原因
日本に帰国した翌日、山下が小路亭に行くと店には常連客の面々が集まっていた。店に入った山下に常連客からおかえりなさいという声がかけられる。
ただいま、と返事をしながら山下は空いているカウンター席に腰掛けるなり「じゃあ、答え合わせといこうじゃないか」と小路丸に言った。
「先輩、張さんの彼女さんも無事だったんだからそれでいいでしょう、別に答え合わせなんかしなくっても」
「そういうわけにはいかんだろう、お前」
「僕は聞きたいですね」「わしも聞きたいな」と篠塚くんと今井先生が口を合わせて言う。
「わたしも聞きたいですよ。今回わたしはぜんぜん参加できなかったし、みんなしてなんか面白そうなことに首をつっこんじゃってずるいんだから」と野中さんが口を尖らせながら言った。山下が来るまでの間、他のみんなから山下が中国で人が花になるという騒動に遭遇し、そして人参果がそれに関係をしていたというところまで野中さんは聞いていたのだ。
「ほら、みんな待っているんだから」
その場にいる全員から催促された小路丸はしぶしぶと話し始めた。
「わかりました。じゃあどこから話しましょうかね」
悩む小路丸に「人参果からでいいんじゃないか」と山下が言う。
「じゃあえーと、人参果というとみなさんもご存知の通り、西遊記に登場する食べ物で食べれば寿命が延びるという人間の赤ん坊にそっくりな果実のことです。でも西遊記は架空の物語です。なので西遊記に登場した人参果は現実には存在しません」
「でも、人参果はあったんでしょ、だから、山下さんが手に入れた人参果が西遊記に登場した人参果の元となったということはないんですか」と野中さんが尋ねた。
「それは面白い考えだが、実在するための条件は赤ん坊そっくりな果実か、寿命が延びる果実ということになるから、ちょっと無理があるかもしれないねえ」と今井先生が口を挟む。
「そうです。なので西遊記の人参果が先にあったから、この果実を人参果と名付けたんじゃないかと考えました」
「そうか、そっちのほうが現実的ですよね」野中さんは納得する。
すると「それについてはおれから少し補足しておこう」と山下が言った。「張くんの彼女のお母さん、うーん、ちょっと長ったらしくって面倒だな、ここはお母さんにしておこう。そのお母さんが話してくれた事柄によると、ムヘンメト氏の先祖、ああ、ムヘンメト氏ってのは張くんの彼女の父親だ……ん、なんだ、詳しく説明すると余計にこんがらがってくるな、おれって説明下手なのか。まあいいや、みんなわかるだろう?」そう言いながら山下はみんなの顔を見回した。
みんなうなずいた。どっちの意味でうなずいたのかは人それぞれだったようだが、山下は自分に都合のいいほうで受け取った。
「で、そのムヘンメト氏の祖先ってのは、驚くことに、この人参果を使って中国の要人暗殺をおこなっていたそうなんだ」
「暗殺ですか? それはずいぶんと物騒な話ですね」と篠塚くんが驚く。
「祖先といっても清の時代らしい。18世紀あたりまでは依頼を受けて暗殺を行っていたようなんだがもちろん今はそんなことはしていない。で、その暗殺に使ったのがこの人参果だったということだ」
「ええっ、人参果って寿命を延ばすものでしょう、それが暗殺の道具というんじゃ逆じゃないですか」と篠塚くんが言う。
「そこがポイントなんです。ムヘンメト氏の祖先は西遊記にちなんで人参果と名付け、寿命を延ばす薬が存在すると噂を流したんです。そして暗殺する対象者にこの人参果を食べさせたんです。当時の要人たちはそういうものを常に求めていましたから噂を流せば飛びつきます」と小路丸が山下の後を継ぐ。
「じゃあ人参果は毒だったんですか」
「毒といえば毒なんですが、ちょっと違うんですよ。この人参果は」
