。



 ・・・・・今でも思い出す。でも、あの時はもう選択肢は一つしかなかった。


 宇佐美から資金提供を受けてFXの失敗分を取り戻す。そしてもう一度やり直すんだと。ただ、億単位の資金提供となるとやっぱりもう少し調査や利害の精査はしておくべきだと今更ながらに痛感している。それだけあの頃の自分には冷静さの欠片も無かったんだ。拙い自分が恨めしく、悔しい・・・・・・・・・・



 俺は嫁さんと2人でネット転売とFX投資の小さな会社を経営していた。年間利益ベースで7百万弱は出ていただろうか。贅沢三昧とまではいかないけど、住宅ローンを組んできちんと返済出来て、それなりの生活を慎ましく過ごしていた。そんなある時FXで予想外の大穴を当てて億の収益を一瞬で上げてしまった。それが間違いの始まり。2人そろって億り人だーとかはしゃいで、生活が一気に派手になって金の出入りもデカくなった。俺たちは高額納税者だ!皆の者跪け!とたぶん顔と態度に出ていたと思う。カードも生まれて初めてのブラックカード。高まる選民意識。どこにいってもチヤホヤされておべんちゃらが当たり前の特権階級的な暮らし。いやー最高だったなー贅沢するのって。でも、そんな成金生活は長くは続くはずもなかった。いや、突然の終わりを迎えた。そう、失敗しちゃったの。FXで。


 儲けが億なら借金も億。最初PCの画面の数字を見たときは信じられない思いで胸が張り裂けそうだった。損切しても資産が1/10に減った。あそこでやめておけばよかったと何度も思ったよ。でもどこか甘いところがあったんだろうな。次こそは!と無駄に高揚した気持ちで負け分を取り返そうとした。2人してギャンブル漫画の境地だった。一度いい思いをした記憶が冷静さを失わせていた事は間違いない。でも、俺は嫁と2人でいつも窮地を脱してきたんだ。きっと今度も行けるはず!根拠のない自信は悪でしかないというのは失敗して初めて知った。


 結局、気が付けば億単位で借金がどーんと2人に圧し掛かっていた。もうこの頃はなんにも考えられなくなって2人して死のうかとか真剣に思う毎日だった。


 そんな折に知人の紹介で知り合ったのが宇佐美だった。彼も投資会社を経営していて、若い頃の自分に俺たちが映ると言う。投資家は失敗もするが成功もする。自分も同じような失敗をした時に助けられた事があり、今度は助ける番だと言うのだ。


 今思えば、そんな詐欺まがいの話、誰が信じるかと唾でも吐くような気持ちだが窮地に陥った俺たちには天使に見えた、いや、神に思えた。そんだけ思考能力が狭まっていたという事だ。


 渡りに船って本当にあったんだ!俺たちはまだやれる!とあの頃を思い出すと俯いてしまう位恥ずかしい。だけどその話ににべもなく俺たちはあっさり受け入れた。ただ、条件が一つだけあった。


 それは宇佐美が脱税と特別背任、横領で起訴されるかもしれないので、その罪を引き受けてくれないかという事だった。


 そうだろうな。善意を装った悪魔の契約だ。だが、その魅力は非常に強かった。


 さらに、捕まった後も弁護士を付けてバックアップは確実にすると。同席していた弁護士も彼の古くからの友人で、事の詳細も承知済みだという。しかも弁護士なのに、こんな事は日常茶飯事で大したことでもないと言う。そして、出所後の世話は今以上に惜しまないと力強く言った。


 流石に即答は無理だった。チカと二人で少し考えさせてほしいと宇佐美に告げると時間はあまりない。3日が限度だと告げられた。人生が色々な意味で激変する。

その3日はチカと朝から晩まで延々と話しあった。時には喧嘩腰に、時には昔を思い出して泣き笑い、これでもかとお互いの心情を吐露しあった。


 疲れ果てたはずなのに、スッキリとした気持ちで3日目の朝に答えが出た。あの時の事はたぶん一生忘れない。


 「なあ、チカ」


 「どっちが刑務所行く?私でもいいけど」


 「おい、まだ受けるかどうかを考える時だろ」


 「え?私はもういいと思ってるよ。だけどFXはもうやんなくていいと思う」


 「お前結論はやいな」


 「だって、しょうがないよ。うちら、どのみち、どん詰まりじゃない。やり直しなんて生まれ変わりを望むようなレベルだよ。他になにかある?先に言っとくけど死ぬ以外でね」


 チカは俺より若いくせに肚の据わりは俺以上だった。俺はまだソワソワが止まらなかった。辛い時も苦労した時もチカがいたから乗り切れたことは数えきれない。ふと目を閉じて昔を思い出す。そして俺も気持ちが固まった。


 「わかった。俺が実行犯で引き受ける。後は頼んだ」


 「うん、わかった」


 短い言葉のやり取りの後、俺は覚悟を決めて宇佐美に連絡をした。宇佐美はありがたいありがたいと何度もいい、恩に着ると溜息にも近い声が電話口から聞こえてきた。金に関しては額が大きいので2営業日ほど時間がかかると言う。日程的にはギリギリだ。実行する直前に入金確認が取れる。無ければ、水泡に帰すだけ。宇佐美も俺もそこだけは対等だった。


 そして大まかな流れの説明を受けた。まず、宇佐美の会社で業務の引継ぎと社員たちとの顔合わせを行い、1週間から10日程で会社に警察が踏み込んでくるはずだと。こなければ来るまで普通に出社を装うだけ。特になにか仕事らしい仕事もないので会社で好きな事をしていればよいという。ただ、宇佐美との連絡は極力避けて弁護士をメインにして欲しいとのこと。弁護士もグルなので安心感が半端なかった。


 チカと二人で実行日を迎えた。酸っぱいものが胃から込みあがって来るのを覚えている。胃薬を2つも飲んだ。緊張感が最高潮だったのか、なぜか目が痛かった。時計の針を見て、時間が経つのが異常に長いと感じられた。そして・・・・・


 入金があったと銀行から連絡があった。作戦開始の銅鑼が鳴った。


チカは速攻で借入金の清算をやってもらう事にした。住居は移動しないようにと念を押されている。背任にしても横領にしてもあくまで合法だと勘違いしたという体で裁判もやっていく予定なので、住居を移転すると確信犯と思われかねないらしい。


 こんなんで本当に行けるのか?いや、いける担保が弁護士のシナリオなのだ。これほど強力な担保もないと無知だった俺はこの時、すっかり信用していた。


 「チカ、明日から会社に行くことになるけどさ、警察がこっちにも来ると思うんだよ。打ち合わせどおり、お前は全くこの事を知らぬ存ぜんぬで頼むな」


 「何回練習したのよ。’旦那の金の出どころまで知らないわよ’のセリフ、これ誰が考えたのかしらね。恥ずかしいわ」


 「俺的には結構ツッコミどころ満載なんだけどな。あの弁護士がこの程度でいいんですって強く言うしな。ま、やるしかないよ」


 「うん、ちょっとの間だけど・・・・・遠距離恋愛になるね」


 「そうだな」


 生まれて初めての経済犯罪を前に俺たちは覚悟を決めた。チャンスは二度はないと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る