「食べた人間を癌にしてしまうものだったんだよ」待ってましたと言わんばかりに今井先生が口を出した。
「癌ですか。それは毒とはちょっと違いますね、でも食べてすぐに癌になんてならないでしょう?」と野中さんが言う。「ずいぶんと気の長い話じゃないですか。そんなのんびりとした方法で暗殺なんてできるんですか、まあいつかは死ぬから失敗はしないですけれども、いくら昔だからといってのんびりとしすぎでしょう」
「ところが野中さん、この人参果はそうじゃないんだな。わしも驚いたんだがこいつは食べてすぐに人の細胞を癌化させてしまうんだよ」
「そんなことありえないですよ……あ、ひょっとしてその人参果って宇宙から飛来した宇宙生物かなんかですか。だったらそんなことも可能かもしれませんけど」
「野中さんは聞いたことはないかな、癌を引き起こす遺伝子は植物から移ったという説のことを」
「すみません、それはちょっと聞いたことがないです」
「そうですよね、わたしも今井先生から聞いて驚いたんです。でも今井先生の話ではジャンピング遺伝子ならばそれが可能だと言うんです。そしてこの人参果は強力なジャンピング遺伝子を持っていると」
「そうなんだ、ジャンピング遺伝子は自分自身のコピーを他の遺伝子に転写するということをしてしまうんだ。それも恐ろしいことに活動中の遺伝子のコードそのものを書き換えてしまう。正確にいえば人の遺伝子が人参果の遺伝子に置き換えられてしまうことによって遺伝子が正常に機能できず癌化してしまうわけなんだが。と、わしが口をだすのはここまでにしよう。このあとは小路丸くんにお願いしよう」
「今井先生、ありがとうございます。じゃあ続きです。ということでムヘンメト氏の祖先はこの人参果をつかって中国の要人の暗殺を企てていたんです」
「なるほど、不老不死の薬だといって食べさせて癌にさせてしまうというわけか。でもいくら昔で癌の治療方法がなかった時代だといっても自然治癒してしまう可能性もあったんじゃないですか。毒殺してしまったほうが確実でしょ」篠塚くんが言う。
「現代の知識で考えるとそうでしょうけれど、ここは当時の知識で考える必要があるんです。当時の知識で考えると毒殺、いや毒殺以外の刺殺とかそういった武力による暗殺では駄目だったんです」
「駄目って……たしかに毒殺でも失敗する可能性もあるから確実というわけにはいかないし、ロシアのラスプーチンとか毒を食べても平気だったとかいう話も残っているから、しかしそういうのは例外中の例外で殆どの場合は成功すれば死ぬでしょ」
「そうですね、今も昔も毒を飲ませれば死にます。でも篠塚くん、当時はまだ不老不死の妙薬があるということが信じられていた時代なんです。だからムヘンメト氏の祖先も暗殺対象が不老不死の薬をすでに飲んでいて不老不死になっているかもしれないという可能性を考慮していたんです」
「そうか、先に不老不死になられていると毒じゃ死なないし刀で刺しても死なないか」感心しながら篠塚くんが言った。
「そうなんです。だから癌化させて化け物にしてしまうこの人参果は最も効果的な暗殺の道具だったんですよ。それに癌が治ってしまってもまた食べさせればいいだけの話です。定期的に食べないと効果はないとか言って」
「なるほど、それにしても山下さんよく我慢できましたね。もし人参果を食べていたらひどいことになってましたよ」と山下の方を見ながら篠塚くんが言った。
「おう、さすがにおれも張くんから食べるなという話を聞いていたからな。聞いていなかったら食べていただろうと思うよ」
「先輩、もうこれに懲りてあまり変なもの食べないでくださいよ。美味しいものなら私が作ってあげますから」
「さなえさん、それって……」と野中さんがなにか気がついたような口調で言いかけたが、小路丸の慌てふためいた顔をみて途中で止めた。
変なところには目ざとい篠塚くんが「それってなんです」と聞き返す。
「なんでもないわよ、こっちの話。で、さなえさん、人が花になるってのは結局なんだったんですか」野中さんは話をそらした。
「それについてはいくつか考えられるんです。一つは、人の遺伝子が人参化の遺伝子に置き換えられてしまって本当に植物になってしまった。しかし、今井先生の話ではそこまでの変化が起きてしまうとその前に癌になってしまう可能性のほうが高いと。二つ目は皮膚癌です。花咲き乳癌というのを知っていますか。これもいわゆる皮膚癌なんですが、病状が進むと癌の組織が皮膚を突き破って外に出てしまう癌なんです。皮膚を突き破って腫瘍、肉の芽が出る。それをおそらく花が咲いた、あるいは花になった。そう言ったのではないかと思うんです。三つ目としてムヘンメト氏の祖先が暗殺を企てていたのは自分たちを征服している為政者たちで、これは虐げられていたウイグルの人たちの変革運動でもあったんです。だから暗殺することによって為政者が倒れ自分たちの理想とする世界が訪れる。近年でもプラハの春とかアラブの春とかありましたよね。だから春になれば花が咲くと、そんな思いもあったのかなと」
「そうか……ちょっとまってください、張さんの彼女さんは花になったんでしょう。ということは人参果を食べたってことですか」と篠塚くんが聞いてきた。
「自分で食べるわけないじゃないか。食べさせられたんだよ、篠塚くん」それまでにこやかな表情をしていた山下が珍しく怒ったような顔をして言った。
「ええっ、自分の娘に食べさせたって、それって殺そうとしたってことじゃないですか」
「悲しいことにそうなんです。今回のことは彼女がウイグル人で、彼女が好きになった張さんが漢民族だったことから始まった悲劇なんです。篠塚くんが調べてくれたとおり、ウイグル自治区は中国の一部ですがそこで生活をしているウイグル人は中国政府からの弾圧を受け続けてきたという歴史があります。だからムヘンメト氏は漢民族を嫌っていました。さらにいえば張さんの父親は軍人です。もちろん張さんの父親がウイグル人の弾圧に直接関係していたということはないかもしれませんが、だからといってムヘンメト氏にとって許せる存在かといえばそんなことはありませんでした」と小路丸が言う。
「でも、だからといって自分の娘を殺すなんて、僕にはちょっと考えられないですよ」
「リズワンギュルさんが言った一言が決め手となってしまったんです。彼女は父親に、自分のお腹の中には張さんとの子どもがいると話したんです。でもそれは彼女がどうしても結婚したいという一途な気持ちからいってしまった嘘なんですが」
それを聞いた今井先生は「おおそうか、そういうことだったんだな。ムヘンメト氏一家はイスラム教徒だったんだね」と小路丸に確認をする。
「そうです。イスラム教では中絶は禁止されています。それがどのくらいの強制力を持っているかといえば、未婚の状態で子どもができてしまった場合、その相手と強制的に結婚させてしまうことがあるくらいのタブーなんです。だからリズワンギュルさんは考えたんです、お腹の中に子どもいると言ってしまえば張さんと結婚できる。そう思ったんです」
「そうか、健気だねえ。しかし、そんな彼女の健気な、いや必死の思いもムヘンメト氏に対しては全く違う形で向かっていってしまったんだね」
今井先生は悲しそうな表情をした。
「はい、ムヘンメト氏の祖先が人参果を使って暗殺なんてものに手を染めたりしていなかったなら、そして人参果がムヘンメト氏に受け継がれていなかったら事態は違っていたかもしれません。だけどそうじゃなかった。ムヘンメト氏は自分の娘を花にしてしまうことを選んだんです。人参果を使って癌化することを花になると、ムヘンメト氏の祖先がそう言い換えていたのは、人を殺すということに対する後ろめたさをごまかすためというのもあったのかもしれませんね。だからムヘンメト氏も殺すのではなく花にするのだと、そう思って人参果を食べさせたのかもしれません」
「やりきれない話だねえ」と今井先生がぽつりと言った。「ところでリズワンギュルさんはどうなったんだい」
「彼女は大丈夫だ。おれと張くんで彼女の実家まで乗り込んでいって、そして彼女を助け出してそのまま病院に入院させた」と山下が自慢げに言った。
「現地にいるのは先輩だけですからそのくらいしてもらわなければ困りますよ」
「おっと、もうちょっと褒めてくれてもいいだろう。そうそう、今朝も張くんから連絡があってな、彼女の方は治療の甲斐もあって順調に回復中ということだ。さすがは中国四千年の歴史、いや三千年だったっけ、どっちだ、小路丸」
「どっちでもいいですよ」
「それはよかったですけど、でもまだお父さんの事が残っているでしょう。駆け落ちでもしないことにはまた同じことが起こるかも」と野中さんが尋ねた。
「そっちも大丈夫だ。実はな、おれと張くんが彼女の実家に乗り込んだときに、彼女の寝ている隣に親父さんもいたんだ。同じように花を咲かせてな。小路丸は娘を花にさせるつもりだった、と言ったけど、親父さんのほうは親父さんで自分も死ぬつもりだったんだろう。人参果を食べて娘のあとを追うつもりだったようだ。でもおれは二人とも助けたけどな。今は同じ病院で二人仲良く入院中だ。それとお母さんのほうは単なる疲労だった。そりゃ家族二人がああなってしまったうえに、誰にも相談できなかったからな。張くんの顔を見た途端、それまでの気の張りが抜けてしまったそうだよ。それから張くんの話では親父さんは改心したようだ。雨降って地固まるってやつじゃないか。もっとも、雨というよりもゲリラ豪雨というか天変地異みたいなものだったが」
「そっか、じゃあうまくいったんだ。よかったですね、ほんとに」
「あ、でも人参果はどうなったんです」と篠塚くんが言った。
「山下くんが送ってきたものは全部わしのほうで焼却処分したよ。本音を言えばちょっともったいないかなという気もしないでもなかったが、あ、これはあくまで学術的な問題で研究目的ということで言っているわけだがしかし、この世に存在しないほうがいいのかもしれん。だから処分したよ。それから多分なんだが、ジャンピング遺伝子は平衡状態ではしないものなんだ。だからムヘンメト氏が人参果をドライフルーツにしたのはストレスを与えて活性化させるためだったと思う」と今井先生が答えた。
すると山下がポケットからいつも持ち歩いている胃腸薬の小瓶を取り出して言った。
「種ならここにあるよ。ムヘンメト氏からおれが貰っ……」
と山下が言い終わらないうちに小路丸は山下の手から小瓶を掴み取る。そしてすぐさま棚から調理用バーナーを取り出してバーナーに火をつけながら小瓶の蓋をあけ、バーナーの火を瓶の中に突っ込んだ。しばらくして焦げ臭い匂いが店の中に立ち込めはじめ、そして瓶の中身は灰になった。
「ああっ、小路丸。なんてもったいないことをするんだ」
「先輩、食べたら死んじゃうんですよ。もったいないなんて言っている場合ですか」と小路丸は真剣な表情で言う。
「今すぐ食べるなんて言ってないだろう。これはおれがこの先、病気になって余命半年とか言われたときに育てて食べるつもりだったんだ。余命半年だったら癌になったって構わないだろう。どうせ死ぬんだから」
それを聞いて涙目になった小路丸の顔を見て野中さんは山下の頭を殴る。
「馬鹿なことをいうんじゃないわよ、ねえ」と野中さんは小路丸の顔をみた。
小路丸の涙顔にすこしばかり笑顔がもどった。
第二話 完
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